労働学校通信

第10期No.09


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労働学校通信 第9号 (2010.12.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

基礎と土台
どうもごくろうさまです。何よりも11月労働者集会に向けて職場・地域で奮闘していただいたことに心から御礼を申し上げたいと思います。おかげさまで私は、今年の11月集会はこれまでの集会とはひとつ違う次元で、大きな成果を勝ち取ったと考えています。
そういう感覚を持つことがものすごく必要です。僕らの運動がこれまでとは違う、ひとつ新しい次元に踏み出しているんだということ。今の時代の動きと、われわれの側との緊張関係みたいなもので、絶対に延長線上ではないところに一歩踏み出したんだと。まだ、勝ちきってはいないけれど、今の時代・情勢に負けない大きな基礎とか土台とかをつくったということです。
それは、動労千葉自身が11月7日の集会の後、ただちに新しい闘いに踏み出しました。新しい闘いに踏み出すことができたということが、何よりも最大の総括なのかなと思っています。
ぶれることなく
「全国運動」は明らかに、この労働学校の中から生まれてきたものです。呼びかけ人の面々を見て下さい。伊藤先生、金先生、鎌倉先生とか大野さんだとか。ここで提起をし、皆さんと討議をし、この過程が「全国運動」をつくる土台をつくっている。いろいろ考えてきたことが「全国運動」という具体的な形を与えられた途端に、バーッと噴き出して力になった。すごいでしょ、みんな。あの呼びかけ人の人たち。
一般的に支持してくれるとかではなくて、力になったわけですよ。だから、全国に立ち上げられたじゃないですか、労働学校が。どれだって、やっていれば2年目、3年目きつくなってくる。だけど、この「全国運動」の組織が各地方できるわけじゃないですか。それと労働学校をひとつにして、労働運動再生の芽ですよ、これは。
これを、「全国運動」と労働学校運動が渾然一体みたいな形で成功させていく、というような目的意識性を持たなければいけない。そういう意味で、職場の闘争ということを重視する。こういう地道な努力を1年間続けたら、来年は今年の2倍集めるということは、全然不可能ではない。今年の11月集会は実感としてそう思いました。
来年、今年を2倍にするということは、この1年間、この方向を向いて、ぶれることなく実践したら、絶対に不可能ではないと、初めて思いました。そういうものをつくりあげたのではないのかと思います。
(田中委員長あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

☆最近、中国との間にきな臭い空気がマスコミにより漂わされている。尖閣諸島での船の衝突映像やアジア大会での審判の不正など、少し前に毒入り冷凍餃子が世間を恐怖におとしいれ、“中国産”というだけで人々は眉をひそめた。
 中国は共産党の一党独裁、社会主義だから企業もほとんど国営で、国民はほぼ公務員。どんな仕事の仕方としても給料はもらえるので、店員には愛想がなく、品物や釣り銭も投げてよこす−というのが一昔前に聞いて、実際に目にしたこともある中国についての一部だ。
 “共産主義・社会主義”と聞いて、まず思い浮かべるのが中国や北朝鮮など、日本で“特殊な政策の国”とされている国々で、あまり「成功して人々が豊で幸せに暮らしている国」とは思えないところが多い。
 このため“共産党”など、一言でも口にしようものなら「アカだ!」などと危険分子扱いされかねない。それほどこの社会において共産主義などに対するアレルギーは激しい。タブー視されてさえいる。
 今回学ぶまで私も恐ろしいものかのように思っていたが、その主義主張は人間くさく、あまりにも正統なものだったので、拍子抜けした。世の中で社会主義と謳いながらも、その国に暮らす人々が不満を感じているとすれば、どこでどう間違ってしまったのだろうか。
 私たちがものごとについて意見を述べようとする時、あまり深く考えずに発言する内容は、ほとんどTVなどマスコミの受け売りが多いだろう。報道により“国”としては知っていても、国民として名前も顔も具体的に出てくることは少ないのではないだろうか。
 中国で言えば、人口は日本の10倍以上だし、トイレの扉をつけないという発想があるし(今はだいぶ少なくなっているようであるが)、空を飛ぶものは飛行機以外、四つ足のものはイスとテーブル以外食べちゃうし、本気になってかかられたら人数でもパワーでも勝てないだろうと思うところから、“脅威”として日本人に嫌わせておこうという日本の国の弱さが見える気がする。
 どんな人も必ず両親がいて、いろいろな人に愛され、育てられてきたからこそ、今生きていることができる。国として全体しか見ずにデマに躍らされるより、王さんや張さんや陳さんなど、息の通った人間がたくさん暮らすところ、国境はたまたま便宜上ひかれた境目だということを忘れなければ、決して戦争をしようなどとは思えないはずだ。
 どんな世になろうとも、私たちは自分の頭で考えることを決して止めてはならない。

☆私有財産制の廃止について、今までイマイチピンとこなかったし、「自分の持ち物(土地とか?)を取り上げられるのではないか?」という疑問に回答できなかったことがあるので、今回の講義はとてもわかりやすかったです。

☆モヤモヤしていた「私有財産」についての理解が深まりました。なあーんだ、私のもっているものなんて「財産」でも何でもないんだ。
 今までこういった文献をキチンと学習してきませんでしたが、マルクスやレーニンを学ぶことで、自分の「内容」を豊かにするため、「生き方」に確信をもつために必要なことなのだと感じました。

☆共産主義者=現在の共産党のイメージが強く、自分は共産主義者ではないと考えていましたが、今回の講義を聞いて、自分も共産主義者だったんだと目からウロコでした。大変勉強になりました。
 意見者の中で社会を変えるためには一人一人が団結を強固にしてそれを広げていくことが革命を起こすと言っていましたが、よく理解している人だと感銘しました。共に頑張りましょう。

☆第1回では、今の社会がブルジョアジーが生産手段を私的独占するブルジョア社会であり、生産手段をもたず賃労働によってしか生きることができないプロレタリアートという二大階級にわかれて社会が発展してきたということと、そのしゃかいはもはやブルジョアジーのもとでは生きていくことができなくて、ブルジョア社会が生み出し物を生産するプロレタリアートこそ、ブルジョア社会を打倒して解放される主体なんだということを中心に学習してきました。
 第2回では、プロレタリアートとは何者であるのか? 共産主義者は勝利するために何をするべきか?を学習しました。
 今日、重要だと思った点は、共産主義者は何をなすべきかの第2章で、社会を正しく見すえることを通して、資本主義は終わりだと言えるというところです。
 特別な原則をたてて、その型にプロレタリアの運動をはめ込もうとするのではない。プロレタリア階級全体の共通の利益を強調し貫徹すること。他の党派と違うところは、私有財産の廃止、所有一般の廃止ではなく、他人を搾取して生産物を手に入れることの出来る財産の廃止。国際主義。
 宣言で書かれたことが、11月集会で苦闘してきた中身と重なりました。今も問われていることだなあと思っています。
 4・9和解情勢に立ち向かおうと、国鉄全国運動で杉並区内の自治体や自分の職場に物販を持ち込み、青年を獲得するために組合員が一丸となってとり組んできたと思います。大恐慌と戦争と対決する労働運動を、11・7をもって始めたと思います。今までの延長では行かないことはハッキリしています。今日のマルクス主義の学習会は、大きな力になったと思います。

☆「労働者の生き方」、むずかしいです。労働者は労働(仕事)があるかぎりで生きることができる。その労働が資本を増殖するかぎりで労働にありつける、ということが書かれているが、労働者ってそんなに弱者なのかとも思うし、反面、社会を動かしているのは、その労働者たちであるし、ここは強気で生きていった方がよいと思う。それは、あらゆる階級闘争は政治闘争であるということと、やっぱり団結しかない。私が気に入っている言葉がある。「労働者はときどき勝利することがある。……ほんとうの成果は……労働者の団結がますます広がっていくことにあるのだ」。なんか妙に心がくすぐられている。

☆「共産主義社会とは何か?」は、よく質問されます。理論的にはレジュメで出されていることなど、いろいろ言えると思います。実感としては闘いの実践の中でしかつかむことは出来ないのではないかと思います。
 資本主義を打倒していく闘いの中でつくられる仲間との団結、そして動労千葉のような労働組合のあり方、団結、義理と人情、人間的な共同性など、自分たちの闘いの実践の中でつくられ、実感していくものかと思います。また、共産主義社会の土台となるような人間(労働者)の団結が、労働組合と党の中で形成されていかないと、プロレタリア革命にも勝利しないと思います。闘いの中で「この仲間たちと共に生きていく。共に革命に勝利できる」という実感や団結をつくり出していくことと、共産主義社会のイメージは重なっていくと思います。
 カギは、意見で出されたように、団結の強化・拡大と労働組合のつくりかたの問題だと思います。第4章の「支持」「提起」「努力」は新たな発見でした。

☆ やはり何度聞いても共産党宣言の講義は高揚します。
 党派闘争的なものの中で書かれたものだということがようやく分かりました。その中で今日的意味がある点を先生がピックアップして講義されたので、かなり整理されました。こういうサマリー(要約)をつくるのは実に大変と思いますが、私に今日フィットしたのは、
・p3 「労働者はときどき勝利することがある。しかし、その勝利は一般的なものにすぎない。労働者の闘争の本当の成果は、直接の成功にあるのではなくて、労働者の団結がますます広がっていくことにあるのだ」
・p4 「プロレタリアートのブルジョアジーに対する闘争は、内容上ではないが、形式上では、まず国民的なものである。それぞれの国のプロレタリアートは、まず、第一に自国のブルジョアジーと決着をつけねばならない」
です。後者は「まず、第一に自分の職場のブルジョアジーと決着をつけねばならない」ということでもあるかと思います。
 農民の立場については、農民が革命的と言えるには「将来の利益を守るために、自らの立場を捨て、プロレタリアートの立場に立つという場合である」と明記されていますが、ここは物議を醸すのか分かりませんが、三里塚空港反対同盟は私の目から見ればこの点で若干揺らぎがあって、それが揺らがずプロレタリアートの立場に立ちきるためには、1にも2にもプロレタリアートの闘いが爆発しないとならないのだと思っています。
△今後の希望、やはり「労働者の生き方」を労働学校の最後にもってきてほしいなと思います。

☆資本主義はもう本当に終わりです。今日の講義でもあったように、ブルジョアジーはもはや社会の存在とあいいれません。新自由主義はこのことを完全にむき出しにしています。今、「幼保一体化」の名の下に、保育所、幼稚園の民営化が問題となっていますが、その中で言われているのは、資本主義の至高のルール「私人の手の中に富が集積されること、つまり資本の形成と増殖である」そのものです。保育という労働者種族を繁殖させ、社会を存続させるために不可欠な事業さえも「もうけさせろ!」という資本主義の“ルール”を人間の意志とは無関係に貫徹させようとしています。保育事業の「運営費」の使途を自由化させろということです。こうまでしないと存続しない資本、資本主義こそ滅ぶべきです!
 冒頭、田中委員長が言っていたように私たちはこの新自由主義という世界史的な攻撃に真正面から立ち向かい、「これだという一つの方向−国鉄大運動を生み出し、国鉄闘争の火を消させなかったし、それどころか保育職場を含め、全ての職場・地域で民営化と闘う火種を生み出すことに成功しはじめています。これを本当に組織し、組織し、組織しぬくことが2011年の課題です。
 激動的な闘いの渦中で、必ずやこのことをなし遂げたいという決意を新たにした講義でした。
※上部構造の話がありましたが、実はこの上部構造(とくに役所と思い描いていますが、[軍隊も])を担っているのも労働者です。「全上部構造を吹っ飛ばす」という場合、外から(下から?)ということもありますが、内側からも吹き飛ばすという意味も今や込めるべきでしょう。本当にプロレタリア革命は根底的です。

☆今日は仕事になってしまい、最初から聞けなかったのが残念です。
 前回も何かユートピア的な社会を求めるのではなく、団結して闘うこと、運動そのものが大事であるということに安心感をおぼえましたが、今回もそのことを強く確認し、そしてこれから何度も自分の言葉で説明できるようにしようと思いました。
 それはそれとして……私が今闘っている相手は、目に見えない本当の資本家なのか、自ら汗水流して働いている中小企業の社長なのか、ちょっと分からなくなりました。この人たちも私と同じ労働者であるなら、この人たちとも団結して闘わなくてはならないのだと思いました。
 私の職場は経営者と労働者が“労使一体”と言って、社会保障制度などに対して闘っています。これは体制内の闘いであって本当の闘いではない……?!
 どのように闘えばいいのかじっくり考えたいと思います。

☆今日学んだことは、現下のブルジョワ社会では、われわれプロレタリア階級は、これ以上生きていくことはできない。ブルジョワジーを打倒することができる。@ブルジョワ的私有財産の廃止。社会による共有化A万国の労働者が団結する(国際主義)ことにより、ブルジョワジーの古い生産諸関係を暴力的に廃止する。プロレタリア革命によってのみ、ブルジョワジーを打倒することができる。これ以外にプロレタリアが生存することはできない。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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