国鉄1047名解雇撤回裁判
東京高裁は解雇撤回の判決を

 

「国鉄とJRは別」は大嘘

 国鉄1047名解雇撤回闘争をめぐり本当に重要な局面を迎えています。国鉄分割・民営化が政府・財界・司法一体の大陰謀であり、文字どおり国家的な不当労働行為であることを暴く時がきました。
 1047名解雇撤回の当該組合である動労千葉の鉄建公団訴訟は、第1審において「国鉄分割・民営化に反対する組合員を不当に差別する目的で名簿不記載基準が策定され、採用候補者名簿に載せなかったのは不法行為」「名簿不記載基準が策定されなければ、原告らは採用候補者名簿に記載され、その結果、JR東日本に採用されたはず」とする判決を出させました。
 しかし、1審判決を出した白石裁判長は総括判事の座を追われ、左遷されました。控訴審を行っている東京高裁・難波裁判長は、一切の事実調べを拒否して、わずか半年、3回の弁論で審理を打ち切り、結審を強行しました。すべてを闇に葬ろうとしています。

 判決は9月25日です。26年間の不屈の闘いと真実を裁判所に迫り、すべてを明らかにさせることが必要です。動労千葉・鉄建公団訴訟へのご支援を心から訴えます。
 動労千葉の鉄建公団(現・鉄運機構)訴訟の控訴審において5月8日、JR設立委員長が不採用基準の策定を指示し、選別解雇の当事者だったことを示す証拠を提出しました。

JR設立委員長の指示で葛西次長が選考基準を作った

 動労千葉の鉄建公団(現・鉄運機構)訴訟の控訴審において5月8日、JR設立委員長が不採用基準の策定を指示し、選別解雇の当事者だったことを示す証拠を提出しました。

 JR設立委員会の委員長だった斉藤英四郎(当時の経団連会長)が、葛西敬之(国鉄職員局次長。現在はJR東海会長)と井手正敬(JR西日本元社長)らに直接指示して、国鉄分割・民営化に反対する国労や動労千葉の組合員を排除するための不採用基準を作成させたのです。

 証拠として出された『国鉄改革前後の労務政策の内幕』には次のような事実が明らかにされています。井手元社長を囲む懇談会の議事録です。井手氏は福知山線脱線事故(尼崎事故)の被告でもあります。

 「我々はこのチャンスに、管理体制の立て直しをすべく……過去に何回も処分を受けたものは、やっぱりこの際、排除したいという気持ちは強かった」
 「そこで(斎藤委員長のところに)葛西君と出かけて話に行って……結果的には、まず、選考基準に合致しなかった者は駄目なんだということにしよう。そして選考基準は、斎藤さんが作れと言うので、不当労働行為と言われないギリギリの線で葛西が案を作り、それを斎藤さんに委員会の席上、委員長案として出してもらい、それは了承された」

 井手元社長は、不採用基準作成の経緯を得々と語っています。これは大変な事実です。

「国鉄とJRは別」の大ウソを天下に暴くときが来た!

 これまで国鉄分割・民営化による1047名の解雇はいかにして正当化されてきたのか。
 国鉄改革法23条は「国鉄がJRに採用される候補者の名簿を作成、これに基づきJR設立委員が採用を通知する」と規定。採用をめぐるJRと国鉄の権限を書き分けることで選別採用の仕組みをつくり、不当解雇・不当労働行為の責任がJRに及ばないようにしたのです。
 「採用候補者名簿を作ったのは国鉄。JRは提出された名簿を全員採用した。仮に名簿作成過程で不当労働行為があってもJRには関係がない」という虚構を捏造したのです。
 しかし実際には、国鉄とJR設立委員会は、最初から一貫して共同謀議して不採用基準の策定と採用名簿の作成を一体で行っていたのです。
 この決定的な事実は、国労本部を始めとする4者4団体の政治和解の過程ですでに明らかになっていました。にもかかわらず十分に光があてられませんでした。

動労千葉組合員は 当初、採用名簿に 記載されていた

 今回の控訴審に先立つ1審(東京地裁)において、元国鉄職員局補佐の伊藤嘉道に対する証人調べが行われ、動労千葉の組合員12人が新会社の採用名簿に記載されていたこと、12人を採用名簿から排除した張本人が葛西氏である事実を明らかにしたのです。
 本州のJR不採用者は、「採用する職員」が決定されるわずか数日前までは、採用候補者名簿に記載されていたのです。
 この時、本州3会社では採用者数の「定員割れ」が生まれていました。閣議決定された定員を割り込んでしまった以上全員採用するしかないと判断し、その旨の記者会見まで行っていました。
 動転したのが民営化の手先になった鉄道労連(現在JR総連)でした。「全員採用など認められない」という特別決意まであげて当局に激しく迫ったのです。こうして動労千葉や本州の国労組合員が採用名簿からはずされたのです。
 国鉄の採用差別の不当労働行為の構図と経過の一端がついに明らかになったのです。
 そしての昨年6月29日の判決において、@動労千葉など分割・民営化に反対する労働組合に所属する労働者を不当に差別する目的・動機のもとに名簿不記載基準が策定され、A名簿不記載基準が策定されなければ、当然にも採用候補者名簿に記載されて、JR東日本に採用されたはずであることが認定されました。
 葛西JR東海会長や井手JR西日本元社長らをこの証拠に基づいて証人尋問すれば、誰が、どういう経緯で、どんな目的で国鉄1047名解雇を強行したのかが明らかになるのです。
 国鉄改革法の作成には、裁判所から出向し、後に高松高裁長官を務めた江見弘武(現在はJR東海監査役)が関与しています。江見氏は2010年4月、「(JR不採用問題について)大きな誤算だった」と共同通信の取材で述べています。江見氏の証人尋問も不可欠です。
 国鉄分割・民営化から四半世紀。長い時間が経過しましたが、「解雇撤回・原職復帰」の原則を貫いて、闇に包まれた真実を一つひとつ暴きだし、ついにJR設立委員長と葛西JR東海会長、井手JR西日本元会長らが解雇を謀議した張本人として追及するところまで来たのです。

井手(元JR西日本社長)が語る選別解雇の真相

 30万人を21万5千人にする際の選考方法についてどうするかということについては、いろいろと曲折がありました。我々は、このチャンスに、管理体制の立て直しをすべく、助役に向かってつばを吐いたとか、その種のことで過去に何回も処分を受けたものは、やっぱりこの際、排除したいという気持ちは強かった。でも、それを余りに強く当局から言うと不当労働行為になりかねない。
 そこで当時、斉藤英四郎(当時の経団連会長)さんが(JR設立)委員長をしておられたんだけど、この人のところに、葛西君(現・JR東海会長)と出かけて話に行って、そこで、委員長として、きちんとした選考基準を出してもらわないと困るんだと言いに行った。いろいろ話をして、それで、結果的には、まず選考基準に合致しなかった者は駄目なんだということにしよう。そして、選考基準は、斉藤さんが作れと言うので、不当労働行為と言われないギリギリの線で葛西が案を作り、それを斉藤さんに(JR設立)委員会の席上、委員長案として出してもらい、それは了承された。

(『国鉄改革前後の労務政策の内幕』より)

動労千葉 鉄建公団訴訟 (解雇撤回・原職復帰裁判)
6・29東京地裁判決のポイント

@動労千葉など、分割・民営化に反対する労働組合に所属する職員を不当に差別する目的、動機の下に、名簿不記載基準を策定したと推認するのが相当
A名簿不記載基準が策定されなければ、原告らは採用候補者名簿に記載され、JR東日本に採用されたはず
(12年6月29日 東京地裁)

 

動労千葉組合員は当初、名簿に記載されていた」
採用候補者名簿を作成した伊藤証言

@職員からの希望調査を集約して各新会社(現JR7社)に振り分けた最初の名簿ができたのは87年1月中頃
A不採用となった動労千葉組合員12人を含めて本州でJR不採用となった職員(計117人)も含まれていた
B「停職6カ月、または停職2回以上」の不採用基準に該当する者を名簿から排除するよう葛西職員局次長が指示
C基準を適用して名簿を作り直したのは87年2月7日の設立委員会直前
(09年12月16日 東京地裁)