労働学校通信

第Z期No.02

次回講座のお知らせ

7月21日(土) 各13:00〜
 労働者の生き方
 講師 森尾 誠(社会問題研究家)
 マルクス主義の復権に力を注ぐ。労働者は社会の主人公であることを明らかにする
*親睦会も楽しみです(会費千円)

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労働学校通信 第2号 (2007.05.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

徹底してマルクス主義

 どうもごくろうさまです。今日から労働学校第7期目です。多くの仲間たちの積極的な意思表示といいますか、参加によって非常に毎年毎年労働学校のあり方も大きく変わりながら、ここまで来ました。7期目は私たちをとりまく情勢も含めて非常に重要な年になると思います。ぜひ、今まで6期分の定着を図ると同時に、新たな出発点をつくっていきたいと思います。みなさんと、講師陣の奮闘によってしかできませんので、一体となってつくりあげていきたいと思います。
 ここでやる労働学校は、ハッキリ申し上げますが、マルクス主義を勉強します。労働者が団結するにはどうしたらいいのか。私はマルクス主義しかないと思っていますから、マルクス主義を徹底的に勉強していく。この学校は徹底してマルクス主義を復権させていくと。

ヒラメキと実践

 なぜならマルクスだけが、マルクス主義と言われている考え方だけが、労働者を労働者としての存在を認めて、労働者こそが社会の主人公だと、つまり労働者がいなかったらこの世の中、一歩たりとも動かないんだと言った。逆に言うと世の中を変えていくのも労働者の団結した力なんだということ、労働者にしかそういう力を持った存在がいないんだということを言った。
 労働者が団結して闘うための学校ですから、そういう立場で講師の人たちも講義してくれると思いますし、みなさんもそういう立場で聞いていただきたいし、そういう立場でディスカッションして欲しいと思います。
 そこで何かヒラメキを感じたときはただちにみなさんの職場で実践を開始してもらうということですね。そうするとだいたいすぐは失敗しますから、失敗したらまた労働学校にきて、ここでまたみなさんで言いたいことを言い合うと。そういう場にしていきたいと思います。
 ・・・第3土曜日。実践編は偶数月の第4土曜日。よっぽどのことがないかぎり、これで突き進みますので、ぜひ皆さんのスケジュールをあわせていただきたい。ということで、最後まで皆さんとともに実り多いものにしてもらいたいと思います。
(開校式代表あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

の社会の現状とか、なんとなく「ひどい世の中だ」とか「なんでワーキングプアなんてことになるんだろう」とか、漠然といろいろな疑問とか怒りとかがずっとあって、それの根本が「賃金」や「賃労働」という自分がモノのように価値付けされていることだということがよく分かって、ちょっと複雑な気分になりました。
 でも、これって今、社会を成り立たせている構造そのものが間違ってるのだということなのだとわかって、ちょっとスッキリしました。だって、間違ってるってことが分かってハッキリすれば、どうすればいいか分かってくるってことではないですか!!でも自分はまだ知識も不十分だし、実際これからどう資本(というか、この社会そのもの)にブチあたっていくのかということを少しずつ学んで、どんどん自分でみんなをオルグして仲間を増やして、本当に「革命だー!!」ってことになればステキだと思います。文章がまとまらなくてすみません・・・。

社ですごく良く働いて役に立っているような気がしていたのに、給料がさがったり、正社員にしてもらえなかったりしたので、思ってたより評価が低くてすごく悲しいと思っていましたが、今日の話を聞いて、もう少し大きく考えようと思いました。目の前のことだけで一喜一憂しないように気をつけようと……。仕事中は与えられた課題を他の子よりはやく、うまくたくさんこなすことに喜びを感じるタイプなので、そのへんどうしていけばいいのか、もう少しよく聞けば良かったと思いました。最初なんで、あまりよく分からないとこもありましたが、がんばってずっと来るようにしたいです。

バ棒もって暴れていた先生なんて、とっても素敵だなーと思った。今期も元気に頑張ります。
 職場の当たり前のような仕組みにも、TVのニュース番組にも、新聞記事にも、ちょっとした変化でも、「?」の目をもってながめ、考えてみようと思います。

回の「賃労働と資本」の講義はめちゃめちゃ分かりやすかったです。「賃金労働者としての自分自身」ってことについて、正直、考えたことがありませんでした。
 いまいち、労働(商品)の価格、価値について分からなかったんですが、ひとりの労働者が(私が)明日、生きていくのに必要なだけのエサ(つまり賃金ってことですよね?)を労働者に渡す。これが労働者の商品価値というものなのですか?
 原材料と労働者(労働商品)を同じように考えているということに、とてつもない怒りを感じました。一人の人間を人間と見ず、儲けるために必要な「商品」としか見ていない。
 こき使って、もう使えなくなったら、ポイ捨てする。奥谷氏の発言には、怒りを通りこして、何とも言えない。自分で辛いなら休めばいいのにって、休んだら即効でクビになる。格差社会が言葉遊びとか、甘やかすのはいかがなもんかだって!? ふざけるな!って感じですよ。こんなやつらは打倒するしかないっす!
 そのための闘い方、今の自分自身がどういう位置に立っているか、よく考えたいと思います。

「賃労働」の仕組みを学ぶことによって、資本にとっては労働者は商品でしかないという点が鮮明になった。
 我々が現在、労働者として「自由」であり続けるためには、労働力を商品として売り続けなければならない。しかし、売り続けたとは言え、真の労働力の対価として賃金が支払われているわけではない。「翌日も職場に出てこれるだけ」「最低限のメシと酒」のギリギリの金額。
 であるならば、我々が人間として本当の意味で自由に人間らしく生きてゆくためには賃労働という鎖を自らで断ちきらなければならない。
 労働者が社会の主人公として人間らしく生きてゆくには賃労働という資本家が労働者を支配するためのシステムというか仕組みを我々の力で変えてゆかなければならない・・・ということが導き出された。

「人間らしい社会をつくるのは労働者」ということから出発して、自分はどういう力を持っているのか、過小評価していることに気がついた。
 普通に生活しているだけで、TVやマスコミに流されていったり、社会常識の中にいくつも落とし穴がある。とりわけ労働者としての階級意識は全く別のことがすり込まれてしまっている。
 「労働者は商品ではない。人間らしく生きる存在」という事は、あらためて発見。働くことを拒否している「ニート」の人たちは、資本主義に見切りをつけて、このような考えに少し近いのかもしれない。
 生きていくには働くしかないけれど、人間らしく生きることをあきらめる必要はない。がまんして大人しくしていたら、どんどん安い賃金でこき使われるだけなんだということに気づき、反乱を起こそうと思った。
 どんなふうに資本と闘っていけばよいのか、どうやって労働者階級が階級性にめざめて団結していけるのか、これだけバラバラに分断されている中で、人間性をとり戻すには・・・、ということなど。理論と実践がまだまとまらずにいます。今、一番の関心事です。

期的に分かりやすい講義を期待しましたが、はっきり言って難しかった。最終局面の「商品の価値」がとりわけ。討論の中でだいぶ深められて、よかったと思っています。「疎外された労働」をきちんと、働いている参加者の実感(=怒り)をリアルに爆発させていければおもしろかったのではないでしょうか。
 われわれが生きるために必要なものは、必要なだけ手に入れられる。買うのではなく。それが実現するのが人間らしい社会では←→賃労働。・・・さんの質問はとっても重要で、よい質問。来週の展開が楽しみです。
 若い労働者たちが生き生きしていて新鮮です。1年やりきっていきたいと思います。
 必要なものを買わなければいけないのが根本的な矛盾なのでは。そして今日の話で印象的だったのは、必要なものを買わなければいけないような、そのために賃金労働者として働かなくてはならないような時代は、ここ100年〜200年のことということでした。

業側は、仕事が未熟であるという弱みをとことんまでつき詰めて、給料を少なくしていくものだと感じています。どのように主張して、生活し得るだけの賃金を手に入れたらよいか、具体的に実行するにはどうしたら良いのかと思います。

回より第Z期労働学校に参加しましたが、初めてであったのでどういう行き方かと思いました。
 このテキストに載っていた(岩波)マルクスの『賃労働と資本』(前半)は私自身の勉強不足であったので少し難しいかと思いました。
 この書の中での「賃労働と資本」は、資本は資本家であり、賃労働とは我々の労力を資本家に買っていただき、その対価として我々に賃金をもらう。しかし、これが我々にとって相応の賃労働かと疑問に感じることもある。
 現在、世の中、派遣・パート、そして偽装請負の問題など山ほどある。企業が空前の黒字などと言う企業もあるが、労働者にそれだけの還元ができているのか? 資本家だけが大きく肥えていくのは、「賃労働者」にとってはとても理不尽に捉えているのかもしれない。
 次回(5・19)の後半では、どのようなテーマが出てくるのかが楽しみである。
 次回以降も出席し、「労働者」とはいかなるものか、現在の資本社会はどのようなものかを知っていきたいと思います。

回、初めて参加しました。資本家はお金をどれだけ労働者に安く使うか、安く使うといっても死んでもらっちゃ困るから、ある程度のお金しか渡さないというのがわかった。でも、私たちは資本家のために働いているわけじゃないが、いつの間にか資本のために働いている。マルクスが「人間の血と肉を容器とする特別な商品」=「人間としての生命力」には労働する能力が詰まっているというのはたしかにその通りです。

めて労働学校へ来てみて、1年間毎月(会社がある時は休んでも)、がんばって来たいです。
 ブルジョアジーとプロレタリアートは、少しずつですけど分かりました。
資料について、派遣の人には毎日1回の食事の人、夏、水だけの人が実際にいます。タバコも吸えない人もいます。

の組合の勧誘のビラに「労働者は社会の主人公」というのをかなり取り入れている。いつも「なぜ?」という疑問があったが、今日の話を聞いてなんとなく分かったと思う。
 つまり社会を動かしているのは労働者である私たちなんだという意識を持たなくてはならないと思った。
 私の病院では、賃金抑制と題して、看護師以外は請負労働者としてやっているが、組合が立ち上がり、かなりの問題として取り上げている。しかし、今日の資料では首相などが「正社員にはさせない」なるものがあり、びっくりしている。こういうものを許さない社会をつくっていかないといけないと強く思った。

日の講義は前回の同じテーマの回よりも、ずっと分かりやすくおもしろかったと思います。
 職場では「目標管理」などで目標を立てさせられて、達成すれば評価され、賃金も上がるように吹き込まれています。ほとんどの人はそんなことは信じていないのですが、中には「仕事の達成感」(バイク便の話のように)、あたかも売上をどんどん伸ばせば、その先に"いいこと"が待っているような漠然とした期待を持ってがむしゃらに働いている人もいます。
 職場では政治の話、自分たちの職場の話をできるだけ積極的にするようにしているのですが、今日のような話はやはりこのようにまとまった時間がないとできないので、労働学校に誘いたいのですが、これはなかなか大変でもあり悩めるところです。
 "団結"の必要性も、やはりこのような話を理解することで、よりハッキリしてくると思います。

金労働を当たり前のように受け入れていて、深く考えたことがありませんでした。賃金労働の歴史は意外に短いのですね。
 生産手段をもたず、労働を売らないと生きていけない労働者と生産手段をもっている資本家との契約を結べばそれでよいという奥谷禮子などの発言は本当に腹立たしい。
 共産主義になったら、労働者の生活はどういう形で成り立つのか分からない。資本家の代わりに官僚に支配されるのでは意味がない。職場はどのように管理されるのか? これから勉強させていただきます。よろしくお願いします。

頭の「あなたの賃金はどうなっているか」の問いのくだりで、"給料明細などを職場で互いに見せ合う関係にはない(それができるような情勢になれば、ほとんど革命)"という指摘はとても興味深かったです。
 ザ・アールの奥谷の発言などブルジョアジーの本音をあからさまに示している。彼らにとっては買った労働力をとことん使いきる、しぼり取るだけしぼり取るということこそが唯一の関心なのだ。
 あたかも自由意思で契約を交わしたつもりでいようとも、労働力商品を売って、賃金を受け取ることによってしか労働者は生きていくことを許されない。しかし、労働者がいなかったら、ブルジョアジーは一日たりとも生きていくことなどできない! 革命あるのみだ!

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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