労働学校通信

第Z期No.10

次回講座のお知らせ

2008年1月19日(土) 各13:00〜
 国家について
 講師 天野 浩二(社会問題研究家)
 「国を守れ」という宣伝が吹きあれるなかで、労働者の立場から国家とは何かを提起する
*親睦会も楽しみです(会費千円)

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労働学校通信 第10号 (2008.01.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

歴史の常

 今年は5700人の労働者を結集して、非常に求心力のある闘いをやったと思います。ただ1万人集まらなかったというのが最大の問題。来年に向けて今の世の中を揺り動かすような存在として、闘っていく必要がある。それはまったく可能であると。
 ただ、今の状況については、やはり国鉄の分割・民営化攻撃などを媒介にして、日本の戦後の労働運動は大きくはみんな資本の下に包摂されている。連合だとか全労連という形で。
 我々はまだ5千というレベルですから、6千万労働者から言わせれば、まだまだ小さい存在。だけど小さい存在は爆発的に多数派になるというのは歴史の常で、僕はその点についてはいささかも悲観していません。
 ただ、現実を見なければいけない。われわれは日本の主要な労働組合をこの手に握るというところまでいってません。例えば自治労にしても日教組にしても、あるいは全逓にしても、日本の大きな全国組織を我が手で握って、やっていくということを、大きく挑戦しなければいけない。もちろん民間でもそうです。

やったのか、やったから・・

 そこはまだやれていないという現実はちゃんと見ながら、その過程でこういう労働学校で学習しながら、あるいは若者を先頭にして職場の中で職場闘争を激しくやりながら、これは自分達がこれから指導部になっていくための訓練の場ですからね。
 何でもできるという力を身につけるためには、現場で闘わなければいけないわけです、若い時に。学習と実践を通しながら、やっていくということが一番大事ではないかと思いますね。
 一回失敗したことは2回失敗しなければいい。そういう点で、労働学校の学習も、あるいはそれにふまえた現場での実践もそういう立場で見る。だからあまり一喜一憂しない。
 闘いを通していろんなケースがきます。その中で自分は何をやったのか。何をやったから失敗したのか。これをやったから成功するんじゃないかというようなことをちゃんとやりながらやっていくということ。勉強の仕方が全然違ってくると思います。
(12・15代表あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

☆そもそも、仲間うちや友人の間で「国家」についてマジで話すなんていう経験はほとんどない。(活動を始める前は)それは結局、労働者階級は社会の真の主人公でありながら、社会を変革したり運営したりすることから“疎外”されているからだろうと思う。資本家や「起業」を考えている人々の方がむしろ天下国家を論じたりしていると思う。これらは、日本が資本主義であり、その主人公は資本であり、資本家だということのあらわれだと言える。
 しかし今、“生きていけない”人々が急増している中、国家や社会について正面から論じることが絶対に必要だ。資本主義というシステムと、国家という体制こそがこの社会を成り立たせているが、国家は競争しあう資本をまとめ、労働者を支配するための道具だということ。ここをはっきりさせなければならない。
 それに、労働組合の国家に対する考え方、スタンスは、そのあり方を根本から決定する上で非常に重要だ。
 動労千葉が他のJRの労組と違って「反合・安全闘争」をやってきたというのがかなり参考になる。要は「こんな危険な状態で客なんか乗せられっかよ!」という話なわけで、これは労働者支配の貫徹の一形態であり、社会に対する責任の取り方だなと感じた。
 とにかく、労働組合にとって国家とは倒すべき相手である。そして、国家を倒して次の社会へ行くための社会の運営の力を作っていくために組合をつくり闘おう。
●今後の希望
 講義は単調になりがちなので、白版を使ったり、読みあげを生徒にやってもらうなどして、インタラクティブにやってほしい。

☆レジュメも分かりやすくまとまっていて、私のような飛び入りの人間にもついて行ける講義だったと思います。充実した時間でした。
 「現代の国家の問題」(【2】(2))についてや、「革命で戦争も差別・抑圧もなくせる/人生をかけ、命をかけてやっていくものなんだ」と熱く語る先生がステキでした。
 現在の資本主義体制に疑問を持ち、「これじゃいけないよな」と私も以前から思っていましたが、「革命でそれをぶっ飛ばしたとして、じゃあそこから先はどうするの?」という疑問はずっとあり、今までの勉強でも具体的なビジョンは見えてこずじまいでした。(どうもピンとこない、というか)。しかし、先生が(ポロッと?)「(【3】マルクス『共産党宣言』への“『自由』の意味が革命によってもっと自由になる”という解説の後)資本主義的な価値観にあまりとらわれているからこれ以上(の具体的展望?)は言えないけど……」とおっしゃったのを聞き、ある意味今日の講義は地に足がついているなあ、と思ったりしました。(質疑応答の際にまたこの話が出てきましたよね)それを聞きながら「なるほど、(少なくとも現代の複雑怪奇な社会構造をくつがえした後の)具体的な展望は、これから作っていくものなんだな」と思いました。たぶん、「歴史的に前例を見ない、まったく新しい何か」なのでしょうね。それをまさに今作っている、その最前線に今日私は同席したのかなと思い、私も少しアツくなりました。ありがとうございました。
●今後の希望
1時間or1時間半に1回ぐらいは休憩が欲しいです。(集中力をとぎれさせないためにも)

☆@最初のほう、(1)労働運動と革命運動は別のものか?について
 労働運動の中にこそ革命があると思います。革命は労働者が資本家に奴隷のように搾取されている関係をなくし、階級を廃止する闘いです。職場の中では、日々賃労働と資本の関係が再生産されてるわけですから、労働組合運動の中に革命を位置づけて、かけられた攻撃に対して団結して闘うことそのものの中に革命があると思います。
AInternationalの4ページ目に、“女へんにマイナスのイメージの言葉「嫌い」という言葉を使うのは女性にとって見ればイヤなのではないか”とありましたが、これについて思うことを書きます。「嫌」だけでなく、女へんのつく字は「好」「怒」「努」「姑」「嫁」等もあります。女へんに古ですよ。女へんに家ですよ(怒)。なんて封建的なことでしょう!!つまり文字や言葉でさえ、その時代の支配階級に支配されているのです。「嫌」という字を使わなければ差別がなくなるわけではありません。今日の講義で言われたように、プロレタリア革命によってあらゆる差別、抑圧の根源を断ち、文字や言葉も労働者のものに取り戻しましょう。一緒に闘いましょう。

☆ 私たちの闘いが正しいことなんだとわかりました。
 私の組合には2つありまして、闘わない組合と闘う組合があります。闘わない組合は派遣は派遣のままでいいんだ、正社員で良くなればいいんだという組合で、その組合の一人は派遣はゴミを捨てればいいんだという組合。闘う組合は派遣と正社員は区別がなしだ、派遣を全員正社員にしようという組合です。組合についても悩んでいたのですが、スッキリしました。

☆今日の話を聞いて、ものすごくスッキリしました。差別・戦争をなくすためには、プロレタリア革命しかないんだと確認できました。
 今、自分の職場で仲間をひとりオルグしているのですけど、どうしてもその人は「自分の宗派が正しいから(その宗教は二つに分かれています)もう一つの宗派をつぶす」などと言っています。彼は三里塚集会にも来ました。「今の世の中は間違っている」と思っていますが、労働運動ではなく、宗教対立で解決しようとしてます。今日の授業を聞いて、彼に言ってあげられる言葉が見つかりました。
 「宗教ではこの世の中を変えることはできない。今、君がしようとしていること自体が、この世の中とまったく同じことなのだ!」と。宗教批判ではないんですけど、世の中を変えたいと思っている彼には「国家について」の勉強で学んだことを彼に伝えます。
 今日の授業は良かったです。

☆「一切のカギは職場闘争と団結の広がりにある」「労働運動の中に革命の芽がある」ということを土台にして「国家と革命」が論じられていて、すごく良かったと思います。
 労働運動と革命運動を別にしてきた体制内労働運動指導部、共産主義は実現困難であると言ってきた体制内指導部の核心は、労働者自己解放の否定にあると思います。共産主義社会がただちに実現できるという確信は、社会の発展のために十分使えるだけの生産力が資本主義の中で生まれているということ以上に、労働者階級が資本と非和解で闘うなかで団結し、自己解放していく、急速に変革していくということにあると思います。昨日までゼニ、カネで働いていた労働者が、闘いの中で仲間のためにクビをかけて闘うように一気にかわる、ここにこそ共産主義社会がただちに実現可能であるという根拠があると思う。
 その上で、レジュメの中で「総評時代、日本の労働組合は社会主義の実現を綱領にうたっていた」ということを例にあげて「労働運動と革命運動は別ではない」ということを言っていたところがありましたが、しかし、この社会主義の実現が労働者階級の自己解放を軸にしてうち立てられたものであったのか、疑問です。指導部はむしろ、議会での変革をその中心に据えるなど、労働運動と革命運動を切り離していく役割を実践的には果たしたのではないかと思います。総評時代のマルクス主義の学習会が、現実の労働運動と切り離されていたものになっていたのではないか、それを打ち破ったもの、マルクス主義をまさに現場の労働運動に貫いたのが動労千葉労働運動だと思うのです。
 国鉄分割・民営化の時に、動労千葉以外中野顧問は「他党派が掲げていたマルクス主義がすべてニセ物であった」と言っています。我々は階級的労働運動路線でもって総評の時代に帰ろうというのではなく、まさに労働者階級の自己解放を軸にした、まったく新しい労働運動として、新潮流として「労働運動の力で革命をやろう」というスローガンを打ち出しました。だから連合傘下の青年労働者の魂を圧倒的にとらえることができたと思うのです。どうでしょうか。ぜひ検討をお願いします。

☆1)“学び、考え、想像し、討論しよう”
 国家と革命という問題について、現実的には問題にしているかのように思っていましたが、やはりまだまだ国家というものを前提化して物事を考えていたとハッとさせられた学習会でした。
2)差別・抑圧の問題についても、プロレタリア革命後もそのことが解決されないかのような意見も根強くありますが、それも今の現実の意識(帝国主義支配下の)であるということです。帝国主義の分断支配そのものであり、やはりプロレタリア革命のなかに必ずうち破れるということだと思います。
3)やはり時代観ですね。
 革命的情勢だということを、客観的にではなく、自分自身がプロレタリア革命を実現する立場でたたかうことで、物事ははっきりしてくると思います。
 この立場で、労働運動をたたかうことが一切だと思います。

☆・「国家と革命の問題を職場・組合で大いに討論しよう」という提起は、実践してみて「実際の資本・体制内労働運動との非和解的闘争」と一体でやらないと、獲得するものは何もないと確信しています。階級的労働運動をやろう!と革命家として登場することで、登場前の緊張と日々の欲求不満を自分自身でぶっ飛ばして、とてつもない解放感を味わったからです。
 「『国家と革命』の問題を身近に引き寄せよう」とは、「身近な問題として討論しよう」と言うより、「身近な問題となる実践をしよう」「資本と労働者は非和解であるということを明らかにする実践をしよう」「労働者を支配するあらゆる道具が明らかになる実践をやろう」ということだなと思います。こういう実践をして、学習(国家と革命の討論)をすれば、労働者は自分を支配する道具……私の職場では体制内であるうちの御用組合にまず怒りが爆発し、次に「いいことをしている経営なんだ」という経営を守ろう思想に怒りがバクハツします。私たちの職場の労働者の団結が資本の枠を越えて広がっていけば、簡単に国家権力・国家に怒りがバクハツするだろうと確信します。私は3・18以降の闘いで、その確信が信念にかわりました。
・p3のマルクスの共産党宣言の言葉「共産主義者の理論的命題は、けっしてあれこれの世界改良家が発明したり、発見したりした思想や原理に基づくものではない」ですが、私は“あれこれの世界改良家”とは、体制内ホニャララ(労働運動でも、政治家の主張でも、インテリの分厚い本でも何でも)のことではないかと思います。つまり!体制内の「よりよい資本主義社会を!」こそ、非現実的な理想論だということです。このマルクスの後半の言葉は、実践の中に答えがあって、それを拾い上げたのが命題だと言っているわけで、団結してみて、資本と闘ってみて「差別は分断支配の道具だ」と気付くのみでなく、マジで、生き生きとして、味わったら手放すことのできない仲間との熱の通った団結を手に入れることができる……という関係で、その生々しい団結の解放感を労働者はもっともっと語れるようにならないとなーと思いました。

☆非常によくわかった。今の自分の問題意識とちょうど重なるテーマだった。
 革命とは何か、というあたりも、また、国家に変わる社会の運営の軸としても、「労働者の団結」という提起は(初めて聞いたこともあるが)やっと言葉が見つかった、これだ、という気がした。
 今まで共産主義のイメージがもうひとつつかなかったが、今日のレジュメのp3〜以降のあたり、ふみこんだ内容でなるほどと。

☆12/15、私は今日、初めて出ました。いろいろ勉強し、分会をつくりたいと思いました。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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