組織破壊攻撃をはねのけ1300名超える組合員を結集

津田沼に結集した動労千葉600名の決起集会

 本部革マルは、暴力的な襲撃以外にも、各個人宅や家族への脅し、乗務の出先で組合員一人一人を取り囲んでの「オルグ」、カネによる買収、国鉄本社と結託して団体交渉や協約締結対象として認させまいとする策動、県労連にはじまり労働金庫にいたるまで圧力をかけて、県内の一切の共闘や友好関係を破壊しようとする策動など、ありとあらゆる組織破壊策動を仮作したが、動労千葉の団結は微動だにもしなかった。  本部革マルに酒やカネで買収された一握りの裏切り者を生み出した佐倉、銚子での支部結成も、佐倉支部が80年3月30日、銚子支部が81年6月29日に結成し、千葉管内の運転職場の不動の主流派としての地位を築いた。

 当時総評などでささやかれていた「理は千葉にあるが、本部の圧力で200〜300残ればいいほうだ」「動労千葉がつぶれるのは時間の問題だろう」という大方の予想に反して、関川委員長の下に1400名中1300名を超える組合員を結集する新組合として、その第一歩を力強く踏み出した。

 一方、79年8月に開催された動労全国大会(熊本)では、革マルよる動労の変質とファッショ的運営に対する怒りの声が激しく噴出し、12地本の代議員が全面的な修正動議を提出した。