動労千葉の闘いの教訓と
全国交流センターのめざすもの

動労千葉委員長中野洋 (1989年9月関西交流センター結成大会)

 関西の皆さんとは、ちょうど三年ぶりくらいですか、ちょうど国鉄の分割民営化闘争のころおじやましまして、長く御無沙汰しています。それから動労千葉の物資販売については非常に御協力いただきましてありがとうございます。また、夏の物資販売が始まりますから、(本題を)しゃべるまえに、一言、宜しくお願いしますと、いうふうに思います。
 今、ス労自主労組の入江委員長のお話がありましたが、関西の地でぜひとも全国労働組合交流センターを作っていただきたいということでお願いに参上した次第であります。
 交流センターというのは、私と東京の地域連帯労組の佐藤さん、この人は昔の中立労連の議長さんで大変えらい人ですが、二人でひとつやろうということで呼びかけて2月26日に発足したわけですけれど、まだ「丹頂鶴」で、上しかできてないんで足がないんです。ふつう組織というのは、下から作るやりかたとか、色々なやりかたがあるんですが、この交流センターは上から作っていこうと。まずやっぱりこういうものが必要だということを、全国の労働者に呼びかけて、その旗じるしの下に作っていこうと。
一応、スケジュール的には、総評解散の前あたりに、9月頃に、一回東京で集会をやりたいと思いますので、そこまで、できるかぎり、各地域で、地区の地域の交流センターを作り上げていく構想でやっていきたいと思っています。
 具体的にはむづかしい問題が色々ありますし、やはり僕らは、この交流センターの中でほんとうに自分たちの俺たちの私たちの労働運動をどう作っていくかの問題ですし、やはり一生けんめい勉強しなくちゃいけない。ということでこの五月の連休、一泊二日とりまして、伊豆の大川の国労の教育センターで、学習会をやって、そこでお互いに勉強していこうと。それもこれまでの、大学の先生だとか労働運動評論家とかを呼んできて勉強するといパターンがあるわけですが、そうじやなくて、やはりそれぞれが、それぞれの課題を持ち寄って、勉強してきて、そこで、その研究発表するみたいな、そういう形にしていきたい。あくまでも自前で、自分たちの自力で作り上げていくということを基本にすえたいと思っているんです。そのことが、日本の労働運動がこうなってしまっていることを克服する非常に長いようだけどこれが一番近いんじゃないかと、考えているわけです。
 
 今日は、色々、お話したいと思っているんですが。ひとつは、今なぜ、全国労働組合交流センターなのかということについて。やはりどうしたら80年代の労働運動について、若干確認しなくてはいけないことがいくつかあるんじゃないか、と思うんです。それを踏まえていかないと、それぞれなにか、気にいった奴が集まればいいんじゃないかという次元をでないんじゃないかと思わざるをえないんです。

「帝国主義と対決する自前の労働運動をつくろう」

 動労千葉は、1979年3月30日、動労から分離独立したわけですけど、千葉地方本部、1450名の組合員がいたわけですが、そのうち1350、動労の革マルと熾烈な組織争闘戦を展開しまして、基本的に勝って独立したんです。今年がちょうど十年目にあたりまして、4月19日に十周年記念レセプションを千葉でやりまして、関西からも永井さんなんかきていただきまして、盛大に終わりました。
 動労千葉が79年に分離独立したっていうのは、その時に、おおまかとした目的意識性はあったわけですが、今から考えてみますと、そうとう意識的だったと思うわけです。79年という年は、80年代がその次の年、80年代どういった労働運動を進めていくのかという、対立だったわけですね。それで、三里塚闘争との連帯、反合理化闘争の問題、それからなによりも、労働組合という単一組織をどのように運営していくのか、
まあ、運営という言葉は悪いですが、労働組合のあり方の問題。こういつた事を、直接的には対立があったわけですが、やはり労働者の立場に立って、せまりくる帝国主義の危機の時代の中で、やはり労働者の側から対決して闘いを進めていくのか、帝国主義の攻撃に屈服していく側に立ってしまうのかという事をめぐる対立だったわけです。

 今、考えるとはっきりしているわけです。我々のライバルであった革マルの諸君は、今、私が説明するまでもなく、ああいうふうになっちゃっている。我々は十年前に、ある意味では予測していたわけです。
 彼ら絶対こういうふうになる。労働運動というのはおもしろいもので、みんな「きれい事」をいうわけです。そのまま言葉を聞くと、ああそうだと思うけどね、やはりそうじやないんです。どこかちょっとずれたら、そのままトコトンいっちゃう。それが特に原則的な問題、労働者として労働組合として絶対譲れないっていう問題がある。そういうところで、すこしおかしな事いっちゃうと、これはもう日が立つとダダーッと割れていっちまう。非常におもしろいわけです。だから松崎明は、「俺は今ごろ変身しただとか転向だとかいわれてるけど、俺はもう十年前になっていたんだ」と、これは彼自身が言ってるでしょう。
 これは、80年代はどういう時代になるのか、どう生きていこうとかってことを、「いずれにしても今みたいなやり方じゃ通用しない」という意識性はあったわけです。だから、79年に分離独立した最初の大会で、「80年代通用する自前の労働運動」を作ろうと、このままいくと我々が吹っ飛んじゃう。やっぱり、それに伍してやりぬけるような労働運動を作らなくちゃいけない、そういう事をうちだしたわけです。

「80年代とは、どういう時代だったか」

 やはり80年代というのはどういう時代だったのか。中曽根が82年に登場して、「戦後政治の総決算」をうちだし、それが国鉄分割・民営化を中心として87年までいくわけです。もうひとつは、税制の改革、教育改革と。税制改革は消費税導入しました。
行政改革の中心であった国鉄分割・民営化を貫徹する。これはやはり、当時、国鉄は「国鉄一家」といわれてたけど、「国鉄王国」です。日本資本主義の中にひとつの王国を形成していた。レーニンにいわせれば、鉄道はもっとも帝国主義的な存在であるわけであって、常に戦争と共に発展するという特徴を持ってる。だから国鉄は、いろんな意味で、国鉄は独立王国で、たとえば鉄道電話はどこでも全国同時通話、NTTより早い。国鉄は医療機関も持ってる、教育機関、厚生機関も持ってる、無いものは何もないぐらいの王国だった。これを叩きつぶしてやる。それ自身としては、支配者の中で大変だった。それであわせて国鉄の労働運動、特に国労に代表される労働運動一応あのときぐらいまでは、総評労働運動的な旗を持ってた―をなんとしても叩きつぶさないとどうにもならないと。
 やはり、僕は一番の目的はね、「戦後政治の総決算」攻撃は55年体制を粉砕してしまうことにあるのではないか、と思ってたんです。
 55年とは何か、つまり1955年総評、太田・岩井ラインができました。太田薫議長・岩井事務局長体制。そして春闘が始まった。左右分裂して社会党が統一された。一方の保守は自民党が確立します。そして日本生産性本部がこの時に結成される。自民党、財界と、社会党、総評が形成されている。ここで日本の戦後の枠組ができた。これ以降、日本が高度成長経済にボーンと行く。そういう意味では50年代から60年代にかけて日本が高度成長の何よりの功労者は、太田さんであり岩井さんであると、私は思ってるわけです。だから、その枠組をぶっ潰していった。ぶっ潰すために、何よりも国労を叩き潰さなくちゃいけない。
 我々の運動なんかも大なり小なりこの枠組=55年体制の中にあったんだ。この中で、お前は右だとか左だと、日和ってるとか日和ってないとか、こういう事をのたまって、やってただけの話である。まあ、こういうと語弊があるけれど、そういう状況だったと思うんです。
 だから総評がだんだん力を無くしていく。だいたい僕は1975年のスト権闘争、これが最後のアダ花、民同労働運動の終わりだと思うんですね。その後は何も無いです。後はダーツと落ちるいっぽうです。ちょうど55年体制の時は、「昔軍隊、今総評」といわれた時代です。総評がもう黄金時代だった。今なんか総評といったって労働大臣と会うんだって書記グループとかが根回しをしないとなかなか会えない。当時は総理大臣と会うんです。太田総評議長・池田首相会談とか。勇ましかった。いっしょうけんめい闘ったわけではないが、一応それだけの地位、権威があった。

「国鉄をめぐる攻防―立って闘うか、屈服して組合の旗をおろすのか」

 そういう55年体制をぶっ潰してしまう事に最大の焦点があった。国鉄をめぐる攻防は、国家権力総がかりの体制を組んだ。だからマスコミのヤミカラキャンペーン、相当綿密に計算をしてやる。しかも、それをやる人材をちゃんと派遣したわけです。たとえば中曽根なんてのを登用した。これは保守の傍流、亜流です。今、リクルートでやられてるけど。ずっと常に塀の上を歩いて、なかなか中に落ちない奴です。国鉄の中でもそういう事やったのは運輸省で、官僚の下の奴。いつも国鉄の官僚に比べて、ひけ目を持ってる、恨みつらみを持ってる奴をポンと出す。国鉄の中でも今まで日向の道を歩いてきた奴をポンとはじいて、今まで亜流であった奴をポンと持ってくる。要するに、恨みつらみを持ってる奴をポンと持ってくる。
 国鉄だってそうです、労働組合でも亜流である革マルを登用する。このブロックでバーンとやったわけです。
 国鉄分割・民営化反対闘争は、この迫力とどうやって立ち向かうかという攻防で、そんじょそこらの決意ではやれなかった。僕はあの時、国鉄分割・民営化反対闘争の核心は、「起ち上がって闘うのか、それとも屈服して組合の旗を降ろして好きにしてくださいと」と、どちらかしか無い中間の道は絶対無いと、思った。
 こういう事言ったのは僕ともう一人いるんです。かの松崎明ね。彼も中間の道は無いんだと、だから俺はこうしたんだと書いている。そこが彼と僕の違いであって、僕は当時1000名しかいなかったけど、何かやらないと大変な事になるというのと、やはり労働者を団結させる、労働者の不安を一掃するためには、ストライキで立ち上がる以外無い。これによってどんなに犠牲がでようと、血を流そうと、これをやらなくてはならない。
つまりやるべき時にやるべき事をちゃんとやらなくてはならない。それがその時期だったと思うんです。
 それは私も考えましたよ。だいたい4〜50人が首を切られてたら食わせていける事できるかどうか。色々な事を考え抜いたすえに、やはり原点にもどる以外ないと、二回のストをやって28名が首を切られた。それだけじゃない。清算事業団に12名が送られ、lOO名以上の人間が強制配転された。何ていいますか、そこで動労千葉も、今まである意味では自分の労働組合の中でしか物を見られないというのが、ようやく開けてくる。色んな人とのつきあい、色んな世の中を見るという事ができてくる。だから、28名の解雇っていうのは、実際に大変だし、皆さんが応援してくれないとダメだけど、これは本当にかえられない。本当に僕は労働組合も人間も同じだと思っている。ほんわかしてきた奴はダメなんだな。そうとう傷だらけになって生きてきた奴の方がすごいんだな。僕はそれと同じだと思うんだが、そういう風になったと思うんです。

「分割民営化の強行と右翼労戦統一」

 この分割民営化攻撃が労戦統一問題と非常に連動している。国鉄分割・民営化攻撃が始まったのが81年冬、12月です。これからヤミカラキャンペーンが始まったんです。82年、正確にいうと81年12月から始まったんです。この時に全民労連の前身の全民労協ができる。これがその後、国鉄分割民営化後の87年12月に全民労連になる。分民のこの過程がいわゆる右翼労戦統一と非常に連動しているわけで、分割民営反対闘争の爆発いかんによっては、これが同時にふっとんじゃう。そういう可能性をひめながら、非常に中曽根の側からしてみても危機感を持ちながら、推移を見守るってのはあったと思う。
 だから国労修善寺大会とか国労本部をめぐる国労共闘の諸君の攻防も、マスコミの扱い方が全然ちがうわけじゃない。修善寺臨大なんかトップ記事だ。テレビは中継する。やはりこれは、帝国主義の側もこれはどうなッちゃんだというね、苦闘であるわけで、そうだと思うんだな。だから、しかも国鉄てのは全国にあるわけだし、あらゆる所にあるでしょ。そこであらゆる地区労、あらゆる県評、そういう所と連動して運動進めるわけです。これが一度決起しちゃった場合はせっかく進めてきたいわゆる連合策動なかが、変な方にいっちゃうという危機感がある。また、元のもくあみになりかねないという、こういう危機感を彼等そうとう持ったんじゃないかと思う。
 これは歴史的にもそうですね。過去にも労戦統一問題がいっぱい出てくる。色んなこといわれてるけど、やはりその時の大衆的闘争の爆発によって、全部粉砕するか、後景化してるんだな。だからたとえば70年の反戦青年委員会、全学連の闘いの爆発、それから国鉄のマル生粉砕闘争、こういう過程で全部ふっとんじゃっているんです。だいたい、色んな時にもそういう闘いがあって後景化しちゃってるわけです。ある人はナショナルセンターレベルの話だからうまくいかないと。ナショナルセンターつまり、総評、同盟が話あってきてるんですけど、双方とも、縄張り、エリアがありますからね。これがなかなか利害関係の輻輳(ふくそう)でうまくいかない。だから70年代にできたもの、政策推進会議、ナショナルセンターを超越して、いわゆるJCグループです、各ビッグビジネスの委員長、委員長クラスがやるわけです。
 たとえば電気だとか鉄鋼だとか自動車だとか、こういったところの委員長が出てきて、こんどの全民労協もその連中がやったわけです。総評系では鉄鋼と日通がはいるわけです。それがはじめているんです。
 だから、そういう点ではこの時点だってそんなに確定的なもんでも何でもなかった。だから82年から86年の過程、ギリギリぎっちょんでいって修善寺臨大の次、ここらあたりでね、国労が、いまさらこういう事言ったって始まらないですけど、あんまり無い物ねだりしないことにしてるんですけど、もしやれば、あえて言えば国労がストライキをやったとすれば間違いなく全国の県評地区労が包囲したことは間違いない。だってそういう準備したんですから、北海道、九州、四国それから、まあもっといなかの方ね。東京と大阪はダメでしょう。他はだいたいそういう関係になってた。それは間違いない。
 それになにより総評の部隊であった動労が革マルが牛耳って、さっき言ったように完全に帝国主義の側に立った。このことが決定的な問題としてあります。いずれにしても分割民営化は強行されて、全民労協が結成された。そして今年には総評が解散し、全民労協に吸収合体という。こういつた構図にダーツといくとゆうね流れがあったわけなんですね。

「日共・統一労組懇には労働運動がない」

 こうして見るとです、労戦統一てのは労働組合の幹部とかナショナルセンター同士がね、一人でいるより二人でいるほうがいいから、いっしょになって統一して何かやろうと、でそれが右よりだからいけないとか、いいとか言ってるんじゃないんです。
 つまり敵の側の攻撃なわけです。帝国主義の側の攻撃なんです。だからこの攻撃にどうやって運動を展開していくのかを抜きに、あれこれ言っても始まらないわけです。
 その最たるものが統一労組懇でしょ。統一労組懇、まあ
関西は統一労組懇強い、日共も強い、私がいわなくても分かると思うけど、統一労組懇、日共系には全然労働運動が無いね。そうでしょう、たとえば大喪問題なんか、「赤旗」には色々書いてあるけれど、教育現場では絶対やらない、何も。国鉄だってそうです。この分割民営化の過程でも、国労の人はよく知ってるけれど、日共は絶対やらない。やる奴はおんなじ革同っていっても日共から外れた奴ね。はぐれ革同っていういうんです。まあ絶対やらない。
 だから、連合に対して階級的ナショナルセンターなんてね、生意気もいいとこですよ。おこがましい。だから、彼等には迫力がない。自治労の分裂問題なんかおこった、連合派の自治労本部がなんて言ってるかっていうと、「お前ら全然なにもやってねえじゃないか」と。千葉もそう、埼玉もそう。組織員、50%もない。日共てのは、組織が無いのね。たとえば、労働組合だから、支部だとか分会とかあるでしょ。その組織が作られてないんですよ。規約にはちゃんと書いてあるのんだ。大会どうやってやるかっていうと、手あげた奴が大会代議員だっていう。つまり組織ができてないってことは当局とけんかする気がないってことでしょ。けんかしようと思ったら組織がないとけんかできないもんね。そうでしょ。けんかする気がない一こいつらが階級的ナショナルセンターなんて言ってる、連合が行政改革容認しているなんて言って、おまえたちが容認してるじゃねえか。
 だからああいう運動は今の日本帝国主義の側からの、労働者にかけられてる攻撃、それに対し対峙し対決し闘っていくと、もちろんそのときの戦術形態のはそのときの力関係とかいろんな状況によって、いろんなやり方あるけれど、いずれにしてもそういう思想性とそういう運動の展開がなかったらね絶対意味ないわけですよ。
 たとえば今、連合と統一労組懇があって中間に全労協、岩井さんなんかがやってるのがありますけれど、これが、まあ聞こえはいいですよね、反連合非統一労組懇ですか、入って悪いとか言ってるわけじゃないのだけれど、これもなぜダメなのかっていうと、先行きが見えてるのかっていうと、国労が中心なわけですよね。つまり国労がすわらないとだめなわけ。国労はなかなかすわれないわけ。
 そうでしょ、今国労は日共と協会の連合政権ですよ。で、 彼等が今何やってるのか、たとえば清算事業団問題、ある いは不当配転問題、あるいは不当労働行為問題、もう国労は20何連勝でしょ。これが何も闘う力になってない。またしようとしてない。それで何を考えているかというと、各労働委員会の勝利を結局労使の和解にもちこもうとしているわけです。それには社会党の政治の力も必要だし、いろんな力も必要だから、今、全労協みたいな形にはなれないんだよと、言ってるだけにすぎないんですよ。だからこの間、国鉄労働者が現場でどれほどの攻撃をうけてきたのかってことが、さらさら無いわけだよね、各JR当局に、「我々は国労の幹部なんだから昔ほどとはいわないまでも、もうちょっと相手してくれませんか」とお願いだけなんです。これは共産党もいっしょですよ。本音がでてわかりやすい、和解路線てのは。
 結局その手合が総評運動の継承発展といってるだけであって、それじゃ総評運動の継承発展できるのだったらね総評解散しなくたっていいんですよ。
 結局、高度経済成長の時には合理化をバーターに認めて、その代償としての賃上げをとって、総評と同盟のどこがちがうのかっていうと、片一方がストライキかまえる。片一方の同盟だって、海員組合とかゼンセン同盟なんかもかまえますけど。「ストライキかまえたから賃上げ勝ち取ったんだ」という事言って、僕はこれ自体はすべてを否定する気は無いけれど、そういう運動を展開していくとゆうことだけだったから、70年代にオイルショックがくるね、そして80年代にはいると、一昨年のニューヨークの株の大暴落なんかに象徴されるように、いつどうなるかわからないような、こういつた状況の中ではもうその存在がなくなつてきているわけだ。所詮そういう労働運動であった。
 もちろん日本のナショナルセンターであったことは間違い無いわけだけれど、やはりそういう事が根底にあるからね、だから力無くしていく。

「ストライキも、デモもやらない今日の総評」

 一番いい例が先程も出てましたけれど、リクルートの問題、消費税の問題があります。自民党の支持率が一ケタになってしまった。東京や大阪でも3%や2%だって言ってる。この時に、しかも春闘だ、絶好のチャンスだ、追い風だ追い風だと騒いでいる。春闘だって、各企業は史上空前の利益を上げてる。だけどストライキ一発もおこらない。私鉄がストライキを構えてますけれど。
 鉄鋼労連のごときは2・3%、6100円、定昇のぞいて千円札一枚か二枚。鉄鋼の幹部は悔しがってるけどどうにもならない。よくよく聞いたらストライキ権も確立しないで毎年ベア交渉だ。やるやらないは別にしてストライキ権ぐらい確立しないとまずい。歌を忘れたカナリアで数十年来それさえやらない。団体交渉で、いくら追風でございます、史上空前の利益がありますといったって、資本の側は株だとかバクチでうけた金なんだから。これからどうなるかわからないと言われると、それ以上ににっちもさっちもいかない関係になってる。ストライキも一発も打たない。
 これは「連合」というのが一体何なのかというのを今年の春闘の特徴点になるでしょう。ベアが上がらないのはシャクだけど、所詮これまでと。僕はもっと日本帝国主義者が、これから「連合」を通して支配しようと思っているんだから、ちっとは面子を立てて御祝儀相場というのがあるでしょう、総評も一緒になって「連合」になっちゃうんだから、ここにちっとは御祝儀あげたらいいじゃない。それもやらない。これが現実ですよ。
 だからリクルート、消費税となったって、デモをボツボツとやるこの程度ですよ。少なくとも総評が全盛時代だったら、東京や大阪で連日連夜デモでしょうね。国会を取巻くデモがおこりますよ、確実に。それもない。だから今変な関係でしょう。毎日、三千万円だ五千万円だ、それで世論調査やれば支持率3%だって大騒ぎしてるけど変わるようすがない。これはまさに政治危機だよね。

「権力問題を見据えた労働運動を」

 本質的には、先ほど言いましたように80年代の「戦後政治の総決算」路線の破綻なんだ。だからものすごい政治危機だけれど政治的に決着できないから、だから警察権力が肥大化する、そういう関係になる。
 我々も、労働組合だから春闘やろうと、JR発足後はじめて春闘ストをやったんですね。幕張電車区っていう運転職場で、はじめてストライキをやったんです。何と当局はスト権があるにもかかわらず構内に入れない。「JRになってまだこんな事やってんのか、随分ヒマな人がいるんだな」って言ってましたよ、回りで歩いてるオバチャンが。警察権力と当局の白腕章が500人位、完全な制圧体制をとってくる、その中で我々はやりきりましたけど。
 やっぱり今の階級情勢の特徴って言うのがあらわれてるんじゃないかって思うんだ。国労が同じように一時間やったんだよね。国労には全然見向きもしない。ここにいる国労の諸君は別ですよ。たった一時間と三時間のストライキをやったんですけど、まあ大した事ないです、列車を止めようと思ってやったストライキじゃないから。僕は言ったんだけど、石一つ投げたようなもんだ。ところが十返ってきた。これには空気が入るよね。労働者にとって一番空気が入らないのは無視されること。ヘルメットかぶってデモをやったって、全然関係ないって言われたら、全然やる気がしなくなっちゃうじゃない。我々も向こうが何かやらなかったら空気が入らなかった。これは一日列車を止めたのと同じ位のものがある。そういう攻防に入ってきてる。
 だから先にス労自主からも出てましたけれど、これから我々がつくろうという運動は、権力問題をちゃんと見据えて運動を展開する、そうでなければ本物の労働運動にならないんだ。本物の労働運動と言ってるけど、ある人みたいに全然弾圧されないとかね、弾圧から逃げ回ってるみたいな所でね、口で「反連合」だとかね偉そうなことを叫んだって駄目なんだよ。
 だってそうでしょう、今ブルジョア社会、しかも帝国主義の時代なんです。労働者が闘いに立上がって弾圧しない方がおかしいんだ。資本制社会を擁護するために国家権力がある。だから、我々はいっぱい裁判をやってるんだけれど、みんな負けてます。
 公労法の関係でスト権闘争やって9日間ストやって、スト権闘争っていったら政治ストでしょう。公労法を廃止するということなんだから。あの当時、動労、国労で9月間スト全国でやって解雇者15人です。我々のやった11月28日と29日の国鉄分割・民営化反対の第一波闘争、たった房総の一角でストライキをやっただけで解雇者20人だよ。その次は8人ですよ。全部で28人の解雇。これだって十年裁判をやってる。「へ」もひっかけられない。最初から結論がでちゃってるから。国家権力ってそんなもんかと思うんです。だから、そこらあたりをちゃんと見据えてやらないといけない。

何で「連合」に御祝儀相場を出さないか

 話を元に戻しまずけれど、「連合」に何で御祝儀を出さなかったのか。今まではね、総評があって、それなりの事をやったから、それとの関係で出したんです。何もしなくたって、スト権も確立をしなくたって出した。こいつら何もやらないんだから低賃金でいいんだって言ったら、全部総評に行っちゃう。そういう関係で出した。総評との関係で出した。その総評がなくなってしまった。総評との区別がつかなくなった。これは危機です。
 私鉄総連なんかでも、東京の西武なんか私鉄総連並に出すから私鉄総連に入らない。何もやらなくたって私鉄総連が6・何パーセント出したらピッタリ同じようにやる。これは私鉄総連があるからでしょう。私鉄総連が同じようになっちゃったらどうなるんですか、これとの関係と同じなんです。
 だから、鉄鋼がどんなに行ったって2・3%ですよ。消費税まで行かぬ、これ定昇込みだよ。そういった関係になる、自動車だってそう、どこだって同じですよ。総評労働運動との関係、総評の役割、総評の運動といったら春闘になるからね。春闘に一番力をいれてたし、労働者はやっぱり賃金をもらえて当り前の話なんだ。そことの関係で、国鉄がストライキに入ります、全逓、全電通、中小の金属、私鉄だとかバーッとストライキ構えて、一応春になったら「ストライキやあるよ」見たいな過程で、今の連合にいった幹部の連中もある程度の所まできた訳。もちろん高度成長期とかあったけど。
 それが今、総評が解散する。ある程度の力があったら総評は解散しない。今年史上空前の好景気でも、これ以上の大きな賃上げはない。それは大変なことなんです。だから、彼らはそれがわかっているから、ベアと時短のセットとか、制度政策要求、制度政策要求なんてのは賃上げ交渉がうまくいかないから、見越して言ってるんだ。できないから前もって言ってるんです。労働組合の幹部はズルイですから。それで常に労働者をごまかそうと思って色んな事を言ってる。ひどい奴なんか「春闘をやめよう」と言ってる。

労働運動の大戦国時代の到来

 「連合」は一応労働組合を名乗ってる以上は、傘下の労働者の気持ちをつながなくちゃいけない。彼らの特徴は、資本が彼らをバックアップしているし、バックボーンになってる関係がある。しかし一応労働組合を名乗っている限り、それなりの格好をつけなくちゃいけない。カッコウをつけなくなったらどうなるか。90年代に突入する。カッコウつけられなくる、間違いない。
 確かに今年の秋で「連合」はできるでしょう。総評は解散する。それがそのままそっくりと絵に書いたように行くのかというと、全くそうじやない。ぼくらはやっぱりこの事態をどうとらえるのかってのが一番大切だと思うんだ。戦後最大のある意味では、終戦後のある時期の産別が形成される過程を別にすれば、戦後最大の労働運動の一大再編期ですよ。大流動化、大戦国時代の到来ですよ。つまり戦国時代っていうのは、力のある奴が全部いただいて行く時代です。そういう時代に突入したんだ。我々にとって絶好のチャンスが来たんだ、という認識が必要だ。
 絶好のチャンスというのは最大の危機だ。好機と危機というのは、裏腹の関係です。やはりここをちゃんとやらなかったら、我々も含めてダメになるね。
 日本においてプロレタリア革命だとか、日本帝国主義打倒だとかね生意気なこと言って、日本の労働者の一大戦国時代の時に。俺はそんな「戦国時代」なんか関係ない、自分たちは自分たちだけで行くんだなんて事をやってるようだと、歴史からポイと捨てられる。間違いなく。そういう意味で危機なんだ。
 だから動労千葉ほ今750ですよ、それで分割・民営化反対闘争をやってきた。それで千葉県の片隅にある労働組合に過ぎない。これがおこがましくも全国労働組合交流センターをつくろうという事を呼びかけたのは、絶好のチャンスが来たという認識と、ここでしっかりとやらないと、そりゃ動労千葉は中でシコシコやってれば持つんじゃないかって思うやつがいるけど、そうじやないんだ。我々も全国の仲間に支えられて始めて存在してるんだ。ここと切断されて動労千葉が持つわけないんだよ。
 ここが肝腎なとこだと思うんだ。だからここで自分達が少し背伸びしてでも、今まで支援してくれた御礼といったら何だけど、やっぱり背伸びしてでも、自分達に与えられた歴史的任務を果たさなきゃまずいんじゃないか。
 だから動労千葉はこれで終わりとなりかねないという危機も同時にはらんでいる。ですからここに打ってでようじゃないかってことが、大きな前提的な条件としてあるんだという事を理解してもらいたい。
 その場合にやっぱり、80年代と比べて90年代はどう変わるかっていうと、何がおこるかわからないですよ。80年代よりもっと状況が厳しくなる。大変な大風の吹きすさぶ時代になるのは間違いない。その点で89年は非常に大事な年であると思ってるんですが、ここで我々のあらゆる意識から、日常的生活態度から、作風から一変しなければ、そういう構えをこの一年間でつくり上げなければいけない。

「革マルとの対決一分離独立戦争」

 なぜ動労千葉は、分割・民営化でストライキをやれたのか、それ以前に81年にジェット燃料貨車輸送阻止闘争で一週間ストをやって四人が首を切られてるんです、これをやって分割・民営化ストライキやって34人が首を切られてる。何でこれができたのか。今までの日本の労働組合のパターンだったら、すでに無くなってるよね。
 動労の中で、世の中で、あの当時の中核と革マルの内ゲバだって言った。内の組合の職場集会では、革マルのように発言を統制するような事をやるのは愚の骨頂だという認識が強かったから、好きなことを討論した。労働者というのは組織問題に関すると、今まで組合運動に参加しないような労働者が参加してくるね。これは冷厳な事実だ。それでチャンチャンバラバラのいろんな議論が沸騰したんですよ。
 我々は労働者に何も隠すこと無かったし、労働組合っていうのはいろんな思想をもった奴が、活動家になり役員になる団体でなくちゃいけない。
 思想をもたない奴なんているはずないじゃないか。共産党もいる社会党も、革マルも中核もいる、みんな一生懸命やってそれをめぐって労働者がどこを、いかに支持したか。労働組合ってそんなもんだ。まあ学生運動ほどひどくないが、そのうちに労働組合だって党派系列になる。ぼくらも隠さずに言う。問題は日常的に労働組合運動として、どっちが正しいのかって事を、判断するしかないんだ。
 そういうレッテル貼りも宣伝もあるけれど、全組合員で職場集会をやったり討論集会をやったりし色んな事して、ビシッとさせるという事をうまずたゆまずやったんです。
 それで決定的な時が来たのは1979年位だ、半年位にわたって動労本部オルグ部隊一万人、使った費用が3億だ4億だって言われた。金使い過ぎて後で足りなくなったくらい、つかったんだ。みんな革マルのふところにはいったんだと思いますけれど。オルグが職場だけでなくて家庭にも入るわけ。やらない人でも関心を持たざるを得ない訳ですよ。そこで自分で決断したという訳です。今までの労働組合観、今までの労働者観、組合員観が一変される事態なんです。ここで自分で曲りなりにも色んな事を判断して、当時の委員長の関川派のもとにつくのか、革マルのもとにつくのか決断が迫られた。
これは当時の動労千葉の労働者みんなが経験している事なんです。
 こういう事は、絶対軽視してはならない。労働組合にとって全く不毛で、何一つためにならないと言う人がいるけど、こういう事は絶対大事なんだ。これをめぐって労働組合が強くなる。これがあったから、この分離独立戦争があったから、80年代やってゆけたんじゃないかって思うんです。

「三里塚闘争との連帯」

 もう一つは三里塚闘争です。二十数年間、三里塚の労農連帯で銭にならない闘争ということがすごいとこです。僕はジェット燃料貨車輸送阻止闘争ストライキで、これは一銭の銭にもならない闘争だって公然と言いました。例えば何か手当を少し設けるとかね、合理化反対で要員を少しよこせとか、現場の職場環境を良くしろとか、さまざまあるでしょう。そんなの全然ない。一銭の得にもならない。だけどやるんだと。
 燃料輸送阻止闘争でストライキをやれるという事は、敵から見ると大変なことなんだ。だから日常的な職場の要求なんかも解決したりしないといけない。そういう事なんかもその力で押切っていけるんだ。うちの組合員なんかはそこら辺あたりを結構理解したんだ。それだけじゃないよ。三里塚の農民とちゃんとやって行くんだということでやった訳だけれど、そういう事も含めて理解したと思うんだ。
 そういう闘争をやってきたという事、70年位から大変な時代が来る時に通用できるような労働組合をつくろうと非常に意識的に考えてましたから、そういう流れを絶対逃さない様にしょうとしたんです。

「船橋事故闘争」

 反合理化闘争の問題にしても、ちょうど1972年船橋駅という総武線のデッカイ駅で追突事故がおこった。やったのはうちの組合員ですよ。何百人とケガをした。その時に、当時の動労でも事故をおこしたのはやっぱり運転手が悪い、これをめぐって闘争にするなんてのは思いもつかなかった。
 やつはり事故おこして、何百人もケガさせて、処分は不当だと直ちにストライキをやるとか順法闘争をやるという発想が良くわからない。あの革マルなんかも含めて、当時の動労がそうです。
 僕はそうじやない、これは合理化の結果なんだから絶対闘争をやらなくていけないと執拗に追求してやったんです。これは当時の常識からいうとおかしな闘争かもわからないけれど、実際に動労千葉の労働者にとってみれば切実な課題で、これをボーンと立上がったことによって、ものすごく団結が強化された。
 運転士が起訴されて裁判になり、署名運動もやった。船橋事故でケガをしてムチ打ちのヒドくて四〜五年たってもまだ病床にいて退院できない人が乗客にいた。そこに署名をもって行った。そこで討論をして署名をしてもらった。船橋事故でケガをさせた張本人が裁判で勝つための署名ですよ。そのケガした人が署名したんだ。もし闘争をやらなかったら、「ケガは運転士のせいだ」ということになってしまうでしょう。闘いの結果そういう事になってるんです。
 これは今までの国鉄の労働運動の、安全闘争だとか色ん
な事いってるけれど、全然質の違う闘争だったです。
 奇想天外と言われたけれど、ぼくらは目的意識的に追求してきて、この闘いがものすごく生きてきているんです。
 分離独立闘争の時なんか、僕はある職場の五十位の機関士の人が「ああいう闘争をやるのが本当の労働組合だと思った」って言うんだな。この人達は、例えば2・1ストライキだとか定員法のときの首切りの問題とか経験している人達です。この人達が分離独立戦争の時に、ああいう闘争をやるのが本当の労働組合だって言うことで、躊躇なく動労千葉の旗の下に結集したのです。

「労働者が本当に俺の組合だと思う組合つくれ!」

 労働組合とは、そんなに難しい事やる訳じゃない。労働者が、「この組合はオレの組合だと思う、私の組合だと思う」、そういった組合を俺達がどうやって日常的につくりあげるか、そこがポイントだと思うんだよ。
 それにはね、本当にのめり込まなきゃ。僕なんかは今一緒に活動やってる連中には、働いてる機関区のムコになれと言ってる。だいたい仕事が終わったら家に帰って、ちょっと何かあった時に組合運動をやるようなのは、プロレタリア活動家として、何々支部委員長だとか、何々青年部長だとか言ったつて労働者はついてくるわけない。もう24時間泊まりこんじゃって、それで労働者と接してやる位にのめり込まなかったら、そりゃ一つの労働組合が闘う労働組合になるわけない。そこらあたりをすぐやれと言っているんではないけど、気持ちの上でそういう風にしないとダメだと。
 労働者はものすごく敏感です。普段何かわけのわからない事言ってふざけた事ばっかり言ってるでしょ。しかし、ちゃんと見てるから、こいつは何者かって。こいつは過激派だとか、こいつが協会派だとか何々派だとかは余り関係ない。こいつは本気になってオレ達の先頭に立ってやるやつかどうか、こいつは裏切らないやつかどうか、チャンと見てるわけだ。
 労働者はずる賢いから、アーアと思ったら平気で横向くし。しかし、その気になって立上がったらものすごい力を発揮する。これだけは間違いない。分割・民営化阻止闘争で僕自身が経験した。一万人の機動隊が分民反対の第一波ストライキに配置されたのです。津田沼電車区の構内周辺には機動隊三千人が固めた。ストの応援部隊が全然中へ入れない。中にいたのは百名足らず。乱闘服着た機動隊がいつでも突入すると構えてる。僕はこの時、へたしたら津田沼支部が吹っ飛んでしまうのではないか、と考えた。しかし中にいる奴は腹を決めたらへっちゃら。中にいた本部からの派遣の執行委員が、抑えなかったら収まらないくらいデモはやる、火はたく。執行委員はこれチョットまずとキリキリしてる。いつ機動隊が突入してくるか見極めながらやるもんだから。それでもやっちゃうんだ。だからそこらあたりが、労働組合は非常に重要ではないかと思います。
 
「権力問題でだめな民同労働運動」

 なぜこういう風に労働組合がなってしまったのか、色々理由はあるけどね、民同労働運動は権力問題がだめだという事だ。口では階級的労働運動とか言ってるけど、やはり国労の幹部、奸策の日共、権力との関係について徹底的にダメだ。もっとひどく言えば権力の弾圧に対して「おれたちは安全」と思ってる。だからダメなんですよ。
 分割・民営化のときでもあれだけ攻撃されているのに、何をしていいかわからないんです。思考停止状態におちいっている。それが特徴です。
 それから、大衆蔑視、労働者の蔑視。蔑視とは言わないけど、労働者は所詮なんか与えないと、ニンジンを与えないと、つまり賃上げとか、今度の団体交渉でこれだけ取って来たよとか、こういうことを言わないと組合員はついて来ない、労働者はついてこないという発想ね。だからそのためには色々別のことをやる訳ですよ。


「帝国主義を打倒しなけれは労働者の幸せはない」

 だから、資本主義社会で、帝国主義段階で生きてるわけでしょう。その中で労働者の要求したいことは、どういうことを意味するのかという事をチャンと考える。本来労働組合っていうのはそういう風になってるんでしょう。
 例えば大会、全国大会であれ地方の大会であれ分会の大会であれ、労働組合の方針とはまず総括をやります、情勢分析があります、基調があって具体的方針となる。
 何で情勢分析があるのか。ここをちゃんと見据えて日常的に課題をやったら、もっと違った労働組合になる。目の付けどころが違う。
 もっというと資本制社会を前提とした労働運動、体制内労働運動。総評の主だった労働組合の綱領には、「社会主義社会の建設めざして闘う」をスローガンに必ず入っている。自治労だって「連合」にいった労働組合だって全部入ってるです。こいつら社会主義社会ってわかってないんですよ。所詮そこらあたりのレベルだから。
 日本の労働運動について、企業内労働組合だから悪いとかいう批判があるけれど、たしかに企業内労働組合ってのはいろんな弱点もあるわけです。あるけれどそれだけじゃ無いんです。企業内労働組合だって良い場合がある。動労千葉だって企業内労働組合だ。
 所詮、資本主義をぶっ潰して帝国主義を打倒しなきゃ労働者の幸せが来ないという事でしょう。ここに来ている人は皆そう思ってる。口では民同も協会も日共も言うわけ。

「職場闘争をどうやるか、自分で考えろ!」

 そんなに憎たらしい資本主義だったら、年がら年中あら捜しをやったら良い。俺なんか当局のあらばっかり捜してるから。「これはチャンスだ」とか、「どこかにミスがないか」とか。三十年そればっかりやって来た。
 例えば列車のダイヤ。国鉄のダイヤは世界で一番優秀だ。分単位で刻んである。そこには車両運行とかあるわけだ。その通りに動かさないとガタガタになっちゃう。どこかにミスがある。そこを突く。だから順法闘争では、そこだけやらせる。間違いなく止まります。だって線路は二本しかない。日常的にそういう視点をもってやった。
 例えば「職場闘争をどうやったら良いのか」と言うでしょう。「自分で考えろ」って言うんだよ。俺は国鉄のことしかわからないのに、他の職場の事わかるはずない。それは自分達で考えるべきだ。それでなければ何もならない。
 職場闘争はA+Bなんていろんな事書いてる人がいるけど、そんな奴に労働者がついて来るわけないよ。参考位でいい。実際に役立つのは、職場のなかで自分が24時間徹底的に考えること。「日常的にやる」という視点、構え、ここが絶対に必要だと思うんです。それがこれからの労働運動をつくり上げる場合に必要じゃないか。

「我々の力でつくりあげる構えを!」

 いずれにしても90年代に突入しますから、大変な時代がくる。やはり今までの総評的民同的労働運動では、80年代から駄目だったんだから。ここらあたりをノスタルジックに考えても駄目なんだ。
 今一番駄目なのはね、「日教組自治労がもう少し頑張ってくれたらどうの」とか、「国労が何とかしたら」とか、無理なんだよね。そりゃもっと大衆的闘いが全国に広がれば、彼等もやるようになるかもしれないが。一番重要なことは我々の力でつくりあげる、という構えが必要なんだ。出来ますよ。先程も入江委員長も言ってましたけど、大会の代議員選挙に出て頑張って欲しい、これは当選するかしないかは別にして。

まず「全国潮流」をめざそう

 それで「交流センター」について、何で「交流センター」とへんてこりんな名前をつけたんだろうかって思うだろう。「階級的ナショナルセンターを目指す」なんて言ってない。ハッキリ言うと実態がないんです。私は正直ですから。極めて遠慮っぽく、「交流センター」って打ち出したんです。だからね、今のところ「闘う全国潮流を目指す交流センター」て言ってるんです。これが発展するんだったら私らだってやったらいいんじゃないですか。
 僕はそれなりの構想があります。やはり今までの日本の労働運動の状況を見てみると、地域単位の労働組合の結合体としてのナショナルセンターと言うのが正しいと思うね。ストライキでも何でも、そこが全部出す。そういうスタイルにしとくとね、例えばね単産ぐるみでアッという間に右に寄っちゃうとか、裏切っちゃうとかにならない訳ですよ。ちょっと時間がかかるわね。
 総評は中央単産で構成している。県評はオブザーバーでしょう。だから中央単産が指令権一本でポンと落とすとそれなりに動けた。だから単産が全部の指導権もっている。各県評は全部オブザーバーですから。
 今の韓国の労働運動なんか地域単位の労働組合の結合体という感じがしてならない。地域で一つの非合法的指導部をもってるんじゃないかと僕は思う。韓国はそもそも既成の労働組合があって、それのアンチテーゼとして出来たものでしょう。ポーランドみたいな感じで。それで地域っていう言葉が出てくるんだよ。地域で色んなことやってるんじゃないか。日本はそういうのはないんです。だからそういうところを目指していこうと思うけれど、そんな事を今言ったって絵に書いた餅まで行かない。だからまず「全国潮流」目指そうじゃないか。

左派フラクションとしての「交流センター」
 
「交流センター」の性格としては二つあると思う。一つは、フラクションとして。だから「全国交流センター」に参加する組合であれ、組合はそんなに無いですよ、今のところ動労千葉とス労自主くらいだから。そんな事あまり考えなくてもいいんです。組合そっくりと言ったってそんなにうまくいかない。それはそれで色んな問題がおこるから。グループ、個人で入る。所属する組合は「連合」であったり統一労組懇であったり、あるいは全労協であったり、それはそれでいいんですよ。ここをやっぱり網羅する。
 なぜかって言うと、三つとも先行き必ず破産するって読んでる。そのためには、絶対そういう状況になるまで待つというんじゃないけれども、近い将来に必ずそうなる。その時になったらどうなるかと言うと、いわゆる産業報国会的な形が出てきます。「連合」というのはまだ産業報国会って規定するのは早い。先行きそうなる可能性をものすごく秘めてる。あれがパンクしたらそうなります。
 90年代、21世紀、そこあたりを見据えて、一つの左派のフラクション的要素を非常に強く持っている産別の闘いを一方でやって、仲間を是非ともふやして欲しい。ふやすためには自分で闘わなかったら駄目。労働者に声かける。それで「やつはすごい」って言ってみんな集まってくる。それが絶対必要だと思う。仲間づくりというのを徹底してやってもらいたい。それを地域の交流センターと結びつける、という事が一つ。

「闘争団体」としての性格

 もう一つは、闘争団体、争議団休みたいな性格が否応なしに出てくるんじゃないかと思う。昔は総評だって、大阪だってそうだと思うけど、国鉄がストライキやるといったらみんな駅に動員したんですよ。県評とか地区労とか全部動員したんです。中小で争議をやるっていったら、地区労、県評が動員したんです。東京なんか今全然なくなっちゃった。
 それともう一つは、地域である種の拠点的闘いがおこったら、支援しに行く、応援してゆくというスタイルを、我々が絶対担わなくちゃいけないんじゃないか。そういう性格を絶対もっている。

「未組織労働者の組織化」

 必然的にそれと合せて未組織労働者の組織化、つまり地域における合同労組をつくり上げて行く。これは個人加盟で結構です。個人加盟で労働組合をドンドンつくっちゃう。まだまだ労働組合法とか色々ありますから、活用できる訳ね。
 未組織労働者の組織化、パートの組織化は、一つの階級攻防点になりますね。日本生産性本部は、日本の労働者の組織率が非常に低い、これは日本の民主主義にとって憂慮すべきことだって、日本生産性本部が言ってるんだ。最近ブルジョアジーの方が非常に全部読んでるね。例えば経済企画庁なんかが言うわけでしょう、ベースアップが少ないとか、これ位あったっておかしくないとか、労働省とかが言うわけ。労働省は労働団体を育成保護することが建前だから色んな事をおさえとかなくちゃいけないが、日本生産性本部がそう言ってる。これはどういうことかって言うと、「連合」にやれと言ってる訳ですよ。
 その場合どういう事やるかって言うと、労資アベックで組織化する。組合のない所に、つまり下請け、孫請け、ひ孫請けとピラミッドみたいに組織化する。例えばそれを全部トヨタならトヨタが、トヨタ総連と一緒になって全部組合を組織する。それでトヨタの連合組織みたいなのを集めて行く。そういう事を来年あたり始めるんじゃないかと思うんです。下請け、孫請けにも御用組合をつくる。今下請けなんかまでそういう事をやってないでしょう。やはり労働組合をつくって、それを通して労働者を完全に支配する。そのためには今の日本の労働組合の組織率ではマズイんだって言ってる訳ね。だからここが非常に重要なぶつかりあいになる、間違いなく。だからそれは相当重点的にやろうかと思ってる。
 これは佐藤芳夫さんが非常に熱心なんですね。彼は、全造船ってい言う労働組合がありますが、全造船関東地協東京地域分会ってのがあった。これは今全繊同盟でもそうだけど、色んなところにつくっちゃってるでしょう。業種に産別にかかわらず、未組織労働者を組織して行くっていうことをやってるですよね。全造船がやったんです。それが一つの分会だったんだけれど、全造船が全民労連に入っちゃったから、それで脱退して東京地域連帯労組っていうのを始めて一年弱ですけれども30とか40とかって規模で組合員が増えてるんです。この話はその内に佐藤さんにおもしろおかしく喋ってもらいますけど。僕は、これが一つのカギになると思ってる。そういう事を、この「交流センター」をやって行く過程で相当やっぱり目的意識的に考えて行っていただきたい、という風に僕は思います。

「学習しなければ資本に勝てない」

 いずれにしても「全国交流センター」を呼びかけましたけれども、頭しかありませんから、これから皆さんと一緒に北海道から沖縄まで駆けずり回って皆さんに協力を呼びかけて行きたい。一応の目途は9月、9月位までにいくらやったって何も出来なかったら格好悪いから、是非とも本当にこの間獲得して行きたい。
 最初からいろんな事やれないわけ。今や労働運動でやらなきゃ行けない事は沢山あるわけです。やりたいけどまずやるには実体がなきゃいけない。人もいなきゃいけない、金も必要ですよ。いつまでたってもボランティアみたいな精神だったら絶対駄目です。やっぱりちゃんとそこに人生を賭け、飯食ってける奴を何人かつくり上げる位の気力がなかったら。色んな事が一杯あるわけです。運営委員会の中で色々でるわけです。職業病闘争から何から、総評が何もやらないから全部俺のところにきちゃうわけね。俺にいくらそんなこと言ったって出来っこないってねハッキリ言ってるんだ。それはやっぱりみんなで創って行こうぜという風に言っておりますし、実際にそうしないと行けないと思う。みなんながやったらいい。そのためには勉強しなきゃいけない。勉強しなさいよ。
 うちの青年部なんかは比較的ものを読む方です。まあ止むなしに。本当はやりたくない。一応闘争をやってるから。やっぱりヘルメットかついで頑張ってるから、ちっとは何かしなきゃいけない。我々の青年時代と違う所はね、「また若い時の話をやってる」と思われるといやなんだけど、僕らが労働運動はじめる時には、例えば「共産党宣言」とか「賃労働と資本」とかをもって学習会をやったりする、それが当り前だった。それは何も我々だけじゃ無いですよ、民同だろうが共産党だろうが、当り前だった。
 今は「賃労働と資本」なんかでもおよびじゃないんだよね。「共産党宣言」なんかは少しあるんじゃないか。「あれ感覚が合わないんだ」よと。しかしねこれは感覚が合おうと合うまいと、やっぱり原理だから、そういう所からちゃんとやっとけと言ってもなかなかそうは行かない。すぐに「委員長がきて少し話して下さい」ですよね。そういう様に安易にすましちゃう。それで俺が出て行って漫談やって、今日は何か一つ覚えたみたいな、まあそれでもいいけどね。それでごまかす。そういうんじゃ困る。もちろん皆さんに「賃労働と資本」やれとか言うつもりは毛頭ないです。ないですけれどもちゃんと学習しよう。
 やっぱり労働者が学習しなかったら、労働組合の勉強しなかったら勝てないですよ。会社を見てみなさい、資本家のほうが徹底して勉強してる。労働者をどういう風にこき使ったらいいか、どういう風に抑えるか徹底的にやってるじゃないですか、どうやって合理化すりゃいいか。
 それじゃ太刀打ち出来なくなる。我々は権力をもって無いんだから。権力もってない奴が勝てるには、数だとか力でかなわないんだから唯一路線的優位性でしか敵を圧倒できないんだよ。それも駄目でこっちも駄目、これは一瞬に粉砕されてしまいますよ。だからそこから始めようと思って、五月合宿から始めますから。

「本気になってやれば情勢は変わる!」

 今日お集りの皆さんがそれぞれが本気になってやったら、人間のエネルギーはすごいですからね。それを引出すことに日和らないかどうかの問題なんですよ。はっきり言いますと、やっぱり日和るんですな。これだけ200何十人もいて、皆さんが本気になってやったら間違いなく情勢は変わります。だって動労千葉だって本気になってやってる奴が何人いるか。本当ですよ。そんな労働組合があるわけないですよ、750が目の色を変えてるなんて組合が。時々は目の色変える。ズーッと目の色変えてる奴は何人もいない。ここにいる諸君が目の色を変えたらいいんじゃないか。

「うまく行かなかったら自分が悪いと思え」

 うまく行かなかったら人のせいにするな。あるいは大衆のせいにするな。これは原点。うまく行かなかったら自分が悪いと思え。いくらオルグしても労働者が言うこと聞かないと、ビラを刷ったけど読んでくれないとか、色んな事あるでしょう。その時
には自分のやり方が悪いんだ、自分の話かたが悪いんだ。これは原点です。すぐ人のせいにしたがる。中には日和ってるやつもいる。日和ってる奴には日和ってる奴への言いかたがあるわけ。
 動労千葉は、三里塚に連帯してストライキをやったから言えるんだけれども、どこに行っても三里塚闘争のことしか言えないんじゃ駄目なんだって言ってるんだ。本当ですよ。三里塚のためにも良くない。
 やっぱり普通の労働者とちゃんと話をして、普通の労働者は潜在的プロレタリアなんだから。そこが出来ないでね、いつでも「俺一人でできる」とか、「やってりゃいい」ではもう駄目。そんなのはもう80年代で終わり。そんな時代じゃないんですよ。「俺達頑張らなきゃいけない」だけじゃ持たない。やはり今こそ広範な労働者の中にね不抜の拠点をつくりあげる、遅まきながらやろうって僕は言ってるわけ。実際これほど流動化しているから、遅くたっていいんだ。まだ間に合うんですよ。
 言いたい事言わしてもらいましたが、関西において実態のある活動を展開する事を要請しまし、私の話を終わりにしたいと思います