業務移管―基地統廃合攻撃との闘い
 さらに、以上のような個々の組合員に対するあらゆる種類の不当労働行為、差別・選別・分断攻撃とともに、業務移管や基地統廃合によって、動労千葉の拠点職場を丸ごとつぶす攻撃が、組織破壊攻撃の重要な一環としてくりかえし襲いかかった。
●成田運転区廃止攻撃と津田沼支部破壊
 その始まりは、すでにふれたように85年11月スト直後に提案された、津田沼電車区、千葉運転区の業務の大幅な東京三局への移管攻撃だったが、つづいて86年11月ダイ改では成田運転区を廃止し、その業務を丸ごと東京北局に移管する攻撃が襲いかかった。
 成田運転区は、三里塚ジェット闘争の拠点として権力・当局の憎悪を一身に受けていたわれわれの拠点職場であった。業務効率からいえば廃止の理由などなにひとつなかっか。
 さらに91.3ダイ改では、津田沼運転区を廃止し、津田沼車掌区の一部業務を融合して習志野運輸区を設置するとともに、管内の業務をさらに大幅に(計7000キロ)東京に移管した。総武緩行線の運転業務は、がっては津田沼が六割、中野が四割の比率で担当していたが、数次にわたる業務移管により、2割を切るまでに削減され今日にいたっている。
 これらの攻撃は、88年11月の京葉線暫定開業にともなって新設された京葉運輸区を「聖域化」と称して東鉄労(現JR東労組)の組合員で充当したのと並行して、首都圏の国電区間から動労千葉を一掃する攻撃であった。東京では広域異動をテコとした“血の入れ換え”で国労を運転職場から一掃したが、動労千葉が存在する千葉では、東京への業務移管がそれに代わる手段となった。動労千葉の拠点職場、津田沼・千葉転・成田の破壊が目的だった。動労千葉はこの攻撃に対して、例えば津田沼支部解体を狙う91・3ブイ改時には、2・25第1波スト、3・15第二波ストなどのたたかいをもって反撃した。
 拠点職場を九ごと奪い去る攻撃は別のかたちでも道んだ。88年三月、本原綿が廃止され、第三セクター・いすみ鉄道に移行した。これに伴い11名が出向となり、これが千葉の運転職場における最初の本格的出向攻撃となったが、動労千葉は直ちに出向 先いすみ鉄道で、いすみ支部を結成してこれにたち向かった。

津田沼支部解体攻撃と対決し、臨時大会開催(91年3月)

89/11,20スト

いすみ支部結成 88年1月

営業分科結成(91年11月)

NEXT