DC通信No.65 05/03/14
鉄建公団訴訟意見陳述

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意見陳述

2005年3月11日
原告9名代表 高石 正博

 本件訴訟の第1回公判にあたり、原告9名を代表して意見を述べさせていただきます。
 1987年4月の国鉄分割・民営化にともなって、私たち9名を含む12名は、新会社への採用を不当にも拒否されました。しかし、不採用になった理由は、当時、私たちには全く説明されませんでした。その後、千葉地労委の審問の中で、動労千葉が実施した85年11月と86年2月の2回のストライキで、停職6ヶ月または停職2回の処分を受けたことが不採用の理由だということが明らかにされました。それまでの間、私たちは理由も分からないまま過ごさざるを得ない状況でした。
 動労千葉が実施した2回のストライキは、国鉄との間で結んでいた雇用安定協約を一部の労組とは締結し、動労千葉や国労とは再締結しないという国鉄当局の不当な対応に対して、その再締結等を求めて実施されました。さらに、国鉄分割・民営化にともなって3人に1人の国鉄労働者が職場から放り出されることや、当時日本の労働運動の中でも最強といわれた国鉄労働運動を解体しようとする政府等の攻撃に対して、自らの職場と生活、労働者の権利を守る闘いでもありました。後に当時の中曽根首相が、雑誌「アエラ」の取材に対して「総評を潰すことを意識して分割・民営化を行った」と話していることからも明らかなとおり、国鉄分割・民営化そのものが国家的不当労働行為として行われたことは周知の事実でした。
 こうした中で当時の国鉄は、動労千葉に対して解雇28名をはじめ、停職や減給等の大量の処分を行ってきました。
 しかし、この28名の解雇については、一審で13名について国鉄の解雇権濫用が認定されて解雇無効となり、高裁段階においては28名全員の解雇無効が清算事業団との間で確認され、和解が成立しました。より重い処分である解雇さえ無効としたこうした事態は、私たち9名に対する停職処分そのものも不当であったことを物語るものです。

 国鉄分割・民営化にともなって新会社への採用を行う上で、ストライキに対する処分はすでに受け、しかもそれが不当であるにもかかわらず、そして、応募人数が募集人数に達しなかったにもかかわらず、その処分を理由にしてあらためて2回目の処分になる新会社への採用を拒否するということ自体、法の趣旨からも逸脱したものであり、不当な取り扱いです。こうした事実は、明らかに動労千葉に所属していることを理由にした差別以外の何ものでもありません。

 さらに、国鉄清算事業団に送られて以降も、私たちに対する差別的な取り扱いはますます強まるばかりでした。清算事業団での3年間は、再就職を斡旋するという名目とはほど遠いものでした。「雇用対策」と称して清算事業団が用意する再就職先については、管理者から何らの説明を受ける訳でもありませんでした。管理者も、朝と夕方の点呼だけ行って、あとは全く関知しないという対応を続けているというのが実情でした。
 しかも、清算事業団内部の管理者会議では、私たちのことについて「再就職する気があるのか無いのかだけを確認して、後はほうって置いてよい」「千葉労との議論に巻き込まれては駄目です。集団はほうっておいて2名だけおとすことが先決です」「90年3月31日まで再就職しないで置いておくだけの職員については、しっかりと確認ができれば、それはそれで片付いている」「職業相談の後にフォローをきちんとして、後日に問題を残さないようにして、支部長が確認すること」等の確認が行われていることが明らかになったのです。
 こうした事実は、動労千葉に所属していることを理由にして清算事業団に送り込み、再就職させることなど全く考えずに意図的に放置し、最終的には清算事業団からも解雇することを目的にしていたことを如実に示すものです。
 こうした清算事業団側の明確な差別意思のもとで3年間を過ごさざるを得なかった私たちの苦悩は、言葉に出して言えるものではありません。
 そして90年4月1日、私たち9名は、清算事業団から不当に解雇されたのです。

 この間JR不採用事件で出されている最高裁判決の中でも、国鉄分割・民営化に際して採用手続に不当労働行為があった場合には、その責任は旧国鉄が責任を負うことが明記されています。旧国鉄=清算事業団が私たち9名に対して行った解雇は、組合所属を理由にした明白な差別意思のもとに行われたことは明白であり、さかのぼって撤回されなければなりません。

 本件訴訟が開始されるにあたり、裁判長におかれましては、慎重に、そして真実を探究する証拠調べ等を行い、公正な裁判を行うように心からお願いして、原告を代表しての意見陳述とします。

−以   上−


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