1047名闘争 動労千葉の基本的立場
 動労千葉はこの20年間、組織の総力をあげて清算事業団闘争をたたかいぬいてきたが、そこには三つの独自性があった。
●国鉄闘争の位置
 第1に動労千葉は、このたたかいを単にそれ独白の窓口からだけでなく、現在の労働運動かおかれた否定的な現状のなかで、日本の労働者と労働運動の未来にとってどれほど重要な位置を占める闘いであるかという視点から見すえ、常に声を大にして訴えつづけたことである。そして、一貫して国労闘争団を中心とする1047名のだたかいこそ、戦後日本労働運動が生みだした精華であると提起し、強調しつづけてきた。中労委命令以降、国労には「闘争団お荷物」論を公然と主張するグループが登場するが、動労千葉の立場はそれとは180度逆であった。その動向がつねに労働運動全休を制する位置を占めつづけた国鉄労働運動の歴史的意味とは何なのか。国鉄分割・民営化攻撃とは日本の労働運動全体にとってどのような意味をもつ攻撃であったのか。国家をあげた絶滅攻撃を受けながらそれに耐えぬき、今も1047名の解雇撤回闘争が不屈に継続されていることのもつ意味がどれほど大きなものなのか。全国の心ある膨大な仲間たちがこの闘争に希望を託し、惜しみない支援をつづけてくれていることはこれからの労働運動にとってどのような意味をもつものなのか。動労千葉は常にこうした視点からだたかいの路線と方針を提起しつづけた。
●真正面からの対決を
 第2に、国鉄改革法との真正面からの対決の必要性を当初から訴えつづけたことである。それは言い換えれば、1047名の解雇撤回闘争の勝利の日まで、国鉄分割・民営化攻撃そのものと対決するという立場を貫くということであった。この点でも国労は、当初から国鉄改革法との対決を棚上げして不当労働行為で争うという方針であった。その最大の問題点は、このよ うな方針は、法廷内の理屈としてはなりたつ余地があるとしても、JR体制下で日々組合員がさらされている現実、JRのみならず今日本の全ての労働者に国鉄分割・民営化型の攻撃が襲いかかろうとしている現実から見れば、決してなりたたない点にある。それは、5・28反動判決によって逆に証明された。

●JR本体からの決起を
 第3に、動労千葉は、裁判や労働委闘争に依存し、すべてを託する方針を否定してきた。もちろん裁判闘争・労働委員会闘争は、解雇撤回闘争の非常に重要な一要素であることはいうまでもない。しかし、攻撃の本質からみて、いかに困難であろうとこの闘いの勝負は、自らの力でJR体制をつき崩していく以外決着しないという立場にたちきったのである。JR本体の労働者が、容赦のない合理化攻撃や強権的な差別・選別支配と対決し、資本とJR総連・革マルの結託体制を打破するために職場から決起することこそが、1047名のだたかいを支え、その勝利を導く最大の力だ。JR本体での力関係を変革することなしに1047名闘争の勝利はない、これが動労千葉の基本方針であった。
 それは、労働運動の原則から言って当然のことだというばかりでなく、JR本体に働く者と被解雇者、あるいは強制配転されている仲間が、なによりも夫切な団結を維持し、ひとつの気持ちで闘争を継続するうえでも不可欠の課題である。だからこそ動労千葉は、解雇者を財政的に支える物資販売闘争のオルグをはじめ一切の取り組みを、解雇者も、活動家も、一般組合員も全員が担うということを一貫して追求しつづけた。
 なお90年5月、12名の解雇者の1人である新小岩支部の磯部哲夫さん、91年1月に第二波ストの解雇者である成田支部の大須賀昭夫さん、同年3月に、83年三里塚・ジエツト燃料ストの解雇者である津田沼支部の吉岡正明さんが、相次いでたたかい半ばで無念の死を遂げた。

磯部さん


大須賀さん

吉岡さん