暴かれた真実2ーC
 

井手元会長が語る『国鉄改革前後の労務政策の内幕』

国鉄とJRが共謀して採用差別当事者が自白「国鉄改革の真実」

国鉄1047名解雇撤回の27年に及ぶ闘いは、ついに「国鉄改革の真実」を暴き出すところまできた。

JR採用差別をめぐり、これまで裁判所は、〈採用名簿を作成したのは旧国鉄。別法人であるJR各社は不当労働行為の責任を負う主体ではない〉とする判断を示してきました。
 しかし、国鉄改革法の制定にあたって当時の橋本運輸大臣は国会で、国鉄とJR設立委員の関係について「国鉄は設立委員の採用事務を補助する者で民法上の準委任に近いものである」旨を繰り返し答弁しています。立法趣旨からすれば、国鉄が行った採用差別は当然JR各社の採用差別となります。
 各地の労働委員会は当然にも、組合差別(不当労働行為)を認め、その責任がJRにあるとしました。 そもそも旧国鉄の幹部たちはJRの社長や会長へ出世し、JR各社を仕切ってきました。実態からみても、旧国鉄の不当労働行為はJRの不当労働行為であることは明らかです。
 ところが、裁判所は一貫して、形式的に法人格が別であることを根拠にJRの責任を認めてこなかったのです。

 決定的な事実

 しかし、裁判所の判断が歴史の真実ではないことを示す決定的証拠が明らかになりました。
 それが『JR西日本井手正まさたか敬会長と語る国鉄改革前後の労務政策の内幕』です。国鉄分割・民営化を強行した張本人である井手元JR西日本会長を囲む座談会の議事録です。
 この議事録によれば、旧国鉄とJR設立委員会は最初から一貫して共謀の上、採用名簿の作成と採用基準の策定を一緒に行っていた決定的事実が明らかになっているのです。
 井手元会長は、国鉄分割・民営化の先頭に立った「国鉄改革3人組」の一人であり、JR西日本の社長・会長を11年務め、安全軽視―収益重視のワンマン経営が福知山線脱線事故を引き起こし、被告となった人物です。
 座談会は2000年9月。東京高裁で「JRに法的責任なし」の判決が出され、国労が臨時大会を開いて改革法を承認する状況のなか、もはや不当労働行為の責任は及ばないと思ったのか、「国鉄改革は自分の手柄だ」と言わんばかりに、国鉄分割・民営化の内情を自ら暴露しているのが本文書なのです。

 国鉄・JRが共謀 

 井手は、約30万人の職員から21万5千人を選別した方法を以下のように語っています。
 「われわれはこのチャンスに、管理体制の立て直しをすべく……過去に何度も処分を受けたものは、やっぱりこの際、排除したいという気持ちは強かった。でも、それを余りに強く当局から言うと不当労働行為になりかねない」
 「そこで当時、(経団連の会長の)斎藤英四郎さんが委員長をしておられたんだけど……葛西君と出かけ話に行って……まず、選考基準に合致しなかった者は駄目なんだということにしよう。そして選考基準は、斎藤さんが作れと言うので、不当労働行為と言われないぎりぎりの線で葛西が案を作り、それを斎藤さんに委員会の席上、委員長案として出してもらい、それは了承された」
 国鉄幹部である井手や葛西らは、JR設立委員長のもとに足しげく通い、採用基準の策定や採用名簿の作成について協議を重ねていたのです。
 運輸省も黙認?だったことは次の記述で分かります。「これは裏話だけれども、斎藤英四郎さんのところにお願いに行った時、たまたま行ったら、そこで(運輸事務次官の)林さんに会っちゃった。おまえ、何しに来たんだって、こう言われて、あの時は困ったな」

 新規採用方式?

 この点について、葛西敬よしゆき之は著書『国鉄改革の真実』において、「難問、職員の『振り分け』方法の解決」の節で次のように語っています。
 「これを見事に解決してくれたのが、法務課の法律専門家だった」「その最大のものが職員の配置だった」として以下のような「法律専門家」と葛西のやり取りを記述しています。 我々が手探りをしている間に、彼は唯一の現実的なやり方を考えてくれていた。
 「分割の際の職員の各会社への配置方法は難しいですね。本人の意思に反して『お前はここに行け』というのは法的に不可能です。名実ともに本人の意思に従って分かれていく形でなければならない。これをやれる方法はたった一つしかない。
 それは何か。国鉄という法人格が国鉄清算事業団と一体であり、分割されて生まれる七つの新会社は文字通り新たに設立され、新たに必要な要員を採用して事業を行うのでなければならない。すなわち、国鉄職員は全員が自動的に国鉄生産事業団に引き継がれることになる。新しい会社に応募し、採用試験を通って採用された者のみが、新しい会社の社員として入っていく。
 つまり本人が会社を選ぶのです。国鉄は設立委員会の依頼を受けて採用事務の手伝いをする。具体的には設立委員会の示す採用基準に基づいて希望者に推薦順位をつけ、その名簿を出せばよい。 唯一の方法は、『国鉄イコール国鉄清算事業団』であり、『新しい会社は名実ともに新設の法人である』という仕組みしかありません」というのが彼の意見だった。
 その案を聞いたときに、目からウロコが落ちたように、「ああ、そういうことなのだ」と思ったものである(改行は引用者)
  国鉄を解体して全員を解雇し、新会社JRが新規採用というかたちで選別する――この常識を土台から覆す手法によって、10万人の国鉄労働者が職場を追い出されたのです。
 葛西の本では「法律専門家」として名前は特定されていませんが、国鉄改革法の作成には、最高裁判所から国鉄に出向して、後に高松高裁長官を務めた江見弘武(現在はJR東海監査役)が関与しています。
 この枠組みに全面的に協力したのが動労・革マル(現在はJR総連)です。

 動労・松崎の悪行

 動労の松崎委員長は分割・民営化の前年、国鉄総裁らと共に「労使共同宣言」を発表します。〈国鉄改革に労使の立場を超えて取り組み、ストは行わず、合理化・余剰人員対策にも協力する〉というものでした。動労は分割・民営化賛成に転じ、国労や動労千葉への卑劣な攻撃に手を染めたのです。
 「国労や動労千葉は新会社には採用されない」と徹底的に恫喝し、年配の労働者には「後進に道を譲れ」と退職を強要しました。その結果、JR本州3社では予想外の定員割れが起きるほどの多数の労働者が国鉄を去ったのです。

 1987年1月末には、定員割れが確実となり、本州では希望者全員が採用される状況になります。この事態にあわてて「国労や動労千葉のクビを切れ」と国鉄当局に迫ったのが松崎でした。1月22日には「新事業体の定員枠そのものの是非も含めて、正直者が馬鹿を見ない対処法」を要求して中央・地方で当局に一斉に緊急申し入れを行うことを決定。2月2日に開かれた鉄道労連結成大会では「国鉄改革に反対する不良職員が採用されることは断じて許さない」との特別決議まであげたのです。
 JR設立委員会に採用候補者名簿が提出されたのは、それから5日後の2月7日です。1審で証人に立った伊藤嘉道(当時は職員局補佐)は「過去3年間に、停職6カ月または2回以上の処分を受けた者という不採用基準は、1月末から2月冒頭に葛西の指示で急きょ作られた」と証言しました。
 その背後にあったのはこうした事態です。不採用基準の策定は、まさに動労千葉や国労をつぶすために国鉄当局と鉄道労連(現JR総連)が結託し、それにJR設立委員長がかんで決定された不当労働行為なのです。

 不採用基準について井手は次のように語っています。
 「斎藤さんに新しい会社でそういう、組織を破壊するようなことばっかりやっていた連中に大手を振って歩かせるということは、おかしくなるし、そういう過去の処分歴みたいなものが、当然選考基準に入ることはいいことじゃないかと言って説得した」
 〈過去3年―昭和58年4月以降の処分歴〉としたのは、国鉄分割・民営化の手先に転じた動労を救済するためのものでした。動労の松崎委員長とは、分割・民営化への協力と引き換えに過去に解雇になった動労幹部をJRに採用させるという驚くべき密約があったことも語っています。
 「過去に首になった人の再採用するという約束を職員局が当時、動労松崎としたとかしないとかいう話があって、これは最後まで揉めた。松崎はその点について騙されたと言っている」 

井手文書の意義

 本文書の最大の特徴は、JR設立委員会の斎藤英四郎委員長が、国鉄総裁室長の井手正敬、国鉄職員局次長の葛西敬之と会って、井手らの要請で斎藤が選考基準の作成を指示して、葛西敬之が作成したという事実が、井手元会長の口から明らかになったことです。
 国鉄改革法23条を盾に「JRと国鉄は別法人でJRには法的責任がない」としてきたこれまでの裁判所の判断を根本から覆す、決定的な事実を明らかにしたのです。

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