鉄路を制する闘いへ 

拒否から阻止へ        吉岡正明
 

 一九七八年四月六日、千葉市教育会館で開催された動労千葉地本第三〇回臨時地本大会は、三里塚・ジェット闘争について「自らハンドルを握り輸送拒否から阻止へ、自らの闘いによって料燃輸送ルートを寸断する闘いへふみぎる」という新たな飛躍をかけた方針を確立した。
 動労千葉地本に結集する一四〇〇名組合員は、七七年一二月から七八年三月にいたる三里塚・ジェット闘争を国家権力はもとより、組織内外の密集せる反動を打ち砕き、前代未聞の助役機関士による燃料輸送と一般列市ダイヤと燃料輸送ダイヤとの分離をかちとった。
 その成果と教訓、誇りと苦悩のすべてをかけた激裂討論の末、三・.一ストライキを新たな出発点とし、三里塚「廃港」まで闘いぬくための新方針は確立された。この新方針は、孤立を恐れず自らの主体的闘いをとおして情勢を切り開くという運動の原則に徹し、ことばだけでなく真に闘いぬいた千葉地本一四〇〇名の血と汗と涙の結晶である。

動労千葉地本臨時大会方針

「拒否から阻止」へという新方針を確立した動労千葉地本第三〇回臨時大会決定方針の核心点はつぎのようなものである。
 一、第二九回定期大会は、三里塚・ジェット闘争について、つぎのように確認した。第一に、福田自民党政府と真向から対決する闘いであり、第二に、右傾化する日本労働運動の現状を打破し、戦闘的再生をはかる闘いであり、第三に、マル生以降、労使正常化路線の一定の「成果」にふまえ貨物合理化、「職場規律の厳正」など、いよいよ再開された国鉄当局の攻撃との焦点を形成する闘いである。
 したがって千葉地本が今日まで闘いとってきたいっさいの成果、闘いの地平を試練にかけるばかりでなく、まぎれもなく国鉄労働運動全体の動向を決する重要な位置を占め、さらに労働組合が本来取り組むべきすべての課題を内包しものとなるだろう。こういう階級的意義の明確な自覚のもと、 

 四つの視点(@空港反対・労農連帯A反合理化B運転保安確立C組織破壊攻盤粉砕)と「闘う主体の確立」「広範かつ重層的支援連帯の環の獲得」をめざし、一四〇〇名組合員の総力を結集し組織の存亡をかげて間う決意を内外に明らかにした。

二、政府・公団のなりふりかまわね年度内開港策動の強まりのなかで開催された七七年「一一・二〇全国総起集会」は基調報告において、三里塚・ジェット闘争の方向性について、第一に、いまや日本階級闘争の天王山となった三里塚闘争は、この世の中を大きく変えていく可能性を秘めた闘いであり、絶対に勝利しなければならない。第二に、三里塚闘争は、十二年の歴史のなかで、最大の正念場をむかえており、動労の三里塚・ジェット闘争が、その焦点をなしている。第三に、労働運動の左翼的再編をめざして戦闘的に闘う動労千葉地本に対し、体制的危機にあえぐ権力の側からの弾圧はもとより、労働運動内部からの反動的敵対は必然であること。したがって、第四に、勝利の道は、こうした密集せる反動をつぎ破ることによってのみ可能であること。

三、以上の立場と展望を全職場に定着させ一二月三日零時を期して「一〇〇日間闘争」と呼ばれる、三波にわたる長期闘争に突入した。一四〇〇名組合員は全知全能をふりしぼり、強靱な闘魂をみなぎらせて密集せる反動に対決し、それを打ち砕き当局に分離仕業という屈服を強い、緒戦における勝利をかちとった。しかし、この道理は決して平坦ではなく、苦闘の連続であったといえる。
 国鉄当局の不当きわまる輸送計画発表、三・一時改提案に抗議し、一二月三日から二九日にいたる第一波闘争は、早くも登場した権力と、それに呼応する手先どもによる闘争破壊攻撃(一二・五総武線における謀略的順法圧殺攻撃―12・6瀬戸山法相発言―、11・8朝日}新聞社説等)を粉砕しつつ、緻密かつ強靱に闘いぬかれた。
 幕張駅折り返し設備着工阻止を目標に、一・一〇旗開きから二・七ストライキにいたる第二波闘争は、「政労交渉」「富塚発言」など国労内一部指導者の反労働者的行為という、労働戦線内における反動を生み出しながらも、広範な支援・連帯の環を拡大しつつ闘いねかれた。
 さらに、三・一時改粉砕一助役機関士の線見阻止を目標とした二月一四日から三・一ストにいたる第三波闘争は、追いつめられた国鉄当局の警察権力を導入し、組織の中枢の瓦解を意図するむき出しの攻撃と、それに勇気づげられた動労内一部革マル系反動分子の「三・一終止符論」に象徴される悪質きわまる策動と真向から大衆的に対決し、柔軟かつ原則的組織戦術を駆使しつつ闘いぬかれたのである。

四、二回のスト、ニカ月聞.の減産開争、二週間にのぼる大衆的実力闘争の集積は、一〇〇日間にわたり房総半島―首都圏を麻痺させ、日本列島をゆるがしながら、組合要求である「燃料輸送の仕業分離」と「動力車乗務時短の先行解決」をかちとった。こつ闘争の成果について、つぎの点が指摘でぎる。
@労農連帯と労働組合の階緩的責務をかけて、一四〇〇名組合員が燃料輸送拒否を貫徹しぬき、三・一ストを新ただ闘いの出発点とする三里塚空港反対闘争勝利の巨大な展望をきりひらいた。
A日本労働運動の右翼的再編策動の強まりのなかで、戦闘的再生の突破口をきりひらぎ、とりわけ、低迷する七八春閃勝利に向けて、戦闘的活性化と、流動化を確実にもたらした。
B一四〇〇名組合員が一人の脱落もなく、最後まで強固な団結を堅持して闘争を貫徹したことによって、伝統的民向型労働組合運動の限界を打ち砕き、体制的危機の時代にあって、労働組合運動の進ふ.もべき道筋を明確にさし示した。
C内灘闘争=北陸鉄道労組の闘いを継承・発展させ、六〇年安保以来の政治ストを打ちぬき、労働者と農民の信頼にたる共闘関係を確立し、労働組合の階級的復権の端緒をきりひらいた。
D精密な情勢分析と明確な組織戦術によって「闘えば分裂する」という悪しき神話を打ち破り、「やりようによっては勝てる」という自信と確信を獲得した。

 この成果を可能ならしめたものとしてつぎの点があげられる。
@「四つの視点」「二つの戦略」の旗のもとに全支部全組合員が結集し、実践をとおして、それを実現したこと。
A地本―支部―組合員の信頼関係が船橋闘争以来の闘いのなかで確立されていたこと。
B敵の弱点をしっかり握り、敵の戦力を分散させるため、「分離要求」などで最大のダメージを与える一方、味方の結束を固め、損害を少なくする戦術の妙味を発揮でぎたこと。
C「迷ったら原則に戻る」ことに徹し、一見孤立を余儀なくされつつも孤立を辞さない自らの主体的闘いによって、広範な支援と連帯を求めることに成功したこと。
D「お天道様の下を胸をはって歩きたい」「反対同盟を裏切れない」という言葉に象徴されるように、自分たちのエゴから出発した闘いではなかったが故に、全組合員が誇りをもって長期闘争に耐えぬいたこと。
Eもとより、三里塚・ジニット闘争は、その展開のなかで多くの弱点と力量不足も露呈せざるをえなかった。
 それは、闘いの内容と質において全国闘争として展開しきれなかったこと、その結果として、客観的条件に規定されたとはいえ、無条件分離をかちとれなかったこと、県労連や地区労傘下の組合を結集しきれなかったことなど、枚挙にいとまがない。
 一四〇〇名組合員の長期にわたる真剣かつ戦闘的闘いに、十二分に応えきれなかった地本闘争委員会の力量不足を卒直に反省するとともに、今後克服すべぎ課題として、実践のなかから、理論的水準や政治的熟達をますます高める努力をしなければならないと自覚する。
F ともあれ、三里塚・ジェット闘争は、三・一ストを出発点として、そして三・三〇ストを起点として、新たな段階に入った。

 われわれは助役機関士の運転により、ジェット燃料が連日空港に輸送されている現実、つまり、敵の手に輸送を委ね、労働組合として打つ手がないという現実、さらに、数千にもおよぶ機動隊による沿線警備を強制している動労千葉地本に対する権力の憎悪をも直視する必要がある。
 「自らハンドルは握らない」ことによって反対同盟に対する一定の責務を果したとはいえ、その段階にとどまることは、苦闘の末かちとった成果を自ら汚すことであり、許されないことだ。
 われわれはいま重大な岐路に立っており、重大な組織的試練に直面している。現状における「分離」の限界性を見極めるならば、感情的には抵抗があるとはいえ、現下の力関係のなかで、敵のアキレス腱をにぎりしめる大胆な戦術転換、つまり自らハンドルを握ることをも検討し、労働組合としてなしうる戦術(ストライキ、減産闘争、非協力闘争、安全運転行動など)を駆使して、燃料輸送ルートを寸断し、輸送拒否から阻止へとふみきらねばならない。
 年度内開港を粉砕され、追いこまれた福田内閣は、あらゆる権力機構を総動員しての面子だけの「開港」に向けて凶暴な攻盤にうってでてくるであろう。しかし、反対同盟のみならずわが動労千葉地本という二つの時限爆弾を抱え、数千の機動隊に守られて四苦八苦しながら、あまりにも多い矛盾にさいなまれて、結局は廃港への道をたどるであろう。
 われわれが反対同盟との連帯をより強固にし、三・三〇ストを起点に鉄路のヘゲモニーをがっちりとにぎりしめ、長期強靱に闘いねくならば、勝利は完全に可能である。われわれは、大胆にその道を切り開かなければならない。
労農同盟の旗のもと、三里塚空港反対、福田反動内閣打倒に向け 着実に前進しよう。

激論のなかから

 この方針提起に対して、真に闘いを担いきった立場に踏まえて、実にさまざまな意見が出された。
 意見の大勢は、「運動論や戦術からいって〈新方針しかない〉という地本の判断はその通り」としながら、なお「自らが運んだ燃料で飛行機が飛ぶ」ということに対する割り切れなさが出ている。
 「〈反対同盟を裏切らない〉〈ハンドルは絶対とらない〉ということで組合員を指導し、地本執行部と心中するつもりで闘.ってきた。ここ180度の戦術転換をするならば、事前に支部に対する討議をもっとやるべぎではないか」「3・1の時点で、一般の列車ダイヤと燃料輸送との〈分離〉は困難であると感じていたが、一四〇〇の団結でかちとることができた。組合員はほっとしていた。〈分離で三年間が無理なことは、大方が予測していたことであるが、燃料輸送のハンドルを握ることにする時期が早すぎるのではないか」「第五〇回定期地本委員会(三月二四日)でこの方向性が明らかになってから、全支部で地本からのオルグを主体とした職場討議があり、その上で今日の臨時大会になった。そのなかでく空港に反対しながらどうしてハンドルを持つのだ〉というのが組合員の卒直な反応である。コミ運用にすることがく警備の負担を軽くする〉〈国鉄当局を安心させる〉〈運転保安の問題は解決したのか〉〈ゲリラは動労組合員が乗ってもやるのではないか〉等々の疑問にどう答えてゆけばよいのか」
 これらの発言のなかに職場生産点で身を挺して闘.いねいてきた組合員、とりわけ支部役員、活動家の苦悩が滲みでている。その苦悩と同じところがら、つぎのような怒りもでてくる。
 「三里塚・ジェット闘争は全国闘争として闘うと全国大会(七六年一二月九四回中央委)で決定しているにもかかわらず、〈水本問題〉では二回も全国動員をかげながら、中央本部は、ジェヅト闘争に一回の集会も開催しないのはなぜだ」「青年部情報・号外には〈千葉は組織がどうなっても勝手に闘えばよい〉と書いてある。全国闘争であるこの闘いに、組織内の機関紙がこのようなことを書くのは許せない、中央本部はどう指導するのか」「中央本部が、当該地方本部である千葉地本の意向を本当に汲みあげてやってきたとは思えない。われわれは、〈労働者としてお天道様の下を胸をはって歩きたい〉という気持で闘ってきた。二月六日全国戦術委員長会議方針でのく三・一で終止符を止つ〉とは一体なんだ」

 これらの発言の裏側に「負けてもやるべきだ」「どうしても本部がダメなら山ネコでもやれ」という職場の声があることを、闘った者ならば容易に理解できる。それを知りながら、地本は答弁する。
 成田における地本大会決定方針をもって、地本は三・一ダイヤ改正を潰すつもりで、七二時間のストライキ、最低でも四八時間のストライキを含む方針を本部に提起していた。二・六全国戦術委員長会議で本部方針として「早期終止符論」がでてきた。「早期終止符論」が動労内一部にあることは歴然としており、このような情勢のなかで、三・一ダイヤ改正阻止の闘いについて「分離案」という戦術を提起し、全国からの支援を得て「終止符論」を排除した。三・一の時点では「分離案」が最良の方針であったと確信していろ。
 「分離案」によって国鉄当局は動揺と意識分裂に追いこまれ、三・一ストによって国鉄史上はじめての助役機関士による運転がおこなわれ、体制側が自らの「秩序」を破壊するにいたるという勝利をかちとった。われわれは固い団結と広範かつ重層的で強力な支援のもとに断固として闘い、そして勝利をかとちったことをはっきりと確認しなければならない。しかし、われわれはこの勝利を勝利として確認しつつも、今後の長期にわたる闘い、つまりジェヅト燃料貨車輸送阻止を闘いねく展望を確立しなければならない。その意味で、動労中央本部から「最終的に組合員がハンドルを持つ」という結論が出された時点で決断した。  

 二日二晩にわたる地本闘争委員会の激論のなかで、闘争戦術の方針決定権をもたない一地方本部として、このことをとおして組織の強化をかちとるのか、組織を弱体化させるのか、さらには輸送阻止までいかに闘いねくのかということを基底に据えて結論をだし、第五〇回定期地本委員会に提起し、さらに各支部オルグを経て、今大会に提起した。
 戦術は常に両刃の剣だ。「分離」戦術が、組合員は運ばないということと裏腹に助役機関士によって燃料が運ばれるという事実上の「スト破りの恒常化」を認めてしまうという結果になると同様に、「ハンドルを持つ」という戦術も、「一本でも二本でも列車を止める」ということと裏腹に、「自らジェット燃料を運ぶ」という矛盾点は自覚している。しかし、「分離」によって政府・当局を分裂、屈服させ、助役機関士や警備陣を極度に疲弊させ、備蓄輸送を三月二三日で打ち切らざるをえないところまで追い込んだ現時点で、助役機関士による「スト破りの恒常化」や、われわれの手の届かないところでジェット燃料が運ばれている現状を打ち破ることが、この職場生産点での勝利的展開という時点をとらえて、新たな戦術をとることが時期的にもっとも有利である。
 輸送量を増やすという策動や現地情勢の逼迫と呼応してジェット燃料をストップさせるという戦術を幅広く駆使する方向が採れるということの方が、列車の前に坐り込むというような、きわめてかぎられた戦術しか採れないということより優れている。ハンドルを握る時期をもっと先へ延ばせないかということについては、地本としても七八年一〇月を追求したが、本部と当局の交渉ではそうならなかった。安全問題については、設備の問題をはじめとする諸処の問題点を全力をあげて追及する。そのことによって“列市が止まる”ということも辞さない闘いをする。
 現地闘争の関係からみれば、ジェット燃料貨車輸送阻止の闘いは現地闘争の拡大である。「三里塚人口」を増やし、三里塚を闘う人びとがそれぞれの地域で闘うということをとおして、三里塚闘争を拡大するという反対同盟の方針を、もっとも端的に具現した優れた闘いとして動労のジェット闘争がある。われわれはこの闘いをさらに拡大深化させ、廃港をかちとるまで闘いぬくという方向性を堅持しており、そのたのための戦術転換であるということが、反対同盟や支援の仲間にもかならず理解されると信ずる。三・三〇ストは、今後も随時、随所で開港反対の行動を決行するということの宣言であり、ジェット燃料の備蓄が八日分しかないということも考慮すれば大きなダメージを敵に与えるということを示している。
 地本はあくまでも佐倉、成田の乗務員の苦悩を共有し、可能なかぎり職場に入り、組合員と膝をつぎ合せて、意見を交換してゆきたい。
 いまこそ、動労全体が、千葉地本が、一人ひとりの組合員が、自己を高め、弾圧をはねのけ、労働運動内外の、そして自己の内なる反動を克服しつつ、三里塚廃港へ向けた闘いを構築してゆくのかを問われている。
 この地本からの答弁に対して再度の質問がでる。再び地本が答え、さらに質問がでる。その繰り返しのなかから、時には言葉は荒くなっても、労働組合とし闘う方向はこれしかない、職場全体が理解するためには、もっと時間が必要だ、という要点が浮かびあがってくる。「成田、佐倉の該当乗務員の理解が絶対の条件である」「種々の意見があっても一四〇〇の団結をあくまで守りねく方向で集約してゆかなければならない」などの意見もでる。
 こうした討論を経て最終的につぎの三項目を附帯決議として方針が確認決定された。
一、第三〇回臨時地本大会の決定方針は、七八春闘の全過程を通じ、全組合員に周知徹底をはかり、意志統一をはかることとするが、場合によっては再度臨時大会の開催を検討する。
二、ハンドルを握る時期については、現地情勢の推移を勘案し、中央本部と協議し、きめる。
三、ハンドルを握った以後の取り組みについては中央本部と充分に協議し、具体的方針を提起する。

 退路なき闘いへ

 動労千葉地本は三里塚・ジェッ・ト闘争100日間決戦を文字通り一四〇〇名総体の闘いとして勝利的に貫徹してきた。
 大衆組織としての労働組合が、このような新たな飛躍をかけた「輸送拒否から輸送阻止へ」という「戦術転換」ともいえるこの方針にさいして、とまどい、動揺することは、ある意味では必然である。三里塚・ジェット闘争に責任をもたず、闘いの埒外にいて闘いに敵対し妨害することのみを願望する部分が誹議・中傷することとは別の意味で、真に闘いぬいてきたが故のとまどい、勝利するためにいかなる道を選択するのがなどが多くの意見となって噴出する。
 しかし、正しい路線にもとづく方針の提起があれば、自由で徹底した討論のなかから、労働者はかならず最良の道を選び、敵を恐れずに闘う。この労働者の英智と勇気を真に信ずることのできる者のみが真に闘うことができるのである。マル生粉砕闘争、青年部問題の階級的解決、船橋事故闘争をこうした立場で闘ってきたわれわれは、過去、幾多の困難と壁を大衆的討論と大衆的実力闘争をとおして打ち破り、今日の闘う組織を形成してきたのである。この第三〇回臨時地本大会を数倍する激烈な討論を何変も経験している。
 まさしく、こうした幾多の闘いと討論をとおして培ってきた一四〇〇名相互の信頼にもとづく団結力が三里塚・ジェット闘争を闘う原動力であった。したがってこの激烈な討論も三里塚・ジェット闘争を持続的に闘いうる動労千葉地本の組織的飛躍をかちとるために避けて通ることのできないワンステップであることを確信する所以である。いま、この大会決定方針を全体のものとすべく、全職場で討論が深められている。
 このような時期をとらえ、革マル派機関紙『解放』一九七八年四月一〇日付号外ビラが千葉地太組合員宅に郵送された。革マル派は動労本部にある動労共済カードを夜陰に乗じて盗みとり、千葉地本全組合員の住所を調べたのであろう。ビラの内容は、千葉地本・関川委員長、中野書記長を権力の密通分子ときめつけ、三里塚・ジェット闘争の新たな方針を「裏切り」であると断定している。
 これは動労千葉地本に対する下劣な組織攪乱・破壊攻盤であり、地本闘争委員会はこのデマ『解放』による攻撃は、動労千葉地本のみならず動力車労働組合全体に対する敵対行為であるとして、弾劾の声明を明らかにしている。
 そもそも、革マル派に三里塚・ジェット闘争を語る資格があろうか。革マル派は、三里塚闘争に一貫して悪罵を投げかけ敵対しつづけていることは、三里塚を闘うすべての人びとは熟知しているのである。五・六鉄塔やみうち撤去に対して「四者密約」と誰もが信じぬデマをいい、東山薫君が死を賭した闘いに対して「茶番劇」いいなし、三・二六の闘いに対して「権力の謀略」などと許しがたいデマゴギーをもって「論調」をはっているのである。
 動労内においても、同じ「論調」をもって三里塚・ジェット闘争の爆発に制動をかける部分が存在する。いわく、動労千葉は三里塚の「どん百姓」と一緒に闘うから破産したとか「戸村と共闘するのはナンセンス」等々枚挙にいとまがない。これら内部からの闘争圧殺策動の集大成が「三・一終止符論」であるのだ。
 動労千葉地本が「裏切った」などという根拠のないデマをもって組織攪乱、破壊攻撃のみにうき身をやつす者は、労働者が役員や活動家の舌先三寸や暴力的脅迫でどうにでもなるという労働者蔑視と権力に迎合する思想をもつ者のみができうる業である。労働者は、いかに言葉巧みに語ろうが、自分の眼で見、自らの実践をとおして事を正しく判断し、そして、正しい路線提起と確信に燃えた方針ならばいかなる脅迫・弾圧にも屈せず決起するのである。
 闘う動労千葉地本の労励者の英知と勇気は、このような愚劣な組織攪乱、破壊攻撃を、逆に団結の糧としてしまうのである。多くを語る必要はない。過去三度にわたる革マル派による同様のデマビラの全組合員宅への郵送がすべて、動労千葉地本の団結強化の要因となった歴史的事実を示すだけで充分であろう。

 闘いを真に検証するものは歴史であり、われわれは歴史の検証に自信を深めている。なぜならば、動労千葉地本の三里塚・ジェッ闘争は、過去そして未来にわたって労働者と農民の大義にたつ闘いであるからだ。労働者が個人としてではなく組織として、運動として三里塚闘争に参加する端緒をを切り開き、労働者が組織として闘うことの偉大さを示し、五・六鉄塔やみうち撤去以降の三里塚闘争総体を支える大きな柱であったという事実は、動労千葉地本一四〇〇名組合員が全力をもってこの闘いを担いきったという事実とともに何人も否定しえない「事実」である。
 三里塚・、ジェット闘争の過程.で動労千葉地本が一人の幾牲者も脱落者も出さず闘いぬき、さらに新たな飛躍をかけた方針を確立し持続的に闘うことを宣言したがゆえに、権力は日々弾圧策動を強めてくるであろう。
 われわれをとりまく日本労働運動の状況は、福田反動内閣の侵略と反動攻撃に対決できえず、ますます右傾化し体制化している。七八春闘の完敗は既成指導部の崩壊を示すものである。全逓への弾圧攻撃は体制的危機なるがゆえに民同型労働運動すら容認できないという表現であり、日本労働運動の唯一の戦闘部隊である公労協労働運動の分断・解体を狙ったものであるのだ。したがっていまこそ福田反動内閣と真向うから対決し、目木労働運動の戦闘的再生をはかる闘いをつくり出さなければならない。困難な時代こそ現実を直視し階級原則に立脚した戦闘的労働運動を復権しなげればならない。その闘いこそ三里塚闘争なのである。
 いま福田反動内閣はなりふりかまわず、政治生命をかけて、成田治安立法に代表される国家権力の強権による五・二〇出直し開港攻撃をかけてきている。三里塚闘争は、侵略と反動と暗黒の道を進むのか否か、日本の命運をきめる新たな闘いへと突入したといえる。
 したがって、動労千葉地本は労農同盟の旗を高く掲げ、組織内外の反動を打ち砕ぎ日本労働運動の戦闘的再生をはかる闘いとして三里塚・ジェット闘争のさらなる前進を闘いとる体制を打ち固めている。
 そして当面、治安立法粉砕、出直し開港粉砕、ジェット燃料貨車輸送阻止の闘いとして、五・二〇を見すえた一週間指名ストライキを決行する決意を打ち固めている。
(よしおか・まさあき 動労千葉地本執行委員)