破防法研究53 86/2月

佐藤芳夫

 去る11月17日、3400人の労農学市民の前で、動労千葉の中野委員長は、毅然としてこう宣言した。「動労千葉は、きたる11月29日、不退転の決意をこめて断固ストライキに突入します」。その声はおちつき、少しの気負ったところもない。むしろ淡々としたものであった。会場を埋めつくした人々は一斉に立ち上り、「ウォー」と声をあげ、この歴史的な宣言に賛同の意志を表わした。
 同労組が国鉄の分割・民営化という名の10万人首切りと国鉄労働運動解体攻撃に抗して11月末、「全員火だるまになって」ストライキを決行することは既に知ってはいたが、「29日」という日時を発表したのは、この「11・17全国鉄労働者総決起大会」(於・日比谷野外音楽堂)が初めてのことであった。
 私は感動した。いや文章では表現しえない締めつけられるような胸の痛みすら覚えた。「すごい」ということを叫ぶことすら恥ずかしくなる。この宣言をはたで聞いて「ヤッタァ」という傍観者的立場ではいられない深刻な責任感もあった。私は、動労千葉第10回定期大会における中野委員長の“開会あいさつ”と、“総括答弁”を収録した青パンフ『動労千葉はストライキに立つ』を読んでいた。その中で彼は「これだけやられながら、国鉄労働者はストライキで列車を止めていないんです。今こそ労働組合は、労働組合らしく闘わなけばなりません」といっている。
 これだけやられているのに、そうだ「これだけやられている」のにである。昨年の8月に発表された“国鉄監査報告”によると、昭和59年度の年間赤字は、総額1兆6千504億円であり、長期債務わ21兆8269億円に達したという。国鉄再建監理委員会の7・26答申は、国鉄の分割・民営化(昭62・4)によって、一方ではこの膨大な債務の大半を国民に負担させつつ、他方では国鉄労働者約93000人の合理化、すなわち、ここ一年間に、国鉄労働者の3人に一人の首を切ることを骨子とする答申であった。

 公共企業体は、もともと赤字も黒字もない性格のものだが、それはとも角、この「赤字」なるものを生み出した張本人は、国鉄労働者でもなく「一般国民」でもない。日本の独占資本共であることは言をまたない。私の所属する石川島播磨重工の元社長であった「ミスター合理化」こと土光敏夫と、その忠実な下僕、資本の落穂拾いである第二組合(石播重工労組)の委員長であった金杉秀信(こやつは、教育臨調の委員もつとめ、教育基本法を改革せよと唱えた)を含めた、いわゆる「第二臨調」において、この国鉄分割・民営化が打ち出されたのは周知のことである。その狙いは、第一に133兆円にものぼる国債発行によって事実上破綻した国家財政を“救う”こと、第二に、毎年、3兆4〜5000億円程度の軍事費を確保し「戦争遂行能力のある国づくり」、つまり軍事大国化を果すこと、第三に、日本の労働組合、とりわけビッグビジネスユニオンといわれる民間大手労組の“産報化”がすすむ中で、いまだ相対的に戦闘性を保持している国鉄労働運動を徹底的に解体しつくすことにある。“民間活力"というのは、 たんなる競争原理の導入という合理化にとどまらず、労働者と労働組合から、その階級性を骨抜きにする思想攻撃なのである。

 すでに国鉄当局は、答申を待たず、国家権力、マスコミを総動員してのヤミ・カラ攻撃から、出向、配転、高年齢者への退職強要等いわゆる「合理化三本柱」攻撃を強め、ワッペンの着用まで許さぬほど徹底したところにきている。こういう居丈高な当局の横暴を許しているのは、国労・動労中央の企業防衛、生き残り路線という敗北路線であり、全民労協から全民労連へとすすむ、日本労働運動総体の右翼化なのである。そして今や、自民党が81年度運動方針でのべていた「八五体制」の重要な柱の一つとして労働組合の大部分を『味方』に引き入れる策動が功を奏しつつあるものと見ておくべきだろう。  

 「情勢が不利だから低姿勢を」というのは、いかにも戦略的なようだが、こんにち、この路線は、労働運動の解体、産業報国会化を促進する犯罪的役割以外の何者も果していない。
 権力はこの「85体制」の枠を打ち破ろうとするものを許さない。昨年の国鉄再建監理委員会答申抗議闘争に対する彼らの報復攻撃は、熾烈を極め、停職20人を含む64387人もの大量懲戒処分攻撃として表現された。
 そしてまた、国労との間の雇用安定協約の再締結問題では、「国労はこれまでの態度を反省し、余剰人員対策を積極的に進める意志表示をせよ」等の極めて階級的・攻撃的な態度を打ち出し、それがハッキリしない限り協約の再締結はしないというのだ。不当労働行為などクソくらえ、ともいわんばかりである。
 いよう、敵ながら立派。堂々たる宣戦布告ではないか。だが、国労はこの挑戦に断固反撃してこれに応えることもなく、当局からの「布告」をつきつけられた数日後、拡大中央委員会を開いて(11月19日)、『三ない運動』を中止し、当局に対して屈辱的な媚を売る仕末であった。こうした職場における団結の解体が行われ、未組織労働化の進行の中で、国鉄労働者のうち、実に34人もの人たちが自殺に追い込められて行ったのである(昭60・1〜10月までの合計)。正に中野委員長が痛烈に指摘した通り「これだけやられながら国鉄労働者はストライキで列車を止めないんです」。

 しかしながら、敵前逃亡、変り身の早さを示した動労中央、鉄労、全施労など指導部の苦しい思惑や、国労の動揺の中ですら、下部で苦闘する国鉄労働者は、怒りをふるわせて闘いを持続させたのである。すなわち、全施労傘下の400人の労働者は、かつて動労千葉が三里塚農民との熱い連帯を貫くべく、分離独立して闘いを堅持したと同様に、同労組を脱退して立ち上った。また、12月5日国鉄当局が、全国3503箇所で実施した「第八次職場規律総点検」の結果、勤務時間中の組合活動は、前回の35箇所から110箇所に増えた。又、点呼の再、管理者の支持に反して全員が返事をしなかった職場も、全壊調査より17箇所も多い145箇所もあった。勤務時間内の入浴も、前回と変らないという通り、組合幹部が、労働大臣や、日経連の幹部とゴルフコンペをやっている最中でも、職場では血みどろの階級攻防戦が行われている事実を明らかにした。

 あたりまえの労働者の闘い

 かくして、1985年11月28日、あの日比谷野音で動労千葉の中野委員長が宣言した“11・29スト”の1日前、動労千葉は堂々と歴史的なストライキに突入したのである。文字通り、労働者が心底から怒ったらどんなに怖ろしいことになるかを敵に思い知らせたのであった。むろん「ストライキは暴動より難しい」(マルクス)という通り「女房や子供の生活を賭け」首をかけての決断であった。動労千葉の1100名の労働者が特別に戦闘的でも、革命的でもないのだ。ごくあたりまえの労働者たちであった。ただ、恥知らずにも敵前逃亡をしているふぬけ幹部共とちがうのは、仲間を裏切らない、信じ合う、恥を知る人間群なのだ。国鉄当局にこれほどまで痛めつけられ、苦しめられ、恥ずかしめられている以上、人間の良心をかけて抵抗に立ち上ったのであった。
 あの第二次世界大戦中、ナチズムの大虐殺に抗し武器をもって立ち向つた市民のように、近くは、韓国の学生が、全斗煥の軍事ファッショに抗して米文化センターを実力で占拠したように、マルコス王朝支配に抗してフィリッピン人民軍が貧民解放闘争に立ち上っているように、そして三里塚農民が、農民としてのあたりまえの大義を掲げて部厚い警察機動
隊と立ち向っているように、動労千葉1100名の労働者は、「これがあたりまえの労働者だ」として猛然と決起したのであった。この「あたりまえ性」が、こんにちの労働運動の右翼化の中で、実は鋭い階級性を帯び、先駆性を発揮したのである。そしてこの闘いこそ正に全国鉄労働者の心にある苦しみや悩み、怒りを一身に体現したものである。だから私は、心を揺さぶられた。感動した。日常不断、国家権力や資本とその落穂拾いらに差別され、抑圧されている山谷、釜ヶ崎、寿などの“寄せ場労働者”、被差別部落民大衆、「障害者」、在日外国人、下請工、日雇、パート、婦人派遣労働者、そして大企業の中でも「村八分」にされている沢山の労働者たち、争議組合、争議団の人々、三里塚の人々、全ての人々があのストライキに共感と感動を示した。これは、動労千葉の「あたりまえの労働者」の勇気と良心がそうさせただけではない。中野委員長を中心としてガッチリ団結する献身的指導部の的確でかつ冷静な、そして断固たる指導が、あったからである。ストライキを一日くり上げたのは、国労・動労の指導者連中が、当局の恫喝のなかで「スト破り」要員を派けんする動きの中での戦術変更であった。だが、「ストをやらない」国労の中でも、下部労働者は、動労千葉の決起に応えようとした人々がいる。国労津田沼分会では、当局のスト圧殺に向けて大量のスト破りを行わせる「業務命令」の発動に対し、白熱した討議の結果、「スト破りは拒否する」との感動的な方針を満場一致で決定した。9500人の機動隊、数百台の装甲車、放水車、公安、白腕の総動員、そしてこれに抗し、まさに「天を衝く怒り」をもってかちとられた動労千葉二四時間ストの中で、二名の国労の組合員が動労千葉に加入したのであった。

 国家権力、国鉄当局は動てんし、「全員首だ」とわめきちらしたが、同時に発生し“ゲリラ闘争”ともあいまって、首都圏の列車は完全にストップしたのであった。ゲリラ闘争の評価はとも角として、「国鉄マニア」である私の伜をふくめ、全での被差別人民は「ザマーミロ」と叫んだ。

少数でも闘える

 かくのごとき歴史的なストライキに対して自民.日共の声明は、いわずとも知れたものだが、国労と動労は、国鉄に対するゲリラ事件についての非難声明を発表した。よく読むと、動労千葉のストについてはふれず、ゲリラ事件には両組合とも無関係だ、復旧作業には当局に対して全面的に協力する一といっ ているだけであった。その声明は弱々しく、まるでマスコミによってつくられた「市民一般の声」と何ら変るものではない。動労千葉がなぜストライキに立ち上ったのかを説明すること一つできないのだ。また、この日、社会党は国電渋谷駅前で予定していた「2・29国鉄再建統一行動」を延期し、五千万署名運動も中止したという。だがこの同じ29日、私の所属する石川島分会は、東京・江東区南砂町二丁目公園の団地を一軒一軒歩き、約二〇〇の署名を集めたのであった。
 この日私は、兵器生産(年約一〇〇〇億円)をしている石播重工にわざわざ出勤して働らいた。国鉄ストなどの時、私はいつも無理して出勤するのである。そのストの効果が、軍需独占資本はいうに及ばず、日本の独占資本にとってどの程度の打撃を与えているのかを知るためでもあった。この11・28〜29スト当日の職場は、人影も少く、あたかも公休出勤日に出勤したほどの閑散ぶりであった。  翌30日の新聞では、「国鉄の被害は一三億円、千葉管理局だけで約9千万円」との記事が発表されていたが、とんでもない話である。
 中曽根改憲内閣と日本独占に与えた打撃は計り知れないものがある。
 権力側は、早速、ゲリラとは無関係の動労千葉の組合事務所を家宅捜索したという。そして当局は、「このような違法ストに対してはダンコ処分する」といきまいている。一体全体、法に違反しているのは誰なのか。公労法は、日本の憲法一八条、二八条に明らかに違反するばかりでなく、国際労働機構(ILO)憲章ならびにその条約を公然とふみにじる悪法ではないか。しかも動労千葉の切実な要求に対しては、ろくな団交もやらず、結論のみを一方的に押しつけるという違法行為を繰り返してきたのは誰なのか。
私はあの歴史的なストライキのあと、千葉市で開かれた「動労千葉、12・9総括集会」に参加した。会場は立錐の余地もないほどの人々で埋められていた。実は私は「あたりまえの労働組合」としての動労千葉の人々が、“全員首だ”とわめきちらす当局の方針をどう受けとめているか、ちょっと不安を持っていた。敵の攻撃が激しければ激しいほど中野委員長を中心としてガッチリ結束していなければ危険だ、やられたらやり返せの気構えがないと当局からつけ込まれる一こう考えて短時間の激励あいさつを行った。だが、私が抱いていた小さな不安は、自らに恥じる結果になった。相も変らず中野委員長は冷静で気負いがなく、時にはニコヤカに、話をつづけた。また一方、参加している人々も、いたずらに神経をたかぶらせることもなく、話をきき、時々「異議なし、そうだ」と呼応する。
 誠に立派なもんである。実にみごとに統一している姿を見ることができた。しかも全体が「やられたらやり返すぞ」という気迫に満ち満ていたのである。こうだから、動労千葉の人々は国鉄労働者全体の中では少数派だが、「手強い存在、あなどり難い存在」なのだと思った。
 興奮のるつぼではなく、沈着な労働者魂がそこの会場に溢っていたのであった。動労千葉の闘いは、あのジェット燃料輸送阻止決起にもみられるように「少数では闘えない」という神話を粉砕し、「少数でも、そこに大義があれば、人々を感動させ、共感を拡げ、必ず成果がある」ことを立派に証明しだのである。すでに三菱重工長崎造船労組が動労千葉に対する闘う連帯のスト権確立と共に、30万円のカンパをもってこれに応えている。私たちも「一億円基金カンパ」の完全達成と、職場、地域での支援活動を、目らの階級的任務として闘い抜かなければならない。

(さとう・よしお全造船石川島分会委員長)