労働学校通信

第Z期No.09

次回講座のお知らせ

12月15日(土)・2008年1月19日(土) 各13:00〜
 国家について
 講師 天野 浩二(社会問題研究家)
 「国を守れ」という宣伝が吹きあれるなかで、労働者の立場から国家とは何かを提起する
*親睦会も楽しみです(会費千円)

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労働学校通信 第9号 (2007.12.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

頼りになる

 やはり労働者階級が断固として闘って、他の人たちが頼りになる存在としてこれを見ないと、集まってこないでしょう。この連中と共に闘ったら、展望が出てくるのか、この世の中を変えるために。
 そういうものがないと、来ないですよ。よっぽど意識的な人じゃない限り。労働者階級が社会の主人公であって、世の中の矛盾はすべて労働者階級が受けているし、闘い、そしてそれに決着をつけるものである以上、そういう中身と力がなければいけないわけで、そういうものが垣間見られたというふうに僕は思っている。
 数としては5700と主催者は発表したけれど、それは1万人と言ったわけだから、それから比べれば未だという感じはしないわけではないけれど、内容的には非常に勢いがでてきたということは言えるんじゃないか。

繋げる、拡大する

 どうにもならないくらいに末期的症状を呈している今の帝国主義の体制のなかで、ようやくいろんな形を通して反乱が開始されています。
 それを本気になって繋げていったのか、それをもっと拡大するものとしてあったのかと、11・4を総括しなければいけない。そういう点では、満足はしないけれど、いい線いったと思います。
 やはり、それはこの労働学校なんかで学んできた若い人たちが真剣になって職場で激突しながらやってきた闘いの非常に大きなあらわれじゃないかと。
 ここで、もっともっと勉強して、実践し、たくましく育った活動家たちがどんどん闘いを担っていく。そういう状況で生まれて来る、反動的なイデオロギー、風潮に対して、闘っていくということがきわめて重要。
その意味で今日、2回目を迎える伊藤先生の「近代日本史とナショナリズム」というのは、そういう時代背景、戦後の時代背景なんかを前提としてレジュメがくまれています。少しお年寄りの方は「あの当時、俺は何をやっていたのか」ということを考えながら、先生の話を聞いていただくと、非常に分かりやすくなるのではないかと思います。
 そういうことで、今日は11・4が終わって初めての労働学校になります。そういう意味も含めてぜひ積極的に、今日の講座を成功させていただきたいと思います。以上です。
(11・17代表あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

☆今日の講義を聞いて、戦前の日本は今の日本と似ているところがあると感じた。そして戦争が終わり、悪いものは法によって封印したということだったが、今になって小泉や安倍によって復活させようとしているように感じた。「もう戦争はしない」というものを変えようとしていて、再び「戦争の出来る国」と変わろうとしていると感じる。なぜ日本の首相が支持されない理由が分かったような気がした。
 むずかしい内容ではあったが、現代の日本と昔の日本が似ていることが分かった内容でもあった。

☆天皇なんかいらない。戦争の指揮をしていて、敗戦後は象徴天皇なんて冗談ではない!!テレビ、雑誌などでよく話題になるが、単なる天皇は「すばらしくいい人だよ」と洗脳しているだけだ。先生が言ったとおり「いらないものはいらない」と考える気持ち、組合でも頑張ろうと思います。
 うちの組合の「闘いは必要ない」という本部とガンガン闘っていきます。

☆初めて先生のお話を聞きましたが、戦後日本における労働者支配をイデオロギーの面から対象化し、分析し、打ち破る道を模索するというアプローチの仕方が非常に新鮮でした。いろいろ考えながら聞いていたのですが、問題意識を述べておきます。
 一つは、支配階級による労働者階級支配−戦争国家化という点において、ナマの労働者に視点をすえた時に、やはり〈賃労働と資本の次元において、いかに支配が貫かれているのか〉という点がとても大切だと感じました。
 例えば東南アジアなどに先進各国の工場建設ラッシュが起こったのは、20世紀のかなり末になってからですが、それまでは「現地の人は給料をもらったら、それを使いはたすまで工場に来ない。資本主義が根付かない」とされて、敬遠されていたと、何かで読んだことがあります。実は労働力の再生産費だけをもらって働き続ける方が、考えてみれば明らかに不自然な生き方ですよね。
 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では、ただ一点「欲望のあくなき追求のはずの資本主義がなぜ禁欲主義のプロテスタンティズムの中から定着・発展したのか」の謎を解明していますが、その解として「プロテスタンティズムの合理主義ゆえに、資本の論理に忠実に従っていく人々が大量につくられたのだ」とされています。では日本においてどうなのか? なぜこの不自然かつ非人間的な資本主義なるものが定着し、発展し、いまだ打倒されていないのか。様々な要素があると思いますが、イデオロギー面も大きな一因でしょう。その点、戦前は国家主義・天皇制暴力によって上から強引に、ということでしょうが、戦後は? 言われていたように複雑です。
 講義ではナショナリズム、戦後天皇制、エセ民主主義とともに、労働運動において「日本型労資関係」=労働組合の問題性が指摘されていたことに刮目しました。
 やはり60−80年代の過程で労働組合がむしろ率先して忠実に働くことを強制してきた(その代償としての賃上げ要求)ことが大きく影を落としていると思います。
 二つに、それを打ち破っていくのは現実の運動という指摘も強く納得しました。

☆11・4全国労働者集会を闘いぬいて、世界的な資本家階級と労働者階級の激突の時代へとわれわれは躍り出た。帝国主義は奴隷を食わせられなくなったサブプライムローンなどのように、労働者を革命に起ちあがらせないようにしてきた政策が次々と破たんし、その突破のために200万の労働者世帯が、生死の境に追い込まれている。労働者は数百万の単位で革命に向かって自分たちの力で団結して、ブルジョアジーを打倒する闘いに起ちあがらなかったら、惨めな死しか待っていない。いや、労働者階級こそ革命を実現し、今日の非人間的な問題の噴出に対して、回答を出しうる階級なのだ。11・4で若い青年労働者の大群が、自覚的に志願兵のように参加し、自分のこの時代の中での使命を自覚して、資本・国家権力と激突していこうとしている。このなかで、やっぱり自分自身もどんどん変わっていかなければならない。
 ナショナリズムは何よりも帝国主義の時代の産物であり、プロレタリアートが革命に起ちあがる階級であることへの恐怖が根底にある。「民族共同体のもとへの団結」や「国家こそ人間のつくる最高の共同体」というデマゴギーを資本家たちは流布し続けなければ、搾取を続けることはできない。戦後の日本帝国主義のナショナリズムは帝国主義世界体制のアメリカ的統一性の崩壊の度合いに応じて姿を変えてきた。特に日本帝国主義の発展は、アメリカの世界支配を掘り崩し、争闘戦の激化を生み出してきた。この中で、体制的危機が革命へと転じないように、「日本型福祉国家のイデオロギー」や国益主義などがブルジョアジーと体制内労働組合指導部によって垂れ流されてきた。しかし、これは労働組合が革命にむかって闘わないことで物質力があるように見えた。
 今回、帝国主義は恐慌と戦争の危機にある。プロレタリアートは団結し、資本家との激突を通して必ず権力を奪取できる。ブルジョア国家を粉砕し、打倒し、自分たちで支配階級となって生産と社会を握りしめることができる。この過程は流血の激突ですが、自分をこの中に投じ、仲間を集めるために頑張ります。

☆先生が最後に話された「国家の敵意を受け止めるべき」「和解の思想を拒絶する」という提起が印象的でした。ナショナリズムにどう打ち勝っていくのか。このことが本テーマを貫く問題意識だと思いますが、それに対する回答がこの提起だと思います。国家の中に存在する支配階級(ブルジョアジー)と被支配階級(プロレタリア等々)の階級対立を隠蔽し、「国家としてひとつ」「ひとつの共同体」という思想でからめとっていくのがナショナリズムであると思います。逆に、他面として「日本人ではない者」に対する排外主義があり、それを積極的に煽るのがナショナリズムであると思います。
 「和解の思想」の一方で、支配階級は被支配階級に対する激しい敵意(自分が打ち倒される恐怖の裏返しとしてのそれ)を持っています。したがって労働者人民の側は、支配階級の側の敵意を積極的に受けとめ、それ以上の敵意を持ち、和解の思想を拒絶し、支配階級と被支配階級の対立をわれわれの側から鮮明にしていくことが必要であると思います。そういう立場で先生が支配階級のナショナリズム攻撃に立ちむかっておられることが、受講してよく分かりました。
 内容的に、支配階級の側にとって、戦前と戦後に基本的に断絶がないということがよく分かった点が二つあります。ひとつは天皇の巡幸の件。これを天皇が相当の決意を持っていったことがよく分かりました。逆に言えば人民の側がそこで負けてしまっていたことがよくわかります。また、戦後憲法が明治憲法の手続きにふまえて、明治憲法を継承するものであったことは初めて知りました。この点でも支配階級にとって戦前−戦後がひとつながりであることが分かります。
 結論として、ナショナリズム−排外主義を打ち破る道は、一言で言えばプロレタリアートの団結−世界的団結であると思います。最後に沖縄の話をされましたが、イデオロギー面での闘いも、プロレタリアート人民の闘いの一環としてあり、かつまた、この面でも敵に負けない−勝つために全力で闘うことが必要であることを改めて感じました。
 まとまらない文章で申し訳ありません。2回の講義ありがとうございました。

☆戦後民主主義、戦後というこの60数年の仮面を引きはがした講義だったと思います。今日の「戦後史」こそ、私がずっと求めていたものでした!
 小学校の頃から戦争をおこした中心のはずの天皇がのうのうといること、そして「太平洋戦争」(私の小中高ではこう呼んでいました)がどうしておきたのか、誰がおこしたのかについて誰も教えてくれないことにずーっと疑問と違和感があったのです。
 労働学校に来て、とりわけ伊藤先生の講義でこの疑問がだんだんと氷解し、今日、ついにはっきりしたという感じです。とりわけ「国民」がいかに企業を通して、国がなければ、企業がなければ生きていけないという意識を植えつけられたのか、という辺りがとても重要でかつ深刻だと思いました。
 それを覆す力が社会の周辺、沖縄や在日外国人や社会的マイノリティーにあるというのは全く道理です。
 そして今となっては食っていけなくなった、とりわけ若い労働者がそこに加わったということです。この周辺の力がいかに中心部に向かって増えていき、今の状況をひっくり返す力に結集できるのか。やはり「意識」の問題、そして「主体」の問題が大きな課題だと感じました。
ところで先生の「マルクス主義」「マルクス主義者」に対するご意見は如何なるものですか?
●今後の希望
・メモのスペースをつくってください!
・伊藤晃著『日本近現代史』の高校教科書

☆今回の話は、日本国憲法の建前ではなく、日本国憲法の背景、そして天皇制についてなどを詳しく聞けてよかった。今の憲法体制の下で、民法や刑法をはじめとする様々な法律があって、法的資格取得のための試験までもあり、憲法やその下でできた法律が合理的理論をもち、世の正義となっている。
 しかし、その背景には、第二次世界大戦の戦勝国アメリカの都合によって、敗戦国日本は民主主義という建前の下で、実際には天皇の強い影響力を消し去ることはできずに、戦後日本は復興し、その後公害などを伴う高度経済成長などを経験したのだろう。天皇を持ち上げる行為などは、よくよく考えてみれば滑稽すぎる話だし、ある意味では恐ろしい話である。
 ただ、天皇制自体は、自分自身いらないと思うが、自分自身の中に右翼的側面と左翼的側面があると思う。それは自称左翼の人たちにもおそらくあると思う。特に男性活動家の中には、男権主義的になりがちな人間もいるかも知れない。
 例えば前進社の出版物に「カクマルは労働者に『嫌われている』」という表現などは、女へんにマイナスイメージの言葉「嫌い」という言葉を使うのは女性にとって見ればイヤなのではないか。
 このように気づかないうちに左翼の中にも男権主義的になってしまう人間もいるだろうから、完全に左翼という人はいないと思うし、もし自分は完全な左翼人間であると言い切るのは、宗教的であり、下手すればカルト的ですらある。
 そして私自身、天皇制には反対であるが、あえて右翼的な主張をすれば、ナショナリズムや国家主義よりも、地球人としての郷土愛が大切であり、憲法9条がアメリカからの押しつけであるなんて言ってないで、アメリカへ戦争放棄を押しつける、と考えたりしている。
 アジア侵略戦争の結果とはいえ、原爆を落としたアメリカ帝国主義は許せないし、「仕返し」をするのは無意味であるから、「仕返し」はするべきではないと思う。だから、アジア侵略の反省として、せめて在日外国人の人権を大切にして、アメリカへはキッパリと戦争放棄を押しつけるべきと考える。それが左翼とか右翼とかにこだわらない、私自身の考えである。

☆一緒に来た人が喜んでもらえたことと、確信を持ってもらえたことがナイスです。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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