1994年6月 

戦闘的労働運動を創り出すためには

布施副委員長講演 札幌

 動労千葉の布施です。日頃の物販闘争をはじめとするご支援に感謝申し上げ、北海道の地で、労組交流センターの結成、戦闘的労働運動の復権を目指して闘い抜いておられることに、ともに闘う者として、敬意を表します。
 私は、北海道は今回で4回目になりなす。1回目は、動労の全国大会が旭川で開催された時で、革マルに、食べている弁当の中につばを吐きかけられたり、小突かれたりと、「暴力オルグ」の限りを尽くされました。2回目は全動労問題の時で、札幌近辺を引き回され、現在JR総連の書記長をやっている柴田などと一緒に、岩見沢や苗穂の駅構内で、革同に雪の中に押し込められたりしました。3回目は動労千葉が分離・独立して2〜3年目で、動労が洞爺湖で全国大会をやっていた頃です。
 群馬県の水上温泉で開催された全国大会で、政研(革マル系)という派閥グループが初めて中央執行委員会の過半数を1名上回るという状況となり、革マル一流の暴力的組織支配が、青年部段階から組織全体に公然化しました。
 翌年、岡山県の津山市で開催された大会では、革マルの暴力支配に反対するグループが革マル主導で提案された本部方針に対して、
@三里塚・ジェット燃料輸送阻止闘争の推進、
A革マルの「謀略闘争・水本問題」の動労への持ち込み反対、
Bスト放棄の「貨物安定宣言」反対、
.C暴力支配反対・組合民主化の確立、
の4点について修正動議を提出し、4割を超える代議がこの修正動議を支持するという闘いの前進がありました。
 この事態に焦った革マルは、その本性を丸出しにして修正動議に賛成した代議員に襲いかかり、まさに暴力をもつて、「三里塚と一線を画する」という反動方針を強行したのです。
 その後、三里塚を闘ったことを理由とする統制(除名)処分を千葉地本役員にかけてくるとか、各支部へ暴力オルグが入るなどの経過があって、動労千葉は1979年3月末に分離・独立しました。その1979年の全国大会が熊本市で開催され、組織問題に関する修正動議が出されました。また、革マルに反対する部分が退場して、鹿児島で新組合の結成大会をやろうという話もありましたが、うまくいきませんでした。ここでうまくいっていたら、その後の国鉄分割・民営化も含めて展開が変わっていたことは確実です。この熊本大会の次が洞爺湖大会であったと記憶しています。

階級的原則を守る戦闘的労働運動を創り出すためには'
職場・生産点に確固たる地盤を築かなくてはならない

 私は自分自身のことをあまり「階級的」だとは思っていません。千葉市近郊の農家の長男に生まれて、高校を卒業する時、家の経済状態や諸々の環境を考えて、自分なりに納得して国鉄に就職し、機関士になることを希望して、いわゆる「半農半鉄」の、極めて一般的な国鉄職員をやっていました。
  私は仕事をきちっとやらないやつは嫌いです。組合員だから、労働者だから、よいことだけ言って、よいことだけやるということではない。まちがいもいっぱいあり、その時、お互いの討論の中で解決していくしかないわけだが、仕事をきちっとやらないで「階級的」なことばかり言うやつは、問題を労働者の立場から解決していくための阻害物でしかないと固く信じています。仕事をいい加減にやるやつは職場の労働者から、いざというときに、絶対信用されませんね。仕事をきちっとやらないで周り中に迷惑ばかりかけているやつが、集会やオルグの時だけしゃしゃり出てきて「階級的」なことだけ言っていたら、職場では軽蔑の対象でしかない。
 われわれが階級的原則を守る労働運動を真に創っていこうとするならば、職場・生産点に確固たる地盤を築かなかったら、それは「ロだけ戦闘的」な語るだけの労働運動になってしまう。われわれが、職場から労働運動を創る時、自らが仕事をきちつとやって信用される労働者になること。そして、そういう労働者を一人でも多く獲得していくことが、この闘いが成功するかどうかの決定的なポイントになると思います。
 国鉄に就職して機関助手になるために鉄道学園に入ったとき、一番最初に、「国鉄職員はお盆も正月もない。日曜も祭日もない。夜も昼もない。人が休むときになると働かなければならない仕事だ。その上給料も安い。しかし、世の中になくてはならない仕事だから、55才の定年まで働けば年金や退職金は他よりいいし、無料パスもある」ということと、機関助手から機関士になるということは、人命に直接関わるということでもあり、三河島事故や鶴見事故を見ればわかる通り、いったん事故に遭遇すれば自他の生命が脅かされ、刑事罰も含めて責任が追及される。だから、自分のミスで事故を起こさないようにしっかり勉強して必要な知識、技能を完全に身につけてほしい。関係者が全部まちがっていても機関士が気がつけば事故にはならない。従って、列車を動かす関係者、とりわけ機関士は、国鉄総裁であろうが管理局長であろうが、規程に照らしてまちがったことを言う者の指示は絶対に拒否しなければならない。機関士は規程に従わなくてはならない。運転台で誰も見ていないところでやる仕事だから手抜きをしたくなることもあるが、人が見ていても、見ていなくても、規程にしたがって同じように仕事をしなければならない。」ということを言われました。
 その時、20才になるかならないかというくらいの時ですが、この仕事を一生やっていくということで納得できるなと思ったことを、今でも覚えています。

 典型的な国鉄職員だったけど気がついたら組合の役員に、
……そして息つく間もない20年でした

 そういう愚直と言うか、融通がきかないと言うか、典型的な国鉄職員・機関士になるはずだった者が、機関士(気動車運転士)になり、結婚し、最初の子供が生まれて、30才になる頃になって、気がついたら、組合の役員をやっていました。
 直接的には、ちょうどマル生攻撃の真っ最中で、組合の役員なんかやっているといつ首を切られるかわからないし、昇給も配転も不利益を受けるので、役員に選挙されても逃げる(辞退する)者が続出するなかで、職制にも組合にも逆らってばかりいるやつなら受けるんじゃないかということで選挙されたんじゃないかと思います。

 そして1年後にまた選挙されて、選挙されたものの互選で3役を決めるときに書記長を受けて、役員経験1年ちょっとで、青年部運動の経験も何もないまま、350名ほどの「動労千葉地本千葉気動車区支部」の書記長になっていました。
 この千葉気動車区という職場が、私が書記長になって2年後には廃止になって、18才から55才までの350名の組合員プラス国労70〜80名、職制20余名の配転問題、これにマル生が絡む中で、2〜3年揉みくちゃにされました。それが振出しで、以後、船橋事故闘争、三里塚・ジェット闘争、分離・独立、国鉄分割・民営化と、息つく暇もない感じで20年が過ぎていました。

 

交通戦争の真っ只中、労働者は、あらゆる問題で自らの団結に依拠して闘わなければ生きていけませんでした

 この20年間を、もう少し客観的に見るとどういうことなのか。
私が国鉄職員になった1960年頃、千葉県の人口は200万人ちょっとだったと思います。現在は500万人を超えています。つまり、この30年間というのは、高度経済成長政策下で人口が太平洋ベルト地帯、とりわけ首都圏に集中し、過疎と過密を生み出し、東京から周辺への人口のドーナツ化が進行する、その真っ只中で、われわれ千葉の国鉄労働者の生活と闘いがあったということです。
 国鉄全体としては「斜陽化」が言われ、要員不増が基本方針とされている中で、千葉だけが、この人ロ集中、つまり東京への通勤・通学輸送の爆発的増加で、いくら人を投入しても間に合わないような状況がずっと続いていたのです。
 1時間に1本の蒸気機関車に牽引された列車が走っていた全くのローカル線区が.全線気動車(ディーゼル)化され、馬車が通行していた踏切を土砂や砂利を満載したダンプカーが横切っていく、そこを木造ボディのディーゼルカーを運転していたのです。
 私自身も、10年余りの間に、4回の死亡交通事故に遭遇しました。飛込み自殺。酔いつぶれてレールを枕に寝込んでいた人。乗用車やダンプカーとも衝突しました。非常ブレーキをかけて衝突寸前に回避したことなどは数えきれないほどあります。ダンプカーの時は、出会い頭だったから向こうの運転手が死にそうになって唸っていましたが、砂利を満載していたので、荷台の方と衝突していたら、こちらが天国か地獄へ送られていて、今ここで皆さんと話をしていることなんかできなかったかもしれません。私の周辺にも、ダンプカーと衝突し、積まれていた砂利に埋まってしまい、一旦止まった心臓が人工呼吸で蘇った人や、踏切事故で殉職した人も多数います。
 まさに、交通戦争の真っ只中での30年間であったと思います。言葉を変えれば、労働者が、あらゆる問題について、自らの団結に依拠して闘わなければ生きていけない30年間であったと言えると思います。

労農連帯の階級的課題と労働強化・安全無視との闘いと結合した三里塚・ジェット燃料輸送阻止闘争

 三里塚・ジェット闘争も、労農連帯の闘いという階級的問題であると同時に、千人の定員で働いているところへ百人分の労働強化がいきなり押し寄せてきたという問題でもあったのです。
 私たちはこの闘いの持つ広い意味での階級的本質と、職場で10人に1人の要員合理化、労働強化をどう跳ね返すかという課題、そして、電車が追突して数百人の乗客が重軽傷を負う「船橋事故」というのがあったんですが、過密に対応するために、駅のホームの場内信号機(駅の入り口にある信号機)と出発信号機(駅の出口の信号機)の中間に構内閉塞信号機というものを設置したために起こった事故で、東京の御茶の水駅とか、それから確か五反田駅とか、ホームがカーブしている同じような地形の駅で、同様な事故が連続して発生している状況を踏まえて、安全問題をきちっと取り組まないといけないというというような問題を結合して、全力で闘いました。
 機関士・運転士の養成には当時の制度では、高卒を採用して最低でも5年かかることになっていました。そこで、われわれの闘いに直面した国鉄当局は、全国から機関士経験のある職制を必要な数だけ千葉に集めて当座の要員とし、同時に大卒新採の配属を千葉に集中して機関士の短期養成を行い、高卒新採も必要な数だけ入れて機関士に養成するという形をとらざるをえなくなり、要員合理化による労働強化を阻止することができました。

職場・生産点で、ストライキや長期にわたる順法闘争、そして、助役機関士のハンドル訓練阻止まど、三里塚現地の闘いと連帯し、あらゆる戦術を駆使した闘いを展開し、三里塚闘争全体を大きく高揚させ情勢を切り拓くと同時に、職場の反合闘争としても成果をあげ、敵に助役機関士によるジェット燃料輸送を強制し、「拒否から阻止」という長期闘争の突破ロをも切り拓くことができました。
 そして、この闘いを労働組合の限界性・可能性に常に挑戦する闘いとして、最大限貫徹した結果として、究極的には動労からの分離独立までいったのです.
 
革マルの裏切りと旧国労一部指導部の堕落を乗り越え、
動労千葉は勝利の展望を確信しています

 高度経済成長の中で・国鉄では「石炭から電気(石油)へ」という動力の近代化が進められ、「機関助士廃止・5万人合理化」をはじめとする労働強化攻撃が間断なくかけられてきました。戦後の国鉄の歴史は、労働者の側から見れば、現在もその過程だということも含めて、首切りの歴史です。
 敗戦後・鉄道輸送を人海戦術的に確保する必要もあって、戦地からの引揚者を大量に受け入れた国鉄は、最高時で61〜62万に膨れ上がり、朝鮮戦争前夜情勢下で「行政整理」と称する「10万人首切り」が強行され、国鉄労働運動圧殺のために「三鷹」「松川」「下山」の謀略事件が仕組まれました。
 その後・私が就職した1961年頃は国鉄職員は47万人になっていました。そして分割・民営化攻撃が開始された1982年には42万人です。高度経済成長で業務量が膨大に増加する中で、要員は60万人から40万人に、20万人も減らされているのです。「国鉄職員は働きが悪い」などというのは真っ赤な嘘なのです。働きが悪いから赤字になったのではありません。
 「国鉄の赤字」は、東海道新幹線以降の、高度経済成長政策下での、もろもろの新線建設をはじめとするゼネコン赤字を、単年度決算しないで、国鉄のツケとして1964年以降20年間も放り出しておいたためにサラ金地獄化した以外の何ものでもありません。
 70年代後半に、三里塚闘争を否定し、スト放棄の「貨物安定宣言」を発した当時の動労「本部」革マルは、国鉄分割・民営化攻撃の前に、膨大な首切りも、「働きが悪いから赤字になった」という不当な論理も全て受け入れて階級移行をするに至りました。
 「20万国労」は20万人の国鉄労働者の首が切られるというのに1発のストライキもやらないまま崩壊し、その指導部は鉄産労からJR連合へと、革マルJR総連とJR資本の寵愛を争うまでに堕落した姿をさらしています。
 しかし、われわれは、このような指導部の堕落を乗り超えて闘争団をはじめとする3万の労働者が国労の旗を守って闘い抜いていることに、われわれ自身が、三里塚・ジェット闘争を闘い、反合・運転保安確立を闘い、国鉄分割・民営化阻止を闘い、JR以降も強権的労務政策と対峙して闘ってきた、そして今後も闘う決意に燃えていることを重ね合わせて、今後の展望ということについて、大きく確信を持つことができると思います。

 新たな朝鮮戦争の危機と分割・民営化体制の破綻によるJR体制見直しが更なる首切り攻撃の衝動になる

 問題はこれからの闘いです。
 全体情勢もそうですが、国鉄・JR情勢も大きく動いています。
“ポイントは二つあると思います。
 第一は、朝鮮半島を焦点とする戦争情勢です。戦争情勢のあれやこれやは別の機会に譲るとして、問題は、旅客・貨物と七つに分断され、しかも労組絡みで東と西がいがみ合うているようなJR体制をこのままにしておいたら、戦争遂行・有事立法体制は確立できえないということです。有事体制に鉄道輸送体系の分断は許されないことであり、その意味で、国鉄分割・民営化(JR)体制の見直しの衝動が、支配体制中枢を突き動かしていることは明白です。
 第二に、国鉄分割・民営化それ自体のどうしょうもない破綻の現実です。
 清算事業団の25兆とも27兆円とも赤字の問題一つとっても、ことは明白です。改革法によれば、2年後には清算事業団は解消されることになっています。しかし、その時、この膨大な赤字が解消されるはずもないことは、はっきりしています。
 もしこの赤字を、そっくり国家財政に組み入れたらどうなるのか。150兆とも200兆円とも言われる国債赤字問題が噴出することは、火を見るよりも明らかです。
 以上の2点を見るだけでも、敵を突き動かしている衝動の大きさとJR体制見直しの必然性は、恐ろしいまでのものがあります。われわれは、このJR体制見直しが、JR労働者に対する新たな首切り攻撃として展開されてくるということと、この攻撃が、1991年運政審答申によって、すでに開始されているということを見据えなければなりません。「鉄道の復権」を掲げた91年運政審答申の具体的骨子は、「@国内における整備新幹線建設推進と、A鉄道の海外進出」です。

敵は危機! 解雇撤回・清算事業団闘争勝利
全員の現職奪還の闘いを今こそ原則的に進めよう

 このような攻撃の必然性と既に攻撃は開始されているということを認識することによって、初めて現にかけられている個々の攻撃の本質が見えてくると思います。
一つは清算事業団問題です。
 長い間200もの地労委命令を放置していた中労委が、92年5・28和解案を出し、93年12月に反動的な命令を出し、JR側は毅然として行政訴訟に出てくる、組合側は国労も全動労も紆余曲折を経て行訴に踏み切りました。
 動労千葉は「解雇撤回・清算事業団闘争勝利」のスローガンを絶対に下ろしません。
 このスローガンを下ろすということは、国鉄分割・民営化に反対して闘った全ての労働者・人民の魂を汚すことであり、今後の闘いの芽を全て踏みにじることになるからです。
 清算事業団闘争の最大のポイントは、敵はこの攻撃を通して「分割民営化反対」のスローガンを下ろさせ、「革マル排除の受け皿」として国労を解体・吸収した「JR連合」を対置しているということです。
 清算事業団闘争を放棄・終焉させるということは、国鉄分割・民営化反対の看板を降ろすということであり、国労解体・連合化への進行を必然化させます。
 敵の狙いは、まさにここにあると見なければなりません。その意味で、国労とその周辺から出されている「鉄道交通政策骨子(素案)』は、この敵の狙いに、国労の側から呼応していくものでしかないということについて、われわれは、厳しく見つめていかなければならないと考えています。
 国鉄分割・民営化攻撃は、この10年間、嵐のように通り過ぎていきました。われわれは、文字通り大きな痛手を受けましたが、敵の攻撃が100パーセント貫徹されたわけではありません。むしろ、われわれの闘いで、敵が分割・民営化攻撃にかけた狙いは根本的なところで挫折しているのです。
 先程申し上げた清算事業団赤字の問題、貨物会社や三島・第3セクターの経営が成り立たない問題、そして何よりも革マルを主導勢力と目論んだ「一企業一組合」の破産等々、敵が追い込まれていることに確信をもつて、解雇撤回・清算事業団闘争勝利=全員の現職奪還の闘いを、原則的に進めていかなければならない時が、今こそ来ているんだと思います。

数年以内にJR労働者の4人に1人が55歳に、
.「新たな10万人首切り」の攻撃が始まる

 二つ目は、JRの職場・生産点の雇用がおびやかされている、新たな「10万人首切り」が開始されているという問題です。
 何をもって「新たな10万人首切り」と言うのか。
第一の要素は、先程申し上げましたように、1945年、敗戦以降の国鉄の歴史は「首切り」の歴史です。輸送量・業務量が増えているのに、国鉄労働者は60万人から40万人に減らされ、ゼネコン赤字によるサラ金財政解消のために、1982年から87年までの5年間に20万人の首切りが強行され、JR化以降も、例えばJR東日本で鉄道業務従事員を8万人から5万人にする計画、またJR貨物では西暦2000年までに1万2000人を7000人にするなどの、大要員合理化が強行されています。
 第二の要素は、JR労働者の年齢構成です。1987年4月1日、JR体制発足時の労働者約20万人の年齢構成は、首切り「3本柱」によって、「50歳以上」がほとんどいない、そして、「8年間の新採停止」によって最年少者が25〜6歳となっていました。しかも、この約25歳から50歳までの20万人の労働者集団のうち、10万人以上が40歳を超えている状況にあったのです。
 これがJR移行後8年目に入り、例えば貨物会社では、「数年後には社員総数1万2000人中、55歳以上の社員が3000人に達する」という事態になっているのです。
 実にこれは「全社員が4人に一人55歳以上」ということを意味します。すでに、55歳以上の社員の賃金を20〜30パーセントも下げる攻撃が強行されていますが、資本主義の原則からいえば、さらなる人件費コストの引下げ対策、すなわち解雇・首切り攻撃の必然性は絶対的に存在しているのです。

 10万人の出向先なんかどこにもない以上、JR総連・JR連合を手先とする10万人首切り攻撃が不可避

 では、どのような形態の首切り攻撃となるのか。
 今日、すべてのJRで「60歳定年、55歳原則出向」が就業規則化されています。
 さらにJR東日本などでは、@退職金の上積みなどによる若年退職、A退職前提休職(レイオフ)が制度化されており、B55歳原則出向とあわせて分割・民営時の「首切り三本柱」と同じ首切り体制ができているのです。
 動労千葉組合員のうち、JR化以降今日までの7年間に 55歳に達した者は約25名です。それが今年1年間で25名、来年が25名、その次が18名、その次の年は35名が55歳に到達するのです。どの組合も、どの会社・地域も、どの職種も、多少の数字の違いはあっても、同じ年齢構成であって、そのトータルが今後6〜7年間に10万人もの「出向者」となるのです。
 それだけの出向先がどこに葬るのか。どこにもありません。JR総連革マルは、またしても『国鉄改革に功労があった者は出向させないで現職に残せ』という「運動』を始めています。「他労組の首を切って自分だけ助けてください」という「労働運動』が結局はおのれも含めて
産別を超えた全労働者に首切りの嵐を招来したという、たった数年前のことも教訓化できず、さらに資本の犬として深化することを通してセクト的に生き残ろうとする者とその随伴者に、労働運動を語る資格はありません。
 われわれは、JR総連・革マルと新たな御用組合・JR連合を手先とする首切り攻撃と対決し、一人の首切りも許さない闘いを創り出していかなければなりません。
 JRの新たな「10万人首切り」は全労働者への攻撃、いよいよ交流センターの出番です。
 私は、このJR労働者の当面する「55歳原則出向」という名の「10万人首切り」を全労働者的な普遍性ということで、もっともっとアッピールしなければならないと考えています。それは、われわれが労組交流センター運動を真面目に息の長い闘いとして展開していくとすれば必ずぶつかる問題であるし、交流センター拡大の武器にもなると思います。
 日本全体が、猛烈な勢いで高齢化社会に突入しつつあります。
JR労働者の高齢化・55歳到達者の激増はその一環であり、先駆状況です。
 私は想起します。10年前、つまり80年代の初めの頃に国鉄分割・民営化攻撃が開始されたときに、「国鉄の利権・赤字・土地」や「労働運動つぶし」ということの議論はあったが、国鉄労働者20万人の首切りということは付け足しの議論でしかなかった。
 私は、動労千葉の分割・民営化阻止の第1波のスト(1985 11・28)の直前に、当時の国労中央本部のある中枢役員に会って「われわれ動労千葉は『労使協調をしない組合とは雇用安定協約を結ばない』ということに対して、この段階でストをもって闘う。第2波は、86・春のダイヤr改正』になることは必至だ。ここで5000人も1万人もの要員合理化をやられたら、首切り攻撃に拍車がかかってきて大変なことになる。今回の雇用安定協約問題では無理としても、次期ダイ改に対する闘いでは国労もぜひ決起してほしい」という意のことを彼に伝えました。
 彼は優秀な人ですから、私が言わんとしていることについては充分分かっているし、ダイ改=首切りということについては当然理解している。しかし、その上で、彼が最終的に言ったことは「国労は〔当時)18万人の組合員がいる。(分割・民営化で)3分の1が減らされても、12万人の組合員が残る。国労はこの組織を大事にするという方針です。動労千葉もあまり突出すると叩かれますよ。中曽根は本気ですよ」ということでした。
 私は「しかし、それでは大衆組織はもたないでしょう。八重洲の国労会館は残っても、職場に国労の組合員がいなくなってしまうのではないですか」という意味のことを言いました。いま思えば、大変失礼なことを言ったと思うし、彼もムッとしていましたが、当時、たった1100人の組合員で、国家権力が全力をあげて推進しようとしていることにストライキで反対しようとしている組織の書記長として、大国労の中心的役員がこの程度の認識なのかということに対する落胆の大きさが言わせたことだと思います。

 

中曽根が国鉄労働運動を最大のターゲットにしている以上、闘い抜いて勝たない限り「生き残り」はなかった

 実際、あの時の私の落胆は大きかったと今でも思います。
 これから先の話は、現在の私の想像を交えた話になりますが、私の落胆の中身について考えてみたいと思います。
 @まず、3人に1人首を切られて12万人残る。この組織を大事にするという話。首を切られる6万人はどうなるのでしょうか。6万人が首を切られる過程で「残る12万人」も含めて、職場の中でどのような葛藤が起こり、それが「組織」にどう跳ね返ってくるのか。Aそして、当時、国労の他に動労や鉄労や職制そしてわれわれや全動労等々、併せて7〜8万人はいたと思いますが、この人達も含めて、その所属・職歴などを問わず、平等に「3人に1人」の選別がやられる動向にあったのか。そのことと、@の葛藤の連関性についてどう考えるのか。
私の「国労会館は残っても、職場に……」という言葉は、この@・Aの問題意識から出たことです。
 彼は、Aの点について、社会党・総評レベルの「政治」で、国労が不利にならない結果が出せるということについて、相当な自信があるような口ぶりでした。
 しかし、第一に、「首を切られる6万人」のことが、具体的イメージとして彼の頭にないのではないかということ、
 第二に、私のマル生経験で言えば、国労が中曽根の最大のターゲットである以上、闘い抜いて勝たない限り、国労は組織存亡の危機に陥るということに対して、彼は「政治」で解決することのみに頭がいっていて、大衆を組織して組織危機に備えるという構えが全く感じられないこと、ここに、私の落胆の全てのポイントがあったと思います。
 マル生反対闘争を闘って勝利した国鉄労働運動。その第一組合として「座して死を待つよりは立って闘おう」と檄を発した面影は、10年後には微塵も感じられなかった。そのことに対する私の感慨は、今でも大きく私の中にあります。

 労働者は単なる大衆である限り資本の好餌にすぎないが、組織されストで闘える団結があって資本と対等になれる

 結果的な話になりますが、このような話があった後、動労千葉は1986年2月に「61・3ダイ改」阻止のストを闘った。そのダイヤ「改正」で生み出された2万人もの「余剰人員」を「人材活用センター」へ選別配属する攻撃で、国労から毎月1万人の脱退者が出るという経過を経て、私が話をした彼も含めて、それまでの指導中枢が脱退・鉄産労結成という形で国労を分裂させ、多くの国労組合員の首切りが強行されました。
 労働者は単なる大衆である限り資本の好餌にすぎない。組織されて、そしてストライキで闘える団結の強さがあって、初めて資本と対等になれる。これは冷厳な現実だと思います。労働組合は、何よりもこの団結に責任を持たなければなりません。
 私たち動労千葉は、分割・民営化ということが問題になったとき、個々の労働者の労働条件として考えるならば、国営・公営・民営ということは最大の問題ではないのではないかと考えました。経営形態は、利権だとか新幹線建設などによるゼネコン赤字の解消など、政治的には大きな問題であるとしても、具体的労働条件との関係では、基本的にはどちらでもいい話だ。
 それより具体的労働条件の問題は深刻だ。賃金はどうなるのか。列車の安全は。このような問題意識をもって、われわれは闘いを始めました。

国鉄分割・民営化攻撃は戦争国家作りと
すべての労働者への戦後最悪の労働条件強要の合図だった

 私は今、自らの先見の明を誇り、相手を非難するためにこんなことを言っているのではありません。何回も言うようですが、本当に問題なのはこれからの闘いなのです。
 10余年前、分割・民営化問題が出てきたとき、職場・生産点は、これを深刻な雇用の問題として強要され、様々の葛藤が展開されました。
 国労中枢も含めて、社共・総評はこれを政治的に、余りに浮薄な「政治」の問題として、当該の職場の問題を軽視して、1発のストライキも組織できぬまま、というより構えの問題として「しっぽを巻いたまま」、20万労働者の首切りを許してしまいました。
 一方、動労革マルは、「勝てない」と判断し、「冬の時代」「雨のふる日は山に登らない」を方針化し、個々の労働者にとって最も深刻な雇用の問題について、「他労組の組合員の首を切って、自分だけ助けてください」という奴隷化方針を立てて労働者に襲いかかり、国鉄労働者を悲惨の極に追い込みました。
 国鉄分割・民営化と同時に連合が発足し、5年後には軍隊がカンボジアへ出兵し、今では海外派兵は当たり前、プルトニウム・核爆弾作りも公然と行われるようになりました。同時に、労働者の首切りも資本の都合で勝手放題にやられ、反対闘争は皆無です。
 私鉄では「バスの営業所を丸ごと廃止」し、所属労働者が全員解雇され、「子会社」が全く同じ内容の営業を開始するに当たって、切り下げた労働条件で当該労働者を雇い入れるという、まさに「国鉄方式」の攻撃がやられています。
 高齢者と管理職・ホワイトカラーの首切りのための嫌がらせ「研修=人活センターへ労働者を長期にわたって隔離することも、当たり前のようになりました。福祉はどんどん切り捨てられ、年金制度は改悪され、春闘は連合発足後1回も勝てないまま実質賃金の切り下げが進行しています。
 そして、連合(全労連も)と社共は「政治改革」という反動の中に逃げ込んで、労働者を戦場に追いたてる政治の先頭に立ち、JRで、またも「10万人首切り」が始まるということなどには一片の関心もない。
 そして、革マルJR総連は今、「戦争に反対する」なる方針を掲げつつ、JR東日本資本に対して、「他労組の組合員を出向に出して、JR東労組の組合員は現職に残してください」という再度の奴隷化運動を活発化させている。
 このような状況に対して、われわれも、国鉄労働運動を闘ってきた者として責任を持たなければならない。私は、そう考えています。分割・民営化反対闘争の山場で、闘う気力すらも喪失してしまった社共・総評・国労中枢(当時の)、さらには、「自分だけ助けてくれ」という汚らしい方針をもつて階級移行をした革マル動労、そして勿論「行革断行!」をスローガンとしてきた民社・同盟・鉄労に対しても、われわれは、厳しい批判をたたきつけなければなりません。
 同時に、われわれは、確かにストライキで闘った。そして国鉄労働運動の戦闘性と今後の闘いへ向けた展望を切り拓き、敵の分割・民営化の破産を突きつけている。しかし決定的に力不足だった。
 われわれの労組交流センターは、このような今までの闘いの弱点を補強し、労働者の具体的労働条件を守り抜くために断固闘う組織なのだということを鮮明にして、組織拡大を勝ち取らなければならないと思います。
 その具体的闘いとして、今、目前に迫ったJRの新たな10万人首切り(55歳原則出向)があることを訴えたいと思います。この闘いを原則的に職場に密着した闘いとして貫徹することを通して、あらゆる産別の職場・生産点に、交流センターの組織を拡大していこうではありませんか。
 私は、今回、動労千葉の物販闘争のオルグとして北海道へ呼んでいただき、各地をまわらせてもらっていますが、この闘いが、交流センターの方針としても、あらゆる産別・単組への組織拡大の突破口を切り拓く闘いとして位置づけられていると思います。物販をもつて切り拓いた突破ロを拡大するものとして、改憲・軍事大国化(向けて、分割・民営化の失敗を糊塗し、新たな利権構造が作りだされようとしていること、そして同時に、JRにお'ける新たな10万人首切り攻撃との闘いが、高齢化社会化の中での全労働者的課題となっていることなどを、ぜひ活用していただきたいと思います。

資本による労働者いじめのターゲット=高齢者切り捨ての問題を重視していくことが大切

 交流センターの組織拡大のために、1〜2点付け加えておきたいと思います。
 一つは、いわゆる高齢化社会という問題です。これは、いわゆる団塊の世代と言われる着たち全体の問題であり、JRの「新10万人首切り」の対象者だけの問題ではないということです。
 私は、職場で「分割・民営化で散々な目にあわされて、「JRへ行けばバラ色だ」と言われ、JRへ来てみれば、御用組合とゴマスリばかりがのさばっている暗い職場に放り込まれ、5年もたたないうちに「給料が高すぎる」と賃金を引き下げられ、「お前らがいるうちはいい会社にならない」と出向させられる。そればかりか、「出向先がないから退職しろ」だとか「退職前提休職しろ」と言われて退職した後まで、「お前らが生きているうちはいい世の中にならない」と年金を切り下げられるのが団塊の世代なのだ。この不当に対して、頭を下げてばかりでは生きていけないよ。「JRの55歳出向」に対して闘わなければ、一生頭を下げっぱなしで生きなければならないよ」とオルグしています。
 この高齢者の問題を直接的に闘争課題とすることはいろいろな困難性がありますが、このような話題で、繰り返し組合員と話をすることが、いざという時に団結強化が崩れない基本的な力になると思っています。

 清算事業団労働者の再度の切捨てを許したら
 海外侵略と新たな利権追求が始まってしまう

 もう一つは清算事業団問題です。
 これは当面する焦点だと言いましたが、いかなる意味で焦点なのかということです。単に、1千数百名の清算事業団労働者の問題としても大変な問題ですが、そういうレベルではなく、現下の階級情勢の帰趨を決するという意味においてもここが焦点的問題だということです。前段で申し上げましたように、朝鮮半島情勢を焦点とする今日の情勢のなかで、有事即応と整備新幹線建設と鉄道による海外侵略へ向けて、JR体制を見直す動きが、91・運制審答申から開始されています。その中における清算事業団闘争の意味も基本的には明らかにしましたが、要するに、政府・運輸省といえども分割・民営化=JR化を整理しないで先へ進めることはできないのです。
 この分割・民営化の整理をどのようにするのか。現在まで残っているのは、大きくは、清算事業団の20数兆円の赤字の問題と、2百件ものJR敗訴の地労委命令が出されている労使紛争の問題です。30兆にもなろうかという赤字の問題は、どのような形にしろ、貨物や3島会社・第3セクターを切り捨て分割・民営化で切り捨てられた多くの労働者の苦しみに痛みを感ずることもなく偉そうにしている「本州3社」にかぶせる形で「解決」することになるでしょう。
 問題は労使紛争です。国鉄分割・民営化過程で発生した労使紛争は、確実に世の中を悪くしました。17世紀イギリスや18世紀フランスのブルジョア革命で、クロムウェルの軍隊とか、バスチィーユ監獄やベルサイユ宮殿へ進撃した民衆を鼓舞した正義・自由・平等・友愛というような普遍的・人類的理念が20世紀日本の国鉄・JRで全て踏みにじられ、「階級的」を標榜する全勢力がこれに蹂躙されたのです。恥ずかしい話ではありませんか。
 敵は、ここを頬かむりして、清算事業団労働者を改めて切り捨て、海外侵略と整備新幹線建設という新たな利権を貪ろうとしているのです。
 われわれの闘いの原点、即ち、この労使紛争の原点は国鉄分割・民営化反対ということです。国鉄分割・民営化に反対したことに対して、あらん限りの弾圧・不利益を受けました。
 10年たって、分割・民営化が明らかに失敗だったと分かっているのに、その過程で明らかに不当な扱いを受けた者を再び置き去りにしてやり直そうとする不当を許したら、ものも言えない暗黒社会ということであり、労働者は、本当に戦争の中へ引き込まれてしまいます。
 清算事業団問題について、敵がこの問「5・28解決案」とか「12・24反動命令Jという形で出してきたものの本質は、このようなものなのです。

 絶対に譲歩しない敵に大衆的実力闘争で闘う構えなしに「政労使交渉」で解決を求めることはできない

 これも、何回も言うことになりますが、私は今、このような敵の攻撃意図に対して、国労が「政策要求」を掲げ、「政労使交渉」で解決しようとしていることに対して、非常に危惧の念を感じています。
 それは職場で大衆的実力闘争で闘うという発想がないまま、その準備を全くしないまま、敵とテーブルを囲んでも、敵は絶対譲歩しないということです。

分割・民営化の過程でやられた数々の不当労働行為を「なかったこと」にするのか。清算事業団労働者の大部分の解雇を認めるのか。闘う構えなしでテーブルに着けば、直ちに、このような問題に直面することは目に見えています。
 こちら一が焦る必要は全くないりです。むしろ敵の方が、分割・民営化の破産を隠蔽し、有事体制に対応できる鉄道へ転換することを迫られて焦っているのです。あと2年後に控えた「改革法」における清算事業団解消の期限がくれば、国鉄分割・民営化の破産は隠しようもなくなるのです。
 我々は、「解雇撤回・清算事業団闘争」の当該労働者の生活闘争を含めた闘いを淡々と継続すると同時に、職場・生産点でJRの強権的労務支配と対決し、ダイ改の度に安全を無視した要員合理化を強行することに対して徹底的に抵抗し、「55歳原則出向」攻撃に対決していくことを貫徹していくことが、真に勝利する唯一の道なのです。
 解雇撤回・清算事業団問題を、組合会館の立ち退き問題やスト損倍問題とリンクさせて取り引きすることなどは、絶対にしてはならないのです。
 解雇撤回・清算事業団闘争勝利の闘いと、JRの職場・生産点を結合した闘い。この闘いの追求と、広範かつ重層的な闘いの拡がりの追求、軍事大国化攻撃と対決する反戦・政治闘争の追求、動労千葉は、このような闘いを皆さんとともに闘い抜いていきたいと思います。
こうして物販闘争で全国を歩かしてもらうと、連合と全労連ではどうしょうもないと考えている労働者がいっぱいいることが分かります。そう思っている部分をどう交流センターへ結集させていくのかがわれわれの共同の仕事だと思います。
 今日は本当にありがとうございました。北海道は本当に広いですね。また交流させていただきたいことを希望して終わりたいと思います。

質疑応答
Aさん(民間・中小)
 私の工場は細かく分かれているので何かと難しいんです。
春闘もうまくいってないんですが会社側が弁護士を入れての就業規則の改正にも、有効に反撃できていません。原則とはいえ、「会社が潰れたらどうしょうもない」ということで不満が鬱積していても組合の大会でものが言えません。組合があっても弱い者・パートから解雇されています。動労千葉の物販も全体化しません。これからどうしていくのか。
 本部が指導性を発揮していません。「もめるようなら呼んでくれ」です。春闘も組合全体の闘いにならずに会社の言いなりで妥結しました。
 現場・生産点で動労千葉は闘いを作っていますが、組合員への押さえを具体的にどうやっているんですか。

布施副委員長
 「動労千葉は現場・生産点がきちっとしています」なんて言う自信はありません。ですが、「何でストができるのか」と言われると困るんですが……。本当に動労千葉の闘いでJRの賃金や労働条件が前進したことは一つもないんです。
 分割・民営化で国鉄労働者40万人が20万人になり、動労千葉も要員が半分になりました。NTTもやられているけど、1日3公社5現業のなかで国鉄が一番あからさまです。
 動労千葉10周年のシンポジュウムでパネラーをやるために調べたんですが、列車の対キロ要員が半分になっています。1人の仕事量が倍になったということです。列車のスピードアップがあるので労働時間は伸びませんが、これにはマヤカシがあるんです。勤務制度の改悪です。列車に乗務中の乗務員の待ち時間は、かつては6分の1を労働時間として計算していたのが、いまではゼロにしています。その分の労働時間が減っただけ、ハンドルを持つ時間と拘束時間が増えているのです。
 拘束時間が日勤で18時間とかになって、通勤時間を取ったら寝る時間がないような仕事もあります。こんな仕事を1日やったら疲れが3〜4日もとれません。

 Aさんの会社が「弁護士を入れて就業規則を改悪しようとしている」というのは、国鉄(JR)のことを土台にして、どうやって搾り取るのかと、やっているんです。弁護士には悪質弁護士もいます。
 拘束時間18時間とかやられて・突然死とか、血を吐いて血だらけで運転していたとか、国鉄時代の感覚では考えられないことがJRでは起こっています。昔は「熱がある」と言ったら、当局は「お前、乗るな」と言いました。事故があったら大変ですから、そういう時にカバーできる要員も揃えていました。今のJRは、人命を預かるという考え方でないのです。「儲かればいい」です。それで運転している時に乗務員が死ぬという状況を放置しているんです。
 当局は、JR総連やJR連合と妥結したら、動労千葉や国労が、その妥結内容と同じ内容で妥結しなければ集約しません。「動労千葉は小さいからダメじゃないのか」という声が常に内部にあります。「じゃ、全部JR総連やJR連合になったらどうする」という声もあります。動労千葉は、これだけ踏ん張っているから、職制にペコペコしていません。動労千葉の組合員は小集団活動をやりません。無理にやらせたら動労千葉の役員が乗り込んで行きます。

 当局はギリギリまで要員合理化をやったため、公休出勤で要員を維持しているんです。動労千葉は年休消化が9割です。公休出勤者は、向こうの組合員が圧倒的に多いのが実情です。現場の力関係でやれることは沢山あるんです。あらゆることが労働条件なんです。
 動労千葉の役員は、とにかく現場に行っています。職場の状況を正確に把握しようとしています。役員に文句を言っただけで解決することもあるんです。それと、組合員は、賃金をもらっている以上ちゃんと仕事ができないやつは信用しません。反戦・政治闘争だけでもダメ、反戦・政治闘争がなくてもダメ、職場・職場によってもいろいろ違います。職場ごとに気風が違うんです。
 当局は要員合理化を出したら引っ込めません。けど、てんてこ舞になるか、黙ってやられるかで、後が全然違います。きめ細かく、役員・活動家が飽きないでやることです。役員の方が飽きるんです。でも行くんです。

Bさん(自治労)
 社会党の選挙動員についてですが、社会党は応援していない政党なので困っています。動労千葉が社会党の応援に取り組んでいるのは、社会党が役に立たない政党でも、組合として選挙をやることに意義があるということなのですか。

布施副委員長
 千葉は県評ではなく県労連でした。動労という組合は社会党一党支持を最初に決めたところで、われわれは、一地方本部として社会党の選挙をやっていました。組合員には「付き合いだ」と言っています。社会党も物販をやる時には一筆書いてくれます。国会請願にも紹介議員という窓口が必要です。中野委員長の言う「より・まし」論です。
 選挙というのは闘争の一つの形態です。どっかに与して組織的に動くのは闘争の訓練です。労働運動は会議と集会の繰り返しです。目的なしに会議や集会はできません。きちっと取り組めばメリットが無いことは無いんです。
 国鉄職員は殻に閉じこもりがちですから、「外をよく見て来い」という言い方もありました。行けば、動労千葉の組合員は実直ですから、選挙事務所では評判がいいんです。組合員が「何のために行くのか」と質問しますと、「世の中の付きあいだ」と応えます。船橋市議の中江さんは組織内候補であるし、社会党で出ています。身も心もではないですけど…。
 労働者の組織は、他組合への支援、争議団への支援が重要です。700名の組合員にはいろいろな要素がありますから、労働組合の運動は気に入ったことだけやっていればいいということではないんです。