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No.

車両軽量化・ボルスタレス台車と尼崎事故 No.2

(6142号から続く)

こんなものを使って大丈夫なのか?

 車両の軽量化については、小さな地域新聞への投稿だが、鉄道工学を研究されていた方から次のような指摘がある。

 私は、鉄道工学を大学で研究して国鉄OBに習ったことから今回の事故を分析すると、報道各社が知らせていることと少し違う見方をしている。制限速度を30q/h超えたとしているが、鉄道というものは、安全率の取り方が厳しいので30キロオーバー位ではカーブでも脱線しない。歴史をたどれば、昭和33年頃から新系列として国鉄が車両の開発を行い、それまでの木造の車両に鉄板を張ったいわゆるニセスチールといわれていた車両を減らし強度の高い車両と速度の向上を図ってきた。それらの車両は30年以上の耐久性をもっている。JRになってから車両は10年もてばよいという考えで部品の簡素化、極端な軽量化を図ってきた。……今回の事故車両はJRになってからの設計であり、車両強度がかなり弱いと考えられる。普通、車体を解体する時もガス切断機を使わなければ解体できない。あの事故現場では、ビル解体をするときのような機械を使っている。これは木造車両を解体するときに使う。最近の車両は、木造車両と同じ位の強度ということが言える。JRが今の車両を製造するに当たり、下請け会社から「こんなものを使って大丈夫なのですか」という意見が沢山あったと聞いている。……軽量化とともにモーター車を減らしている。出力を落として、同じ人員を輸送するということは、単純な軽量化では対応できない。事故は車両構造にも原因があったと思う。

5月10日付「 稲毛新聞」

軽量化と車両の強度
車体の強度に関する基準

 ところで、車体の強度に関する基準は、@上下方向の荷重とA「曲げ剛性」(一定の力を加えたときに車体がどの程度変位・変形するかということ)によって管理されている。また、尼崎事故のように列車が転覆した場合や、衝突したりした際の強度は「想定外」のものとされている。
 軽量ステンレス車両の開発が始まったのは70年代半ばだが、やはり最大の問題となったのは「 強度」 であった。76年に米ボーイング社制の立体解析プログラムを用いて強度解析をする目処がついたことが開発の引き金になったという。
 始めに試作された構体(車体)重量は、「とにかく考えられる最も軽く単純な構造の構体」という発想で造られ、4130sであったという。現在のE231よりも1・4tも軽かったということだ。もちろん実際に使える代物ではなく、それに補強を繰り返して、使用可能、生産可能になったのが現在の軽量ステンレス車両の原型となった。つまり、当初から限界ギリギリの軽量化が追求されたということだ。

上下方向の荷重に対する強度

 JRの場合、上下方向の荷重については「定員の3倍(300%)の荷重(乗客一人あたり55s)を負荷し、安全率を1.5とする」という基準で設計されている。車両の強度の基準として存在するのはこれだけで、脱線や転覆、衝突に対する強度はまさに「想定外」なのだ。
 この基準は、1961年7月に総武線津田沼駅構内で、自衛隊員を動員して最大何%乗車することが可能なのかを実験してわりだしたものだと言われている。つまり「 強度の基準」 とは言うが、これは、その車両が乗客を乗せて走らすに足りうるものであるかどうかということに過ぎない。
 今日のように過密ダイヤが設定され、スピードアップが行なわれることなどは想定されていなかった時代につくられたものだ。自動車が溢れ、踏切での列車との衝突事故が頻繁に起きるということも想定されてはいなかったはずだ。条件が全く違う今日の現実のなかで、車両の強度に関する基準がこのようなものだけであっていいとは考えられない。
 しかし、その基準すら緩和しようという声があがっている。「安全率を1・5とすると、4、5倍(450%)乗車までの強度要求ということになり、物理的な乗車実態とかけ離れている。近年のコンピューター解析の精度向上、および信頼度の向上を考えると、安全率の数値に関しては見直しが必要と考える」(鉄道ジャーナル/2000年9月号/JR東日本の車両開発プロジェクトの設計者)というのだ。

車体の「 曲げ剛性」の問題

 それ以上に問題なのは、「 曲げ剛性」 についてである。これは「いまだ基準がなく経験値に依存している現状」だという。だがそれも実際はウソで、次の表のとおり「 曲げ剛性」 は、従来型の車体の強度・剛性を無視して、大幅に小さくなっている。つまりかかったモーメント(力)に対し、簡単に変形してしまう弱い車体になっているということだ。
 「 曲げ剛性」 の大小は、車体の強さ、弱さとほぼイコールだと考えていい。
 前号で車体の骨材の厚さを1・2oから1oに薄くしたことを明らかにしたが、その後目にした資料では、側板まで、E231系はそれまで1・5oだったものを1・2oにし、さらに台枠(床板)も軽量化したという。尼崎事故のように激しい衝撃を受けたときに一体どうなるのか、という観点など全く無いままに、ペラペラな車体が製造されている。尼崎事故は、まさに起きてはならない最悪のかたちでそれを実証することになったのだ。

103系
209系
E231系
相当曲げ剛性
12.6
6.4
5.8

危険は自ら承知していた

 車体の強度については国土交通省令上も、「車両の車体は、堅ろうで十分な強度を有し、運転に耐えるものでなければならない」(省令)「車両の車体は通常の営業運転で想定される車体への荷重等に対して、運転に耐えられる十分な強度、剛性及び耐久性を有するものであること」(解釈基準)としか定められていない。このような基準ならざる基準を前提として、ひたすら軽量化とコストダウンが追求されたときに何が起きるのかは歴然としていると言わざるをえない。
 JR東日本の車両設計者も、自ら「軽量化と転覆、浮き上がり防止は矛盾する要素技術」と書いているとおり、危険と背中併せだという認識はもっていた。だが、軽量化、コスト削減、スピードアップ、そして見せかけの乗客サービスだけが車両設計にあたっての最優先思想とされた結果、結局安全は何ひとつ顧みられることなく、尼崎事故に行き着き、今もまたJRは第二第三の尼崎事故に向けて暴走しているのである。

本当に「 想定外」だったのか

 一方、尼崎事故のような大惨事は本当に「 想定外」 だったのだろうか。この間起きた事故の数々が「安全」という観点から検証され、教訓化されていれば、尼崎事故はけして想定外の事態であったということはできない。
 例えば、2000年に起きた日比谷線脱線衝突事故について、鉄道総研は、「軽量ステンレス鋼製中間車両の車端同士の側面衝突では、衝撃力が車端隅部の限定された箇所に集中的に作用する。このため、比較的低い速度でも車体が損壊し、破損した構成部材が車内に入り込む恐れがある」と報告し、「側面衝突時の衝撃破壊挙動」の評価が必要だとしている。
 1997年の大月駅事故も、本線をまたいで入換作業を行なう列車が、本線通過列車の側面に衝突した事故であった。余部鉄橋からの列車落下事故も、車両の軽さが最後の引き金となったものであった(重いDD51機関車は鉄橋上に残り、軽い14系客車だけが全車転落した)。
 さらには、後で詳しく述べるとおり、ボルスタレス台車の曲線での安定性には以前から疑問と警鐘の声があがっていた。しかし、こうした問題が真剣に検討された形跡はない。むしろ、こうした事故の数々を経験しながら、なお軽量化とコスト削減、スピードアップだけが遮二無二追求されつづけたのである。
(つづく)

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