●ドキュメント

動労千葉襲撃の40日間
浅田光輝「破防法研究」 79年6月

 

 

 

 

 

 

 

動労本部は三里塚一期開港の年、78年7月の動労津山大会で、一転して「三里塚と一線を画す」ことを宣言、「貨物安定輸送宣言」に踏み切り、動労千葉への大々的な襲撃を開始した。

戦闘的労働運動の再生のために

動労第34回全国大会経過報告!
動労ジ・ヅト闘争支援共闘会議世話人 浅田光輝

異常な全国大会
 1978年7月3日から5日間、岡山県津山市において、国鉄動力車労働組合の第34回全国大会が開催されました。この大会に向けて、動労中央執行部は『七八年度運動方針(案)』を全国組合員に配布しましたが、私たちは、そのなかに、三里塚闘争および三里塚芝山連合空港反対同盟にたいする由々しい誹謗・攻撃があることを、階級的な労働運動の方向をあやまる看過しえない重大事としてうけとめ、動労のジェット燃料輸送阻止闘争を支援する立場の者として、この部分の全面撤回を求める意見を提起しました。この意見提起は、動労全国大会までのかぎられた短かい時日にもかかわらず、わずか二週間のあいだに7月2日の時点で、全国各地の知識人、住民闘争にかかわる人びと、労働組合役員・活動家の2800名に及ぶ賛同署名を得ることができました。署名者のみなさんに、あらためて心からの感謝の意を表する次第です。
 すでにご承知のように、大会は、執行部原案をほぼそのままにおし通すという結果に終わりました。しかしながらそこには、原案の強行に抵抗して動労の戦闘性を護ろうとする良心的な人びとのすくなからぬ結集がありました。
 しかもそれにたいして、民主的な会議運営の最少限の約束もふみにじって反対意見の一切を封じようとした専横をきわめた議事運営があり、さらにかかる議事運営に抗議する人びとにたいして、議場に配備された準備委員と称する者、傍聴席の一部に陣取った者が集団となって襲いかかり、蹴とばし、引き倒し、ふみつけるという、何人かの負傷者も出す集団暴力が議場内で公然と行なわれる異常な事態を現出しているのです。三里塚闘争と反対同盟を敵視した動労全国大会運動方針は、心ある組合員の反対意見を、動労内に巣喰う一部悪質な反動分子の凶暴な議場制圧によって暴力的に封殺することで、強行的におし通されたといっても過言ではありません。
 そのような大会の議事運営の一部始終は、全国から集まった組合員の公衆の面前で行なわれております。動力車労働組合の全国の組合員は、このおそるべきファシスト的大会運営を眼底に焼きつけています。ここで、問題は、大きく質的に転換したといえましよう。全国の組合員大衆は、動力車労働組合の中央機関が、みずからの意にそわない意見の存在は一切許さないという、おそるべき一部少数の専制者によって牛耳られているという事実を眼の辺りにしました。その反応は.必らずや、日ならずして全国的にわき起ってくるのにちがいありません。いま、それは現実に、この大会の抵抗の中心でありた千葉地方本部にたいして、全国各地本組合員からのひきもきらぬ連日の激励電話という形で、具体的にあらわれていると聞きます。
 国鉄動力車労働組合の三里塚闘争への連帯、ジェット燃料輸送阻止のたたかいは、この全国大会で終止符を打たれるというようなものでは決してありえません。この闘争への取組みの決意は、大会の討論の経過を通じて、かえって全国各地本の組合員大衆のあいだにひろげられました。私たちは、そのことをあらためて確認したいと思います。
 そのためにも、ここでこの異常な大会の経過を、私たちの知るかぎりの資料にもとづいて、ありのままに報告しておきたいと思います。

「三里塚問題」修正案の討議

 7月3日に始まる岡山県津山市の大会の実質討議は、7月4日の大会第2日目に始まりました。『運動方針(案)』は、これまでの運動の「総括」と、これからの運動の「方針」とから成りますが、三里塚闘争と反対同盟を攻撃した問題の箇所は、「総括」の部分にふくまれます。その運動経過報告にたいする質疑討論は、大会第2日におこなわれました。
 午後に始まった討議は、いきなり、東京地本の土屋代議員による露骨な千葉地本攻撃の発言で開始されています。土屋代議員は、「成田・ジェット闘争が千葉を中心にたたかわれたことは評価するが、マスコミを通じて千葉があえて統制処分を辞さないなどいっているのが問題だ。3・26闘争(管制塔占拠)は、権力と一体となった中核派部隊の闘いであり、また反対同盟戸村委員長が権力がピストルを持ってきたら、我々は新兵器でたたかうなどといっている。千葉がそういう反対同盟を通じて公開質問状を出すのは以てのほかだ」などと、本部原案の趣旨をそのままなぞって、しかも偏見を誤解でつづった非難を放言しました。この発言をうけておどろいたことに、議事の公正な運営の責をになうはずの議長(柴田・釧路地本)が、
「千葉は勝手なことをいっている。自分たち以外は革マルで反革命だといっている。ケチつけ、指令拒否、こういう態度は許せない。腐敗し頭が狂っているのではないか。千葉の真面目な組合員をだますために、そういうことをいっている。腐敗している者との共闘は追及するが、まじめに闘っているところとの共闘は拒否する。三里塚の指導部の質と似ている。…千葉問題の解決のために奮闘していく」などと、憎しみをむき出しにしてとんでもないことをいい出す始末です。この議長の下でその後に進められた議事運営がどんなものであったか、大会冒頭の議長発言ですべてが明白でしよう。
 そのあとに、類似の発言が議長の指名でつぎつぎとつづくなかにあって、たとえば米子の池沢代議員の発言のように、「(本部提案は)成田闘争を否定的にとらえるものだ。労働運動の基本からかけ離れる。全面削除を求める。同時に千葉の組合員には深く感謝する。新左翼と動労の対立に、動労がのめりこんでいくことになるのには反対だ」という勇敢な直言もありました。また、仙台の佐藤代議員も、直接に千葉攻撃の材料とされている「水本問題」にふれて、中執委が「水本問題」を取上げることを決定して時日の余裕もなく、いきなり全国動員というやり方では、問題の内容もまったくわからない、と疑問を投じております。
 攻撃を集中された千葉地本からは、書記長の中野代議員が立りて、
「千葉は中央の指令によって100日間のジェット闘争を、権力の弾圧のなかでたたかった。これは企業内の闘いとちがって、大変な闘いだったが、権力に一指も触れさせずに闘いとおした。それを、千葉が勝手にやったかのように、革マルの機関紙『解放』が書いている。青年部の機関紙は、『千葉地本が裏切った。関川、中野が裏切った』と書いている。これこそ組織運営上の問題だ。…本件議案の運動『総括』は、闘いぬいた結論を、『三里塚闘争は権力の演出』などと書いている。こんなことをいっているのは、革マルと日共の泳がせ論ぐらいのものだ。反対同盟の22年間の闘いに、千葉の闘いは固く結合している……」
 と、理路整然と闘う千葉の立場を鮮明に表明しました。発言のあいだ中、ことばが聞きとれないほどの弥次と怒号が会場を包みました。しかしスジを通したこの意見表明は、中野代議員の毅然たる態度とともに、場内をうずめた全国の組合員に深い感銘を刻みこんだのにちがいありません。
 この中野代議員の意見にたいして、本部席から城石組織部長が立ち、
 「動労に関係のない外部から、運動方針はおかしいといってきている。これは内政干渉だ。縁もゆかりもないところがらクレームがついている。千葉が反対なら反対で結構。ただ、大会が決定したらそれに従ってもらいたい。2…19集会(水本問題集会)に千葉は不参加だった。中野書記長は『佐倉で大集会があるから参加できない』というが、実際は、水本問題には参加できない、そのためには統制処分も辞さないということだ。池沢さんがいうことはもっともだが、いまの三里塚はどうなのか。列車転覆させるといっているではないか。」
 と、答弁しましたが、労働者の闘争の基本姿勢にはまったくかかわるところのない、まことに卑少なケチつけばかりです。発言のなかで、外部からクレームをつけてくるのは内政干渉だといっているのは、おそらく、私たちが提起した『撤回要求』と、反対同盟の『公開質問状』を指すのでしょう。それがどうして「内政干渉」なのか。笑うにたえないとはこのことです。城石組織部長は、動労が反独占・反自民をとなえる天下の公けの運動であることを忘れたのでしょうか。それがさまざまに、天下の国民大衆から忠言され注文されるのは、「組織部長」として大いに歓迎すべきこととは考えないのでしょうか。しかもここで、動労中央は天下の公けの運動である反対同盟にたいして、デマゴギッシュな憶断にもとづいた誹謗をあえてしているのです。あい手はやっつけるが、あい手からの質問や反論は「内政干渉だ」というのでは、天下の動労の「組織部長」としては恥かしいかぎりの公言ではありませんか。小心翼々たる下っ端役人のいいぐさです。
 やがて議事は、問題の「総括」にたいする修正動議の討議に移ります。
 三里塚問題の本部案は、当然のことながら、ジェット燃料輸送阻止闘争を現地で一身にになった千葉地方本部をはじめ、動労全国の心ある組合員のあいだにきびしい批判をひき起しました。それらの人びとは、三里塚闘争と反対同盟を非難・攻撃する本部原案にたいして、「三里塚芝山連合空港反対同盟の原則的かつ不屈の闘いに学び、連帯、共闘することは、現下の全ての階級闘争に求められております」「三里塚芝山連合空港反対同盟と連帯して闘った動労の闘いは正しかったことと評価できます」という立場を基本とした全面的な修正動議を共同提案として提出しました。共同提案者は124名。出席代議員は総員312名ですから、これは3分の1を越える代議員の意思を集めた有力な動議といえましよう。124名の署名者は、全国各地の地方本部と分科会にひろがっています。内訳は、札幌地本3名、秋田6、仙台10、宇都宮7、水戸7、千葉8、新幹線3、長野4、静岡3、名古屋8、北陸3、大阪3、福知山3、米子8、四国4、広島8、文字5、鹿児島7、乗務員分科会3、研治2、交運4、検査8、事務5、管理5。地本代議員の一部が参加したもの、全員が参加したもの、さまざまですが、代議員の一部が参加している地本には、今回の反三里塚・反千葉キャンペーンの策謀看たちが、かねてから自派勢力の拠点として、機関を牛耳る地方本部がいくつか含まれていることが特徴的です。それらの地本の代議員が共同動議に名を連ねるには、おそらくなみなみならぬ覚悟と決意を必要としたのにちがいありません。
 策謀者たちは、修正提案が討議される大会2日目の前夜、多数を動員して共同提案に名を連ねた人びとの宿舎におしかけ、夜を徹して執拗に恫喝と脅迫をこころみました。その結果、かれらの有力な拠点といわれる札幌地本から敢然と加わった3名の代議員のうち2名が参加を取り下げる破目にいたりました。しかし撤回者はこの2名にとどまっています。
 修正動議の趣旨説明には、千葉地本の布施代議員が当りました。布施代議員は、騒然たる野次と怒号のなかで動議の趣旨を整然と展開しました。そのなかで、こういつています。
 「労働組合の闘争も、条件闘争に自己を抑制するのでない以上、当然権力と直接ぶつつかる状況に当面しなければならない。まして強制収用などで、すわりこみが排除されることは、どのたたかいにもあることだ。労働組合の場合、闘争の仕方に限界があることをおたがい認め合うことも必要だが、その立場で住民闘争や地域の闘いをあれこれいうのはまちがいだ」
 そして布施代議員は、「採決は書面投票にせよ」と求めました。いうまでもなく、挙手採決には、ひとりひとりに圧力がかかることをおもんばかったからでしょう。しかしのちに見るように、採決は挙手で強行されました。
 つづいて修正案反対の発言がありましたが、内容とするところは、反対同盟戸村委員長の「言動」にたいする攻撃、三里塚の実力闘争にたいする誹謗に終始するものであって、それを根拠に、「労働組合として支持できる闘争ではない。」というものであり、しかも、「3…26管制塔襲撃は、権力の演出でしくまれたといわざるをえない。
鍵をあけたのは空港公団職員だった……」と、革マル派がかねてから機関紙で書き立てているデマを、そっくりそのままなぞっているような内容のものでした。この発言者は、「三里塚でやっている連中は、七〇年安保で破産した連中で、『過激派』ではなく、より正確に規定した方がいい。」などといっていましたが、それがおそらく革マル派の「公式見解」なのでしょう。ともかく、ここで三里塚闘争にたいする攻撃として、動労組合員の口を通じて、革マルという党派の主張がそのままむき出しの形でいい出されていることに興味があります。

 千葉地本の水野代議員が立って、「水本問題」の持ち込みを通じて、動労がいかに革マルという一セクトのいいなりに私物化されているかという現状を、事実を通じて鋭く批判し、執行部の責任を追及しました。そして大分で開かれた青年部の委員会で、革マルの出版物を販売するコーナーを設け、また「中野(千葉地本書記長)、関川 (委員長)追放」のビラが公然とまかれたという事実をあげて、「反権力の立場でたたかっている部分にたいして、おなじ動労の組織にある者として何たることか」と、激しく糺弾しました。この水野代議員の発言に場内は騒然となり、ほとんどことばも聞きとれない状態でした。
 採決に先立って本部答弁に立った城石組織部長は、「これはたんなる採決ではない。戸村委員長の三里塚の闘いを、職場に持ってきてそれを組合員にやれというのか。修正案に手を挙げるなら、三里塚闘争は正しいと職場で確信を以ていえるのか」と、ほとんど恫喝に近いことばで本部の姿勢を表現しました。

 採決は挙手でおこなわれました。賛成の挙手をする代議員に、「よく顔を見ておけよ!」「生きて帰さねえぞ!」「千葉と同じスパイ野郎!」「ウジ虫!」「新幹線はだれだ!」という野卑なヤジが浴せられました。これが天下の動労組合大会なのかと傍聴のオブザーバーはだれもがためいきをついたでしょう。そういうなかで、毅然として手をあげた代議員たちの勇気を評価すべきです。この人たちこそ、今日以後の動労を双肩にになう人びとであるのにちがいありません。議事運営委員会の発表では、312名中修正案賛成は100名で、少数否決。しかし衆目の見るところ、実数は100名を越えていたそうです。結果は否決であれ、312名のうち100名以上が、公然たる脅迫のなかで、本部案に不信を表明したという事実は、これからの動労の運動の方向に重大な意味をもつものになるでしょう。


動労革マル

暴力による発言の制圧

 大会3日目の7月5日、何人かの代議員から、前日の議事運営について、怒りにみちた弾劾が発言されました。
 天王寺地本の藤木代議員は、
「全代議員、傍聴者に訴えたい。今大会に参加して、不安と悲しみを感じる。私がこういっただけで騒然となるが、大会の進行について、議長、議運の意にそわない意見でもじっくり聞いてほしい。これで民主的労働組合の大会といえるだろうか。」
 と、切々と訴えました。しかし、藤不さんがそういっただけで、議場は大口をあけてわめき立てる有象無象の怒号で騒然となる始末です。天王寺地本は、修正動議提出者のなかに入っていません。その代議員がこういう発言をあえてしているのは、心底から動労の現状を悲しんだからでしょう。藤木代議員はヤジのなかで声を張り上げて、「動労は一体いかなる共闘をしてゆくのか。これから進む道をどう位置づけるのか。いずれ関西にも新空港がで,きるといわれる。三里塚と一線を画すると決定したわけだが、一線を画するという中身は何なのか」
 と、深刻な憂慮を表明しています。
 さらに門司の隈元代議員も、
「昨日の動議をめぐり、議長、議運は民主的ルールにしたがった取扱いをしていない。動議提出者の一人として、このまま職場に帰れば、大きな組合不信を起す心配がある。……三里塚の取り扱いも理解されていないようだ。共闘・連帯をいうと、戸村発言に直結して、お前らそういうやり方を認めるのか、という。日本原の問題もある」
と、不信をぶっつけました。この発言もはげしいヤジにさらされています。
 秋田の小松代議員も、「採決で賛成者に罵声をあびせたり、こづいたり、今大会は百パーセントよくいったというものじゃない。林委員長の見解をききたい」と、ヤジのなかで声を張り上げて切々と訴えました。
 第4日目の7月6日も、いく度か大会運営のあり方が発言され、


右から2人めが動労革マルの小谷


動労革マルと激しい論争 (品川機関区)

中途で収拾の発言のために立った林委員長にも見さかいのないヤジがとばされるありさまでした。林委員長は演壇で顔をしかめて、「委員長の発言に、〈必要なし〉というヤジはよろしくない」などといい出す始末です。この発言のさなかに、議場の一部に混乱が起り、殴り合いも出ました。そのため議事が一時中断。
 再開後、やがて運動方針の採決の段階に入ります。いくつかの修正案が出されているなかで、千葉地本は8名の代議員全員の署名で、「成田空港反対・ジェット燃料貨車輸送阻止の闘い」と題した項目をあらたに起草し、これを独立の項目として加えることを提議していました。執行部原案では、ジェット燃料輸送闘争は、大幅に後退した形で、「その他の諸闘争」という項目の一隅に小さく追いやられているのです。議長は、その動議の採決にあたって、提案説明を求めて挙手した千葉の代議員を無視しました。そして、「この問題は、すでに充分に論議を尽した」と一蹴し、提案者の説明ぬきで採決を強行しました。千葉地本が修正案を提出していたのは、そのほかにも2件あります。執行部原案の、「千葉地本にたいする組織指導について」という千葉を非難攻撃の対象としている項目の全面削除要求と、「青年部の育成強化について」という項目のなかの「水本問題」への取組みを讃美した部分、それにかかわって千葉地本にたいする非難をもっぱらとした部分等の削除要求です。その2件とも、すでに千葉が提案説明を要求した挙手を無視して説明ヌキで採決が強行されています。
 千葉提案の3つの修正動議の説明要求を無視されるに至って、千葉代議員席から中野書記長が、議事の運営に異議を申し入れるべく、立って運営委員席へおもむこうとしました。それを何と思ったのか、議場の採決係が前に立ちふさがって押し問答になりました。その様子を見かねて、片岡代議員が座席から立ち上り歩み寄ろうとしたのを、会場地元の岡山地本の腕章をつけた「警備係」(関西青年部)と称する連中がとびかかり、周囲から「つまみ出せ!」というかけ声がかかって、片岡代議員を会場外へ引きずり出しました。引きずられていく途中、千葉代議員席のすぐ後ろの傍聴席最前部に陣取った東京地本傍聴団のなかから室井青年部長が飛び出して、片岡代議員の背後からとびかかり、髪の毛をつかんで引き倒し、さらに数人が蹴とばしふみつけるという卑劣きわまる暴行を、千葉代議員をはじめ全会衆注目のなかで演じたのです。大会準備委員が割り振った会場の席の配置が、代議員席の最後尾が千葉席、そのまうしろの一階傍聴席、最前列が東京地本となっています。そういう点にもご注目下さい。
 つづいて中野代議員も会場外に引きずり出されました。千葉地本席の残った六人の代議員は、そのありさまに、もはやこの会議は正常ではないと判断しました。一部無法者の跳梁のもとに、労働組合の民主的運営のルールは完全に停止したと判断しました。そして、関川委員長を先頭に、退場を決意して一斉に立ち上りました。それにたいして、準備委員と称する手合い、傍聴者の一部が、こんどは「退場は認めない!」などと口々にわめきながら群れ集まって出口への通路に立ちふさがり、小僧のような若者が動力車の大先輩である関川委員長の胸ぐらをつかんでネクタイをねじり上げる、最後尾の宮内代議員に数人がつかみかかって座席におさえつけ、つづけざまに殴打するという暴行を再度演じたのです。そういうなかで、いったん場外におし出された中野・片岡の二人の代議員が、数人に突きとばされながら、ふたたび場内へおしもどされてきました。
 しかしそういう暴力にもかかわらず、千葉地本代議員は会場にとどまることをあくまで拒否しました。8人の代議員は、全会衆の見守るなかで、暴力団のような連中にけとばされ、こづかれながら、昂然と退場しました。二階傍聴席の千葉傍聴団も、その様子を見とどけて一斉に引き上げました。期せずして、場内のそこかしこから拍手が湧き起っています。みごとな進退といわなければなりません。
 そういう事態の一部始終を眼の辺りにしながら、大会議長も、議事運営委員も、さらに委員長以下組合執行機関も、だれもどこも、何の措置もとろうとしません。この無頼漢のような理由のない愚行は、大会執行機関の名によって配備された「準備委員」とか「会場警備係」と称する者が、傍聴席の一部に入りこんだ無責任な集団と一体になって演じているのです。大会参加の全会衆が、それをはっきり見とどけています。大会の執行に責任ある人びとは、この事態にどう対処するのでしょうか。
 千葉地本は、その日のうちに、三役に組織部長を加えて4人が、本部・林委員長に会見し、林委員長が明7日で終る大会への参加を懇請するのにたいして、「大会は、千葉地本にたいする一方的な攻撃に終始している。それにたいして千葉地本は発言の機会をほとんどあたえられず、修正動議の提出にさえも提案者に趣旨説明をさせないという異常な議事運営が大会を支配している。あまつさえ、代議員の発言、賛否の挙手などの意志表示が、暴力的な脅迫にさらされている。千葉地本としては、何故に退場せざるをえなかったかということの発言の機会が保証されないかぎり、参加することはできない。しかし、大会が終るまでは現地で待機する」と、態度を表明しました。

千葉地本への再度の集団暴行

 明くる7月7日は大会最終日になります。その朝、千葉地本宿舎へ、河本議長(岡山地本)が中江本部副委員長をともなって、今日の大会には是非参加するようにという議長団の要請を持って来訪しました。それにたいして地本側は、大会議事運営の不公正、議場に跳梁する暴力と恫喝にあらためて任意をうながし、千葉としては、退場のやむなきにいたった理由について発言の機会をぜひあたえてもらいたい旨を要望しました。河本議長は、議長団を代表してきたと称するにもかかわらず、この当然の要求に、「一存では決められないので、相談するから待っていてくれ」とそのまま帰り、やがて、「千葉地本退場のいきさつについては林委員長から発言することにするから、是非参加されたい」と電話で伝えてきました。千葉の代議員は、不満を残しながら、委員長の収拾に一縷の望みを託し、その日の大会に参加をきめました。
 千葉地本の代議員、傍聴者が入場すると、すでに満席となっていた会場の一部から低劣な罵声がとび、同時にそこかしこから場内を圧する拍手が起りました。やはり会衆は、事態の真実を正しく見ていたのです。入場する千葉地本への場内の拍手は、組合大会をわが物顔に支配する者への憎しみの表現でありましよう。
 議長団が約束した林委員長あいさつ中の、前日の紛争にふれた発言は、大会執行部の不当な議事運営にも、さらにだれの眼にもあきらかである準備委員をまじえた傍聴人集団のテロ行為にも、不必要な気兼ねを過度に示した、まったく不得要領なものでありました。大会運営の責任者たるべき議長団といい、組織の最高責任者たるこの林委員長といい、この人びとはいったい何に遠慮しているのでしょうか。しかもそんな遠慮と気兼ねに終始した林委員長の発言でさえ、事が問題にふれると一部からの激しい罵声に包まれたのです。凝然として静かに聞き入っていたのは被害者の側で、大口あけてヤジっているのが5日間の大会を我が物顔にふるまった一部集団の無責任な弥次馬たちであったということに、この間の事態の性格がくっきりと浮き彫りされています。
 当然のことながら、千葉の代議員は、委員長の収拾発言を不満として発言を求めました。しかし議長団は発言を認めず、そのため緊急動議を提起しましたがそれも却下されました。こうして、年一回の組合員の総意を結集すべき動労定期全国大会は、暴力と恫喝が意思の表現を制圧する未曽有の異常集会として、5日間の幕を閉じました。
 しかし、この一部集団による理不尽な暴力は、閉会で終りを告げているのではありません。かえって、閉会とともに、会衆がちりぢりに散会してゆくなかで、5日間の会期中最大のテロがおこなわれました。大会が終了して会場を出ようとした千葉地本代議員、傍聴者は、出ロで待ちうけた数十人によって一斉に襲撃されたのです。
 ロビーには、開催地の地元岡山地本の準備委員、家族組合員が、全国からの組合員を見送るためにならんでいました。そういう人びとの面前で、椅子を投げつけ、数人でとりかこんで引き倒し、それを蹴とばしふみつけるという集団暴力が、公然とおこなわれたのです。かれらは、防戦しながら引き揚げてゆく千葉組合員のグルーブに執拗に追いすがり、会場前広場の、この大会に動員された岡山県警機動隊が居ならぶ前でも公然たる襲撃をくりかえしました。しかも広場には、革マル派を公然と示威した集団が、鉄パイプをちらっかせた挑発的なスタイルで、三里塚闘争を誹議・中働するビラを配っていたのです。
 千葉の組合員たちは口々に、かれらを弾劾しました。さすがに全国からの多勢の組合員が見守り、楯をかまえた機動隊がいならぶ前では、革マル公然部隊が直接に手を出すことはありませんでした。しかし、会場内外の襲撃で、千葉地本の組合員に、多数の負傷者が出ています。そのなかには肋骨ヒビ割れ、首のムチ打ち症、重症打撲という長期の加療を要する人びともいます。
 襲撃者は、決してただの野次馬集団だったのではありません。数10名の集団の先頭には、本部・佐々木青年部書記長(北海道)が立っていました。また、前青年部長の大久保という男や、静岡地本の戸田という男などが現認されています。テロ集団は、そのように、中央の現青年部幹部によって組織され動かされた徒党であることが明白です。さらにそういう連中を手足のように使って動労中央を私物化する一部中央幹部がその背後にいることも明白です。
 千葉代議員、傍聴者の一団は、負傷者の応急手当をすませ、本部・林委員長に電話できびしく抗議したのち、帰途につきましたが、帰り途、各地の代議員や傍聴者の組合員たちから、
「千葉のみなさん、大丈夫ですか」
「私たちも、どんなことがあっても頑張ります」
「ともに頑張りましょう」
と、温かいはげましのことば、強い連帯のことばがつぎつぎとかけられました。負傷した千葉の労働者たちにとって、それは医者の手当にもまさる良薬として心にしみたのにちがいありません。

セクトによる組合私物化の行きつく先

 5日間の大会は、はじめから終りまで、一部の策謀者による千葉地本攻撃に焦点をすえた引きまわしによって強引に運営されたといっても過言ではありません。
 場内には、地元「岡山地本」の腕章をつけた者が多数、「場内整理」とか「警備」とか称して配置されていました。しかしこれは岡山地本が配置した者ではなく、関西地評の各地本青年部から集められた連中です。いったい何にたいする「警備」なのか。この集団ははじめから千葉地本の代議員、傍聴者を「整理」の対象として、それ以外には何の目的ももたないかのようでありました。かれらは千葉の傍聴者をとりかこみ、口々にののしり、 一方的に騒ぎをひき起しました。また代議員席最後部におかれた千葉の代議員席のすぐ後ろに集まって、代議員の耳もとでたえず低劣な罵声を放っていました。かれらは、挑発を目的として編成された集団なのです。
 三里塚問題の修正動議に賛成の手をあげた代議員にたいして罵声がとばされたことを前に述べましたが、そこには、その人びとひとりひとりの名をよびすてに呼んで、「地本へ帰ったらどうなるかわかっているんだな!」などと、聞きずてならない直接の脅迫のことばがまじえられていました。大衆の面前で、臆面もなくそんな脅迫の罵声を発していたのは、現関東地評青年部長の村上という男や、前本部青年部長の大久保、前関東地評青年部長の徳永といった連中です。
 この修正動議の討論採決があった翌日の大会第3日の朝、開会前の代議員席で、新幹線地本の吉村代議員が多勢にとりかこまれました。かれらは口々に、「吉村、いつ千葉とくっついたんだ!」
「吉村、ここから出ていけ!」「列車転覆を認めるのか」と、あたりを揮からぬ大声をあげ、まわりの他の地本の代議員が見かねて止めに入るのを突きとばすありさまでした。吉村さんは、新幹線地本で修正動議に署名した3人の代議員の1人です。昼の休憩時間には、代議員もまじえた20人ほどが吉村さんをとりかこみ、会場の外へ連れ出しました。修正動議に挙手したその他の代議員にも、会場のなかで、ロビーで、会場前の広場で、多勢がとりまいて脅迫する光景がいくつも見られました。
 どうしてこれほどまでに執拗をきわめた恫喝と脅迫があるのでしょうか。
理由は明白です。動労の機関に入りこんだ一部の者の、派閥を背景にした引きまわし、運動の私物化にたいして、千葉地本が従来から終始、一致団結して抵抗をつづけているからです。かれら一部による運動の私物化は、これまでも眼に余るものがありました。ことにそれがむき出しの形であらわれたのが、昨年(1977年)10月に動労中央執行委員会を通じて動労の全国的な運動に持ちこまれた、例の「水本問題」です。「水本問題」というのは、革マル派が昨年1月以釆「権力の謀略」などといってさわぎ立てている問題です。これをそのようにさわぎ立てる根拠というものが、まことにつじつまの合わない、こじつけとしかいいようのない奇怪なシロモノなのですが、動労中執は問題を各地本の討議に付する経過も経ず、「水本問題の真相を究明する」運動なるものに賛助団体として加わることを即決し、即決と同時にそのわずか10日あまりの後に開かれることがきまっていた、日比谷公会堂の「水本問題」集会に、動労の組織動員として組合員が参加することを全国に指令しました。その後この「水本問題」集会は、大阪、中部、福岡、札幌、北陸などで、参会者の大半が組織動員された動労組合員で占められるという奇態な形でひらかれており、今年2月19日には、全国最大限動員という指令をおろして日比谷野外音楽堂の集会に組合員を集めております。
 いうまでもなく、革マルがひとりで騒ぎ立てるこんな「水本問題」などというわけのわからぬキャンペーンに同調するグループはどこにもありません。「水本問題の真相を究明する会」などというものも、革マルのしつこい強制勧誘に閉口してわけがわからないまま名前だけを出した人たちの、実体のない名目上の集りにすぎません。まして労働組合として、こんなうさんくさい運動に組合員を強制してまでかかわろうなどという組合は、動労以外どこもありません。これは全国の労働運動の笑いものです。
 千葉地本は、労働運動の当然の良識として、「水本問題」で全国の組合員を強制動員することに反対しました。

 そして、ジェット闘争のさなかの2月19日に日比谷野音で開かれた全国動員の集会には、一人の参加者も出しませんでした。そのことが中央機関の一部の者によって、千葉地本の統制違反、勝手な行動として、攻撃の口実とされているのです。だが一体全体、「水本」で全国組織動員を指令した中央は、おなじ時期に千葉地本が全力をあげて闘ったジェット燃料輸送阻止の百日間闘争の全期間を通じて、ただの一度でも現地に千葉地本以外の動労組合員を大衆動員したことがあったでしょうか。クライマックスの3・1ストにさいして、ジェット闘争支援共闘会議と三里塚反対同盟は、闘争の拠点となった佐倉機関区に、早朝から全国の市民・学生・労働者一万人を結集し、千葉地本組合員とともに集会とデモをもちました。だがそこに、動労全国地本からどれだけの組合員が集まったでしょうか。動労組合員は、千葉地本以外、中央から派遣された一、二の中執が顔を見せていただけで、ひとりも集められていません。ジェット燃料輸送阻止の闘争は、動労が中央機関の決定として取組みをきめた全国的な闘争の課題であったはずです。しかも、「水本問題」などとちがって、これは純粋に労働者の労働運動の課題なのです。それを、動労中央は、ジェット燃料闘争の上に「水本問題」をおき、「水本問題」にネガディヴであるという理由で、ジェット燃料闘争に全力を投ずる千葉地本に圧力をかけました。


機動隊の暴力で戸村さんが負傷

 このやり方は、どう見ても奇怪です。労働運動のやり方ではありません。そしてそれがとうとう、三里塚闘争を「極左暴力集団」の闘争と非難し、「反対同盟と一線を画する」といい出すところまで行きつくのです。
 大会では、反対同盟を非難する口実として、もっぱら、戸村委員長がああいった、こういったということをいい立てています。城石組織部長は、三里塚問題にたいする修正動議の採決にさいして、「戸村委員長の三里塚の闘いを職場へ行って組合員にやれというのか。」(大会第2日)と恫喝し、さらに、「戸村委員長の発言に反対するという農民と共闘する」(第4日)と、開き直っています。また青木書記長も、それとまったくおなじ脈絡で、「反対同盟の言動を問題にしている。…『線路に爆弾を』といわれて良いといえるのか。言えるならいってほしい」(第3日)と、大見得を切っています。そして、そういう本部側の発言に同調する東京地本や新潟、高崎地本などの代議員たちも、だれもかれもがハンでついたようにおなじ調子の文句をいい立て、弥次馬集団のヤジの文句も、代議員をとりかこんだどう喝のことばも、「列車転覆を認めるのか」「ハンドルがにぎれるのか」といった、パターンのことばに終始しました。場内では、「動労本部青年部」の名儀による三里塚空港反対同盟・戸村一作・石橋政次・北原鉱治の特徴的発言集」なるものがまかれています。これは、週刊誌や新聞報道の記事のコピーを集めてとじ合わせたものですが、そこには、「戸村氏の言動に関心、警察当局、破防法の適用も」という今年4月はじめの新聞記事のコピーも麗々しく掲げられています。まさしく、そこにかれらの三里塚非難の本質がむき出されているといえましよう。かれらは、三里塚闘争に集まる全国的な関心と共感にたいして、破壊活動防止法をちらっかせることによってどう喝を加えようとこころみた警察権力の意図するところに、文字どおり、まったく迎合し切っているのです。そして、この警察の意図を、恥しげもなく、そのまま動労組合員に取り次いでいるのです。
 三里塚13年の闘争は、いま全国のひろい関心と共感のなかにあります。これが、成田の強制開港の段階にいたってこれほどの大衆的関心を集めるにいたった背景には、反対同盟13年の持続する抵抗があったことはいうまでもありませんが、この抵抗がたんなるコトバだけの、言論に依拠するだけの運動であったなら、同盟の運動も組織も、国家権力の暴力的制圧のもとで、とっくの昔に雲散霧消してしまっていたことでしょう。反対同盟が13年のたたかいを持続しえたのは、権力の暴力的介入にたいして身体を張って対抗する実力抵抗の闘争を、おのづから自らの姿勢とするにいたったからにほかなりません。そしてそのような実力抵抗がつづけられだからこそ、今日の成田開港批判の世論のたかまりもありえたのです。戸村委員長が、権力の暴力にたいして「実力による対抗を」、とよびつづけることばの背景には、かって戸村委員長自身、機動隊の警棒の乱打によって血を流した体験をもつ、13年の反対同盟のたたかいの実感がこめられているのです。
 動力車労働組合は、ジェット燃料貨車輸送阻止のたたかいに立ち上りました。戸村委員長と空港反対同盟は、ここに三里塚闘争においてはじめて労農同盟の闘争が実現されたということばで、この動労の決起を評価しました。
 動労のジェット燃料輸送阻止の闘争は、いうまでもなく輸送をになう労働者が業務を拒否するというストライキの手段によるものです。これは、生産手段をになう組織労働者にしてはじめて可能な行動であり、それが組織労働者における実力行動というものです。反対同盟も戸村委員長も、三里塚における労農同盟ということばで動労労働者に期待するのは、動労のそのような組織的実力抵抗の行動であって、それ以外の何ものでもありません。戸村委員長は、動労の組織にたいして、線路を爆破せよ、貨車を脱線させよと求めたことが一度だってあるでしょうか。
 三里塚闘争には、さまざまな運動が、さまざまな行動形態を以て参加しております。同盟はそれらの中心であり、拠りどころでありますが、同盟として、それら支援の行動に一律の形態を強制したようなことは、これまでに一度もありません。形態を異にする運動が、同盟を中軸にして結集している―それが三里塚闘争の総体です。そのことを、修正動議の趣旨説明に立った千葉地本の布施代議員は、三里塚闘争に共闘する労働組合の立場から、「住民闘争、地域闘争と、労働組合とのことなる.性格をおたがいに認め合うことが必要だ。労働組合が自分の運動の性格をタテにとって、住民・地域の闘争をあれこれいうのはまちがいだ」とのべました。また門司の隈元代議員も、「三里塚との共闘、連帯の強化をいうと、戸村委員長がこういつている、それをお前ら認めるのか、という。そういういい方はまちがいだ」と、本部の発言をきびしく批判しました。これが動労のなかの真実の労働者の声です。
本部機関をあやつる一部の策謀者たちは、動労の戦闘的労働運動の方向をねじまげる方針を、恥も外聞もなく、公然と打ち出すにいたりました。かれらは、今度の大会では、三里塚問題だけでなく、貨物合理化の問題でも妥協路線を打ち出しています。それは、「当局が貨物の市場競争に敗れた原因に、ストによる不安定要因をあげているが、それならば当面貨物をストの対象から外して、当局に口実をいわせないようにする」という趣旨の方針でありますが、これも当然、大会ではげしい議論をよびました。ジェット燃料輸送阻止の視点でいえば、当局はこれを灯油なみに指定し、通常の貨物輸送の扱いをしているわけですから、貨物列車のスト放棄はおのずからジェット闘争にもかかわってくることになります。ジェット闘争はともかくとしても、国労の妥協・安定路線を日頃手きびしく攻撃する動労として、これでは看板の戦闘的精神が泣くというものでしょう。大会の本部答弁は、「貨物減と合理化は別問題。貨物の安定宣言は、当面の戦術活用だ」と説明しましたが、それにたいして大会代議員から
「戦術の活用ではなくて、路線の変更に通ずることだ」「これが合理化でないというなら、心からビックリする。貨物削減は合理化からくる。それをスト対象から外すのはナンセンスだ」というように、動労の前途を真剣に憂える何人もから強い批判が出されています。

戦闘的労働運動の再生を!

 以上、大会経過の実状に即して見てまいりましたように、今回の動労の右傾化の方向は、決して動労全組合員の納得のいく討議の結果において出て来ているものではありません。それは、動労中枢に入りこんだ一部の者の、陰険きわまりない動労私物化の策謀として打ち出され強行されたものに他なりません。このまま事態が推移すれば、おそらく、動労という日本の労働運動における有数の戦闘的経合は、この一部陰謀者集団によるほしいままな組合民主主義破壊のなかで、組織の混乱、組織の破壊にまで立ち至るでしょう。
 動労運動方針書の三里塚問題にたいして異議を呈した私たちの意見は、全国から多くの賛同署名老を得ましたが、その署名者にたいして、いやがらせやどう喝の電話がかかり、なかには多数でおしかけて署名取下げを強要するという事例が、いま各地に瀕発しております。このやり方は、全国大会でかれらに反対する代議員にたいしてやられたやり方にそのまま酷似します。
 たとえばその一例として、群馬県下では労働組合役員、活動家を中心とする多くの賛同署名者がありましたが、その人びとにたいして、「動労高崎地本の者だが…」と称して、「署名を撤回せよ」「動労への組織介入だ」「動労に文句があるのか」と、一方的にわめきちらす電話があり、さらには名前を名のらないで職場に電話してくる等々のいやがらせが頻発しました。そのなかで、高崎地本組合員と称する20人ほどの多勢が、早朝、ある労働組合役員の自宅におしかけて面会を強要し、そのうち数人が土足で居間にふみこんだという事件も起っています。
 群馬県下の署名よびかけに活動したジェット闘争支援共闘会議の人びとは、これらの事態を重大視してただぢに動労高崎地本へ抗議に赴いたところ、同地本委員長は、「高崎地本として、そのような行動を指示したことはない。だが調査の上、組合員のそのような行動があったという事実が判明したら、あらためて陳謝する」と回答しました。 おそらく、委員長自身は何も知らなかったのでしょう。つまり、地本としての組織活動というものではなかったのでしょう。しかしながら、7月4日の大会2日目、高崎地本から出てきた武井代議員は、得々として、こう発言しています。
「反対同盟とりまきの文化人の名が使われている『撤回要求』には群馬で19名が署名したが、そのうち3名が取り下げている。残りは勝手に名前が使われている人たちだ」。この19名とか三名とかいうのは、事実とちがういいかげんな数字ですが、武井代議員の言葉から一点だけ真実を知ることができます。それは、群馬で動労高崎の組合員がかかわった取り下げ強要の事実があるということです。しかも、かれはそれがどんな形でやられたのか、ということはひたすらに隠蔽しています。
 最近、動労中央本部及び本部青年部通達として、およそ、次のような方針が全国の組合員におろされていると聞きおよびます。
一、「動労全国大会運動方針案における三里塚反対同盟への敵対部分の撤回を強く求めます。」なる署名運動は、戸村一作、浅田光輝、羽仁五郎などが呼びかげ人となって展開されているものであるが、この署名者へのオルグを強化すること。
二、この署名運動は、戸村一作の言動などについて一切触れることなく、全国大会運動方針の「反対同盟と一線を画す」という点だけを御都合主義的に抜き書きしており、よびかけ人として名を連ねている者もこれまで動労と連帯・共闘してきた者ではない。したがって、この署名運動は、動労と連帯する観点からの署名運動ではない。こうしたことを前提的に認識した上で署名者のオルグをすること。
三、署名対象者は無原則的であり、どこの誰ともわからぬ者が多い。本人が知らないうちに名を連ねられている者もある。したがって、署名者の署名した真意を確かめ、動労運動の方針を明らかにすること。
 だいたい、以上の趣旨だそうです。これはまた、何と独善的な、動労を私物化した者のいい草でしようか。それは、いやがらせの電話をかけたり、おどし文句をいったりすることを、組合員に上から指令してやらせよう一というあまりにも珍奇な「方針」といわざるを得ません。そういうやり方は、これまで革マル派がナーバスと称して愛用してきたやり方ですが、それを今回はいよいよ労働組合を前面に立ててやろうというのでしょうか。あきらかにこれは、切端つまったあげくの後退現象と見るほかはありません。いったい、全国各地本のどれだけがこんな指示に従うか、おそらく動労組合員の名をかたった外部の者が多数入りこんで動きまわることでしょうが、これからが大いに見ものです。それにしても、この力のいれ方はまことに異様というほかはありませんが、これはそれだけに、「同盟と一線を画する」という三里塚誹謗を打ち出したことが、かれらにもいかに後ろめたいものであったか、それにたいする私たちの抗議と撤回要求がかれらにとっていかに大きな打撃であったかということを、それ自体において如実に示すものというべきでしょう。

 今回の第34回定期全国大会を経て、動労全国の労動者のあいだに、「一部のセクトをここまでのさばらしてしまったことは、われわれ組合員の責任だ」「いまこそ、何とかしなければならない」という声が湧き起っています。動労は必らずや再生するでしょう。そしてジェット燃料貨車輸送阻止の闘争は、あくまで初志の貫徹を堅持する千葉地本を中心に、必らずや本格的に再開されるでしょう。

1978年8月