「生涯一労働者」 追悼 佐藤芳夫さん 
 労組交流センターの代表運営委員であった佐藤芳夫さんが、昨年11月25日、78年の労働者人生を全うされた。佐藤さんは、三里塚ジェット闘争以降かぎりなく動労千葉の支援を訴えていた。交流センターの集まりで、「帝国主義の全攻撃を引き受けつつ、組織破壊攻撃に打ち勝ってきた組合が動労千葉以外にどこにあるのか」と動労千葉労働運動を熱く語っていたことを忘れることはできない。
       佐藤さんの著書の一部を紹介する。

率直に動労千葉支援を

・・動労千葉の先進的なストライキ、警官隊の包囲の中で分割・民営化反対のストを打ちぬき、二〇人の解雇者を出し、翌年二月の第二波ストと合わせると二八人の解雇者を出して闘ったことを、ほとんどの労働組合、国労などは宣伝もしない。
 だが、今度の国鉄清算事業団闘争、分割・民営化粉砕闘争の中で、国鉄労働者は新しい質を築いてきたという確信を持つ必要かある。先に述べた、本工労働者が先に風呂に入るのが当たり前という、ぶざまな階級性を失った状態を克服してきた。
 当局のありとあらゆる不当な差別・選別による清算事業団や人活センター送り、売店や要員機動センター、ベンディングセンターなどへの強制配転、賃金差別、いやがらせ、切り崩しなどに耐えがんばりぬいている。動労千葉も、不当な差別を受けながらそれと闘いぬき、安全闘争、三里塚闘争を闘い、しかも勝てるという確信を持って闘っている。
 こういう人たちを糾合しうる新たな戦線は、連合でもないし全労連でもない。そういう新たな戦線をつくることは厳しいけれども、決してひとりよがりではなく、あるとすればそれは全国労組交流センターの現在の闘いとその組織にしかないという確信を持つべきだ。
 たとえば、今日の帝国主義の段階の敵の全面的な組織つぶしに耐え、闘っている動労千葉のような質を持った労働運動でなければ、敵の徹底的な破壊攻撃には耐えられない。
 ぼくはそう思ったからこそ、動労千葉の中野洋委員長から全国労組交流センター結成を持ちかけられた時には、一も二もなく賛成したし、九一年のアメリカのイラク・中東侵略戦争を機に、日本が「国際貢献」などと言って自衛隊の海外派兵をうちだした時にも、やはり中野委員長からの提起に応えて、反戦共同行動委員会の結成にも賛成した。
 動労千葉を本当にどういう党派が支援しようが、実際に分割・民営化の最先端で闘っている動労千葉に対して、それが白であろうが青であろうが、どうでもいいけれども、しかしその闘いをみなが教訓化し、それに続けと大胆に言い切れるような率直な労働運動が国労の側になければならないと思う。しかし、実際は動労千葉が先頭に立って闘っていることを隠してしまう。そこが問題だと思う。とくに日本共産党系はその傾向が強い。そのくせ、党派にこだわらないなどと一丁前のことを言うが、ぼくは眉つばの奴がずいぶんいると思う。・・・
 だが、動労千葉をはじめとした国鉄闘争を、多くの労働者の階級的任務として闘うことは、普通の労働組合だったら当たり前のことで、決して階級的でも先駆的でもないはずだけれども、多くの労働組合自体がすでに体制内化され、事実上産報化されている中では、動労千葉の闘いは確かに珍しい闘いであり、他と比べればかなり戦闘的にならざるをえないことは事実だろう。
 だが多くの労働者は、これを決して変な目で見る必要はない。素直に動労千葉を支援するのか、しないのか、判断すればよい。全国の階級的労働運動を構築しようという人たちが動労千葉に対して、あれは何か党派が指導しているというだけで遠くの方から眺めているようだったら、日本の国家権力と真正面から対決するということは、これはウソだ。そういうセクト的なものを乗りこえて、「動労千葉と連帯する」と言い切る労働運動であってこそ、三里塚とも真に連帯できるのだと思う。
 

だが現状は、そこのところがなかなか言い切れない。だれでもかげでは「佐藤さん。動労千葉はすごいよね。よくやってるよね」と言うのだけれども、文章には全然書かない。あるいは書けない。
 何か妨害があっても、そういうものを恐れず、正しいものは正しいと言い切れる左翼でなければ、今の状況では左翼ではない。大体、天皇制に対する言論の自由がないのと同じように、最も先駆的に闘っているところについて、自由に物が言えないような労働運動が、本当に革新的な労働運動と言えるかどうか、疑問だ。…
 …「動労千葉は闘っている。連帯しよう」と、なぜ言い切れないのか。動労千葉の方は、そんなこととは関係なく、闘っているところとは連帯していくと、いつも言っている。
 それは統一戦線なんだから、意見の違いはあるだろう。ただ敵や、敵と一体となって闘争を破壊しようとする者に対しては、共に猛然と闘っていくのは当然だと思う。
 ぼくがこう言うのは、別に動労千葉が好きだからとか、個人的な理由からではない。動労千葉と連帯していく上で、何か特異な勢力であるかのように見られたり、むずかしい問題はあるかもしれない。だが、動労千葉がやっていることを正しく見て、正しく評価することが、今の日本の全体の運動、自分たちの運動を前進させることになるという姿勢が、今日必要なのだということを、ぼくは強調しておきたい。