労働学校通信

第Z期No.05

次回講座のお知らせ

8月18(土)・9月15日(土) 各13:00〜
 資本主義とはどういう社会か
 講師 鎌倉 孝夫(埼玉大学名誉教授・東日本国際大学教員)
 マルクス主義経済学者。『資本論体系の方法』(日本評論社)、『資本論とマルクス主義』(河出書房新社)、『経済学方法論序説』(弘文堂)、『「国鉄改革」を撃つ〜公社交通の再生』(緑風出版)など著書多数。資本主義社会について全面的、体系的に明らかにする
*親睦会も楽しみです(会費千円)

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労働学校通信 第5号 (2007.08.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

我々の構え次第

 ・・・今回いろんなところで垣間見て、思いつくまま、いろいろしゃべりました。
 けれども、要は、60年前の戦争でいったんガタガタにされて、今、戦後60年を経て、荒廃した日本の資本主義体制。
 戦争をやろうとしたり、日本の労働者に対して大変な攻撃を仕掛けているけれど、これは彼らが万全の体制で、これからもっとよくするためにやるというんじゃなくて、「もうそれ以外にやる方法はないから、ああいうやり方しかやれないんだと」いうことを見なければいけない。
 だから安倍なんか、一見強がりを言っているけれど、「非常な脆弱さ」を誰が見たって分かるじゃない。今度の参議院選は惨敗だと言われているんだから。
 こういう状況を考えると、「我々の構え次第」。一番の問題は、労働者がそういう情勢を、日々起こっていることを見る力がなくて、「労働者が団結して事態を打開しよう」という闘いに参画しないということがある。

ここを吹っ切れ!

 つまり敵のそういう何十年来の策動に乗っちゃっているから、そういう問題が起こっている。
 ここを吹っ切って、労働者が団結して、闘いを開始したら、実際、今起こっている様々な矛盾は「間違いなく解決していくんだ、決着つけられるんだ」という方向に進んだら、一切合切決着がつくんですよ。
 それはそういう目でぜひ見てもらいたいし、そういう「ものを見る目、考える力」を養うのがこの労働学校の仕事です。
 「労働者の生き方」という森尾先生の話は、その核心中の核心ですから、もう何回も聞いた人がいると思いますが、これは聞くたびにいろんなことが分かります。
 今日は、そういう立場で、いずれにしても今年07年は後半戦が勝負所になります。皆さんのもっているエネルギーを本当に全力で発揮するために、がんばってもらいたいと思います。

(7・21代表あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

ストジェネレーションの「失われた」って、「全て奪われた」ってことなんじゃないかと思いました。全て奪われつくした世代。まさに失うものは奴隷の鎖以外に何もない世代。革命以外に奪われた人間としての当たり前の尊厳も、生きるための本当の労働も、いやもっと根本的な生存そのもの(生きる手段)も、奪い返すことはできないと思います。3・18や6・9では、この実践で青年は革命を公然と訴えて凛と立つ団結を欲している!という確信を得たんだなーと思いました。
 闘っても、ものがとれない時代と言われています。だけど、共産党宣言の立場に立った時、ものがとれるかとれないかで闘いがあるのではない!と、スッキリします。つまりまったく違う"闘い"への目線が共産党宣言にはある。その闘い方は団結の強化と拡大になるの?ならないの?という目線です。
 私の職場の御用組合は、常に闘いの成果を評価する目線が前者の目線です。しかも、後者の目線で闘いを呼びかける我々に対して、前者の目線でこたえてきたし、前者の目線で闘いをつぶしてきた。
 今、私の組合権停止の攻撃がかかっていますが、組合の大会の場で、このことをみんなにはっきりさせたい!と思います。

ルクス主義は「正しく学習する」ことが目的ではなく、それを知った労働者が階級性に目覚めたら勝ちと分かっていたつもりですが、あらためて自分が教えられた半年間でした。もっと練り上げて、現代の青年の決起をつくっていく自分流の『宣言』を改良していきたいと思っています。
 年間計画の中に「第2インターナショナルの崩壊」か「社会主義と戦争」があるとうれしいです。というのは、青年労働者の多くが、体制内労働運動との命がけの死闘に入っているからです。だからその体制内の奴らがどうしてああいうことを言うのか、どう闘うかとか、レーニンから学べたらよいと思います。

「全世界の労働者、団結せよ!」
 結論ははっきりしていますが、『共産党宣言』そのものをそれとして学んでいけば、プロレタリア革命をめざすということ=階級的労働運動路線を推進するということになるはず。
 総評時代、よく組合でも党宣言を学習するということが基本だったと聞きます。しかし、それは結局、その本質をあいまいにし、労働者の決起を抑えつけるものだったと痛感します。したがって結論は、講師の最後の発言にもありましたが、受講生が今度は講師となって学習会を組織していくということだと思います。がんばりましょう!

本主義の歴史と労働者の今日までの歩みが分かりました。そして今の資本主義の下で言われている「民主主義」がウソばっかりだということが『民主主義は工場の門をくぐらない』という言葉の中に凝縮されています。それだけじゃなく、今は「民主主義は選挙すらくぐらない」気がしますが。
 とまあ、そんな中、今は本当にこの世界を労働者の手にとり戻すチャンスが訪れていることを肌で感じます。雨宮処凜さんの著書『生きさせろ』に出てくる労働者たちも、今の世界の行き詰まりを感じ、例の"希望は戦争"の彼のような青年を生み出しているのだと思います。ただ、彼らの感じるところは同じだと思うのに、彼らにある選択肢が2つしかない。戦争するか、現状を続ける。この2つしかないというのが悲しいんです。3つ目の選択肢を知っているオレらが彼らに出会えていない。出会えればみんな第3の選択肢"革命"を選び取るのに。早くその辺をやらなければいけないと思います。

日の講義で印象の残った言葉は
 ☆民主主義は工場の門をくぐらない
 ☆支持する、提起する、努力する、です。
 労働運動は歴史的に見ても、まだ200年くらいで(その前の時代の人たちに闘う必要がなかったということなのかもしれませんが……)、その中で今(現在)の運動があるのだと思います。少しずつ、進化、発展してきていて、それは同時に資本主義という社会の後進、終末ということなんだと思います。
 やっぱり、闘えば勝てる!っていうか、闘わなくちゃ勝てない! それは宝くじみたいなもんで、この場合の勝つっていうのは、闘争そのものに勝利するでも、団結が拡大するでもなくて、つまり、自分自身に、または仲間に対し、妥協しない、裏切らない、日和らない、という意味で勝てる!と思う。
 私は私であること、私の目で見て心で感じたことを隠さない。
 今、『大地の乱』を読んでいて、すーっごくハマッテマス。

潟地震で自動車部品メーカーが止まって、トヨタも日産も生産が止まっているという話が冒頭ありました。
 今回は地震で止まったんですが、これが労働者のストだったら、すごい力だと思います。大企業でなくて地方の従業員数人とか数十人の中小企業の労働者が団結をとりもどしてストをやったら、ほんの一部分の部品がなくて「世界のトヨタ」も止められるんだと。一方、世界一の企業といっても脆弱だと感じました。
部分的な質問です。
 p5……工業の進歩は無意思、無抵抗なブルジョアジーによって担われているが……のところ。
 私の認識では、ミートホープを見ても、コムスンを見ても、こんなことをしたらヤバイとか事故になると資本は分かっているが、安全対策とか正当なやり方でやっていては競争に負けて生き残れないから、資本の論理に無抵抗なのだと思っていたのですが、ここではそうではなくて資本家は全く分かってない、無意識のように書かれています。そうなのかなと思ったのですが(ここで言っているのはその後ろの文とは思いますが)。

回の学習会は〈プロレタリアート(労働者階級)とはいかなる階級か?〉という、われわれのことについて提起された。
 たとえば、休みをとろうとすれば、解雇の恫喝を受けるという中で悔しい思いをしている労働者も膨大にいる。まずもって、必ず労働者階級は勝てる。中野顧問が言うように、トヨタといえどもストライキでもって生産をストップできるという立場に立つことが大事だと思います。いつかやってやるぞ!と。そこから、このブルジョアとプロレタリアの後半部分を見ていった。
 質疑応答で、「労働者の団結と闘い」について出されて、労働者の側から「革命に向かっての直接の成功は団結」と出されて、ハッとさせられました。
 私的所有の問題で、「所有諸関係を廃止するということは、共産主義独特のものではない」や「諸君の支配している現在の社会では私有財産は全社会の10分の9にとって廃止されてしまっている。すなわち私有財産はまさに10分の9は存在しない」という切り込みは何度読んでもすばらしいです。ブルジョア的私的所有は、廃止されて当然だ。
 「協力体」の問題について
 資本主義社会は今、共同体的なものをどんどん破壊してしまって、様々な年齢の人、性別、国籍に関係なく、ブルジョア的生産体制の下へと引き入れました。ここにおいてすさまじく残酷なことが繰り広げられている。しかし、労働者が労働組合のもとに団結して革命をやりぬき、生産手段を共有化すれば、全世界的規模でこれまでにない人間的な共同の社会を生み出しうる。われわれは、その前夜にいると思います。

回の講義の中で印象に残ったものとしては、奴隷=商品として売買される労働者という話がありましたが、現代の労働者も時間にきっちりと出勤し、夜遅くまで真面目に仕事をこなす……勤勉な(不真面目にやれというわけではないけど)見えない鎖につながれた(賃金という鎖?)奴隷の一つではないのか?と思えたり、その割にはブランドバッグなどを買いあさって、さらにはそれらをたくさん持つセレブ?な人々を持ち上げるマスゴミ報道を食い入るように見てうらやましがる(そのセレブと持ち上げられているのは本当は我々を搾取した私有財産を基に生活をしていると思うのだが……)、こんな国民、なんか変だと思うのは私だけ?
 あと、私有財産のところで株式の話を少ししていたと思いますが、現代では政府の側が「貯蓄から投資へ」と少々の財産を持つ労働者(むろん下流、ワーキングプアと呼ばれる層には無縁な話だけど)に積極的に所有をすすめていますが、これは私有財産という観念からしてあまり大量に保有されて大株主にでも(ましてや筆頭に躍り出れば)なれば革命をする前に我々が資本を奪取できるということになりかねないことになると思いますが、何か策略があるのか?どうでしょうか?

「そもそもブルジョアジーが生産手段を私有しているのがおかしい」という言葉が印象に残りました。われわれは資本主義社会の中で生まれ育ってきた中で、それが当たり前のことと思わされてきましたが、本当にこれは「おかしなことだ」と、今回、ある種、衝撃をもって受け止めました。
 ここから『党宣言』の最後の「共産主義者は所有(財産)の問題を、……運動の根本問題として提起する」の部分も深く理解できるようになった気がします。
 人間はそもそも自然に働きかけることを通して、協働的に社会的に生産している。ここに人間の本質があるわけですが、階級社会においては、それが奪われている。その極限的な形態として資本主義社会はあるということ。
 したがってこれを根底的にひっくり返すことがプロレタリア革命の本質であり、共同性の回復、人間性の奪還であると思います。それから『党宣言』を読むと、この1−2年いつも思うことですが、新訳本p29の部分の「奴隷としての生存も保障できない。……自分たちの墓堀人を生み出す……」は、『党宣言』の時代そのものがそうであったと同時に、今現在、そういう時代になっていることを感じますし、『ド・イデ』『宣言』の学習を通して、プロレタリアートの歴史的存在、役割として捉えることができました。
 「感想文」に対して、一つ一つ回答をしていただき、先生としてはご苦労だったと思うんですが、ありがとうございました。まだ全ては読めていないのですが、全て読んで学習を深めていくつもりです。まとまらなくて申し訳ありません。

番思ったのは、2章の共産主義論やイメージの話がすごい観念的だったこと。ここらへんは、資本家を痛烈に批判し、自分たちが革命に確信を持っていく空気のはいるところなのに、かなり残念。「まだ現実にない社会を言ってるから(イメージわかなくて)仕方ない」と言われてましたが、単にそれだけ言われてもケムに巻かれた感じ。共産主義の確信というのは、労働者こそ社会を動かしているんだ、動かしていけるんだということへの確信。動労千葉や動労千葉のように闘おうと闘っている私たちがつかんできた労働者階級としての誇りと団結。インターナショナルを展望した11月集会にイメージがあるじゃないですか?ここを積極的に出して欲しかった。なんでここで労働組合が出てこないんだーという思いです。
 僕も最近『宣言』の学習会を始めました。学生ですが、彼が空気入るのは、「何だ、今と全く同じじゃないですか」という点です。『宣言』やってますます動労千葉すげー、11月集会に1万人集めたいっすねー、となっています。実践はまだこれからですが。やはり『宣言』は決定的な武器だなーと思ってます。
 で、その実践からいくと、質疑応答とか意見がもっとそんなふうになったらなーと思いました。提起がちょっと昔話的なんじゃないでしょうか。一文一文原文を読むのは大賛成ですが、一つの内容ごとに「今だって同じじゃないか!」と言っていたら、具体的な闘いをめぐる議論になるんじゃないかと思います。例えば今回で言えば「労働者が団結したら資本主義なんて一日も持たないんです。トヨタで数百人の労働者が立ち上がったら止まる」という提起はよかったと思います。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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