運転職場にたたかいを拡大
 動労千葉、翌89年にはたたかいを運転織場本体へと広げていった。この年は、4・1幕張拠点スト、4・17新小岩・佐倉拠点ストをはじめ、五波にわたるストライキを貫徹、12月5日には前述の乗務員ストに決起し、JR発足後初めて列車をストスフさせた。
 以降も90年3月の84時間ストをひとつの頂点としてたたかいを継続し、JR体制下での確固とした力関係を形成していった。
 92年11月、千葉支社は強制配転者の収容先であった直営店舗の廃止を提案してきた。「収益が上がらない」というのがその理由であった。当然にもわれわれは節織復帰を要求してストライキを配置してたたかいぬいたが、当局はあくまで節織復帰を拒み、。塩漬けに状態を固守した。それはJRと革マルの結託体制が、たとえひとりといえども、配転者の復帰が“蟻の一穴”になることをいかに恐れているかを示すものであった。

1989年4月13日 長期波状ストライキ
4・13幕張拠点スト

 総武支部結成 89/6(配転者で組織)

銚子駅でスト突入(88/6・16)

京葉線に新しい支部結成 89/1.7
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