闘う労働組合運動を全国各地の至る処に再生させよう!!

 

 2010年8月4日
 元国鉄労働組合九州本部書記長 
手嶋浩一  

★和解調印拒否の勇気ある決断を讃える

 国鉄分割民営化に反対した1047名の解雇事件が、24年の歳月を費やして、今年6月28日、最高裁判所に於いて和解した。
 何故か不思議なことに、和解対象者が1047名ではなく、910名となっているが、現在もその理由は明確ではない。6名を除いて、904名が和解に応じ、調印したが、多くの者が苦渋の選択を強いられたのであろうと推認できる。
 何故ならば、最低の解決要求である「雇用・年金・解決金」のほとんどは満たされていないからである。雇用に関して、北海道・九州・四国のJR株は、政府が100%保有していながら、政府は「採用を要請したがJRが拒否しているので雇用は保障できない」と言うのは、まさに茶番であり騙しと言わざるを得ない。
 又、年金は解決金に組み込まれていると言うが、それ自体が許されるものではなく、法に違反する。年金はすぐれて、法の下における生存権保障であり、基本的人権の保障であり、解決一時金とは区別されなければならない性質のものである。闘争団員が何歳で死に至ると想定して、解決金に組み込んだと言うのであろうか。これほど人を愚弄するものはない。
 労働組合として、妥協することや和解することに異論はない。鬨として、何も得る物もなく妥協し、和解することもある。しかし、その前提は、精一杯闘ってきた結果の和解であり、何よりも次への闘いを展望し、準備することにある。この前提なしの妥協や和解は、欺瞞であり、屈服の誹りを免れない。
 一人平均2,200万円の和解金がマスコミを通じて、大々的に報じられて強制されたが、何故か疑惑の念を抱かせるものとなった。
 一般的に2,200万円の解決金は大金であり、魅力的でもあり、しかも24年、苦難と苦闘の生活を強いられてきた者にとって、今回の和解調印は、闘いの一定の区切りとして、已むを得ないものであったと言わざるを得ない。解決金が、額面どおりに授受できるのか、疑問の残るところであり、憂慮されるところである。
 解決金を放棄して、あくまでも国鉄分割民営化の欺瞞を認めず、引き続き裁判闘争を継続し、和解調印を拒否した6名の皆さんに対して、心より拍手を送り、その勇気ある決断を讃え、共に連帯して闘う意志を表明するものである。

★闘いを放棄してきた国労本部の重罪性

 24年もの長き苦難を強いられてきた原因が、政府とJRにあることは論をまたないが、今一つの原因は、国労本部が闘いを放棄し、「お願い」解決路線にすがりついてきたことにあると言っても過言でない。
 闘わない国労本部の姿を取り上げればきりがないが、その特徴を挙げてみよう。
 労働者にとって最も力強い闘いの武器は、ストライキである。JRという民間企業になり、公労法によるストライキ禁止の縛りは解き放たれた。だが、国労本部はこの24年間、日本の歴史上類例を見ない、未曾有の解雇者を排出させられながら、一度もストライキで闘うことをしなかった。自らストライキ権を放棄した結果、政府、JRと歩調を合わせたかのように、闘争団員を始めとする国労組合員を、24年間も路頭に迷わせ、晒し続けてきたのである。
 当時、国鉄本社のある幹部は、「国鉄割民営化が実現し、成功したのは、国労に一度たりともストライキを行使させなかったからである。その為に、我々は国労幹部を恫喝し、買収も含めたあらゆる手段を講じて、ストライキ行使をくい止めたから成功した。もしも、ストライキで抵抗されていたら分割民営化の成功と実現はなかったであろう」と吐露している。
 202億損賠訴訟と国労本部事務所(国労会館)及び全国の国労事務所の闘いなき、無条件明け渡しの取引も同然である。
 闘う意志があったならば、最高裁まで闘い、最高裁で負ければ、明け渡しを拒否して、国労会館に籠城(東大闘争の安田講堂籠城闘争のように)して闘う戦術もあった筈であるが、何もせずに闘いを放棄した。仮に、籠城戦術に至らなくとも、何次かのストライキを組織して、粘り強く抵抗し、闘う態勢を実現していれば、1047名の解雇問題の解決の道も早く、24年間もの時間と浪費は避けられたのではないかと思われる。
 四党合意による国労本部の醜態は、今さら論じるまでもなく、見るに見かねる哀れな姿であった。四党合意の立役者だった自民党の甘利に恫喝された国労本部は、狼狽し、あろうことか四党合意に反対する国労組合員を、警察権力に売り渡し、逮捕させ1年2か月も牢獄に陥れた。いわゆる国労5・27臨大闘争弾圧事件である。国労本部はこの時、既に労働組合の使命を逸脱し、自民党の軍門に下り、闘う闘争団員の権利停止処分を行うなど、血迷った暴徒と化していた。
 107名の死傷者を生み出した尼崎事故は、JR当局の命令と服従による専制労務管理支配が、事故の大きな要因であったにもかかわらず、抗議のストライキさえもしなかった。日常茶飯事にレールの亀裂による破損事故や検修外注化等々により、安全が脅かされているにもかかわらず、傍観して闘おうとしない国労本部は、重罪であると言うほかない。

闘いの放棄は奴隷への道である。

 秋葉原事件をはじめ、到底、普通には理解することのできない、無差別殺傷事件が横行し、聞くに忍び難い幼児虐待死・暴行事件など、日常茶飯事に心痛む事件が報道されているが、こうした事件と国鉄分割民営化と無関係とは言い難い。
 国鉄の分割民営化を境に、労働者派遣法が秘かに施行され、世の中には働いても働いても不安定な生活を余儀なくされているワーキングプアと呼ばれる労働者が溢れ出し、正規、非正規雇用という、格差が拡大する恐ろしい社会へと変貌してきている。
 国鉄の分割民営化によって、既成労働組合間に国労の「二の舞」をするなと、秘かな合い言葉が漂い、闘いが放棄されて久しい。労働者は、闘いの過程で人の痛みを知り、人への思いやりを学び、人として生きる喜びや温もり、そして労働者が連帯することの大切さを体得していくものである。労働組合が闘いを放棄することは、そうした気持ちが喪失してしまうことを意味し、自己中心的な冷酷な人間を生み出し、それは、いずれ奴隷の道を歩み始め、死へと至らしめる。
 労働者の闘いこそが、素晴らしい人間社会を創り上げていくものであることに確信をもって、全国運動を展開しようではないか。

国鉄闘争の火を消してはならない

 「JR不採用」事件の一括和解成立に伴う共同声明が、2010年6月28日付けで、4者・4団体・関係訴訟弁護団名で発信されている。
 それによると「今後、積み残されている雇用確保が実現されるまで、全力をあげて奮闘する決意である」と記述されている。次なる闘いの決意が表明されていることを見れば、和解が決して屈服の和解ではなかったことの証であり、和解調印を拒否した者と連帯して、JRへ雇用確保の闘いが進展することを願うものである。
 国労本部は、和解成立の声明においても、和解調印に応じなかった組合員に対し、「国労としてはこれらの訴訟する運動に一切関与しないことをここに明らかにする」とまた重罪を積み上げようとしている。本部は自らの説得力が不足であったとなぜ、謙虚に反省しようとしないのだろうか。多額の解決金授受を放棄して、訴訟を継続し、JRへの雇用確保をめざすと言っているのであるから、むしろ有難いことではないか。
 今時、和解を契機に、国労本部が過去の闘いの放棄を改め、共同声明で意思表示しているように、JRへの雇用確保に決起し、国鉄闘争の火を燃やし続けていくことを期待するものである。