労働学校通信

第10期No.11


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労働学校通信 第11号 (2011.02.10発行)
がんばろう労働者!たたかおう労働組合!ひろげようインターナショナル

あんたがた本物か
「こんな古い、自民党に支配された町のあり方をまた繰り返していいのか。産廃絶対反対!こんなことやって、漁業も観光も、全てがつぶれる。もう、政治生命をかけて反対する」
こういうことが焦点になって、動労千葉が地方自治体を小さな田舎町であっても、ひとつおさえちゃうという感じになったら。事態は、これからどう進んでいくのか、ということも含めて、もう僕らの予想を超えて物事は進んでいる。
僕が思うことは、問題はそういう事態が世の中の至る所に、怒りの声ですよ、それが渦巻いているということ。その声というのは、僕らに対して、「あんた方が本当に、私らの怒りの声をつかみあげてくれるのか」という声に、聞こえなきゃいけない。
そういう声が、僕らを求めている。それに対して、まだ僕らの運動は小さくてそんなことできないと考えるのか。ここで、本当に時代に食らいついて、この中で僕ら自身が一気に飛躍をしていくことができるのか。すべての職場で、地域でそういうことが満ちている。
すべてが可能性に
すべては、われわれの側が、声ならざる声に問われて、それを具体的な運動にする。どんなに、力に有り余るような課題であっても、そこにわれわれが食らいつく。そういう構えさえあれば、僕らの周りで起きていることのすべてが可能性に見えてくる。そういう時代が来ていると思います。
もう、二重三重四重ぐらいの闘いをやらなきゃいけないといえば、ちょっと大変だと思います。けれども、そういう中に可能性がある。ストライキの中で、市長が生まれる。こういうことが当たり前だと。労働者が、正当な要求を掲げて闘う。そういう中から全てが生み出されてくる。闘う労働組合ができる。こういうことが、いよいよ始まる時代が来たと思います。
(委員長あいさつから)

ひとりは万人のために 万人はひとりのために

交流の広場−闘いの輪(受講生の声)を随時発行しています

感想文紹介

☆日本におけるロシア革命史研究の第一人者である倉持俊一さん(元法大教授)がボルシェビキの党内闘争に対するレーニンのスタンスについて、よく語っていました。「彼は党の諸々の会議などで自分の主張が通らず敗北した場合、そこで延々論争するというようなことにはまったく力を注がなかった。そうではなくてさっさと帰ってきて、労働者に直接手紙を書いたり、現場労働者の集まりに出かけていって徹底討論したりした。そうして、直接に労働者の支持を獲得することをとおして、党内の力関係をひっくり返した。4月テーゼ後の闘争がその象徴だけれど、それだけでなく、レーニンの常に一貫したスタンスはそうだった」−という話を講義を聞いて思い起こしました。
 次元は若干異なりますが、職場闘争、団交、現協などに対する動労千葉と国労のスタンスの根本的違い。現協をとおして組合要求を当局に認めさせることにものすごい時間とエネルギーを注ぐ国労。それに対して動労千葉は、団交で当局が組合要求をのまなければ、そこで当局と論争することに時間を割くようなことはまったくせず、さっさと帰ってきて、翌日から職場で闘いに突入。その職場における力関係をもって当局を屈服させた、と。
 党内闘争と資本・当局との闘いという違いはありますが、徹底して労働者、労働組合員に依拠した闘いのスタンスという意味で、共通したものを感じました。
 労働組合運動の実践をとおした階級的団結の形成にこそ、今のこの社会の現実を切り裂くすべての力がある−このことに確信を持って2011年も現場を飛び回ろうと思います。

☆今回の学習では、ロシア革命が労働組合、労働運動に徹底的に依拠した革命であったということがよく理解できしました。スターリン主義による人物主観的なロシア革命の見方は私の中にもあったのですが、それが粉砕され、労働者階級が労働組合を武器に闘い勝利した革命だったというイメージが生き生きと甦りました。
 それは闘いを通して、ロシアの労働者階級が労働者自身の党が必要であることをつかんで実際に党をつくってきたことと一体だと思いました。
 レーニンは、ナロードニキの「農民主体で革命をやる。なぜならロシアで資本主義は発展しないから」論にたいして、ロシア資本主義の発展という現実が厳として存在することを基礎に、ロシア革命は労働者階級が主体であるということを明らかにし、ナロードニキの路線では労働者階級は解放されない。この労働者階級の組織化に全力を投じたというところは非常に教訓的だと思いました。
 今回、新たにつかんだこととしてもう一点、2月革命後の闘いの中身があります。2月革命の勝利の核心は、工場委員会運動を通じて労働者階級を組織化し、現場労働者に徹底的に依拠し、メンシェビキらの労働者支配を現場から突き崩す闘いを、職場支配権をめぐる問題として目的意識的に毎日の闘いとしてやり抜いてきたことだと思います。最初は少数の闘いだったと思いますが、4月協議会で労働者統制をめざす闘争を、ソビエト権力をめざす闘争と結びつけ、「一にも組織、二にも、三にも組織」という方針に基づいて労働組合と工場委員会の組織が急速に進みます。「今は少数だけど必ず権力取りに行くぞ」という主流派精神を感じました。
 戦争問題については、やはり労働者階級に国境はないという立場で、労働組合こそ帝国主義の侵略戦争を阻止する力があると思いました。
 4月統一地方選において、西部ユニオンでは北島組合員を擁立しますが、その闘いを通して青年労働者の怒りと結びつき、どんどん労働組合に加入する闘いをやっていきたいです。

☆レーニンの兄がナロードニキだったとは知りませんでした。だいたい私はレーニンの生涯についてはあまりよく知らなかった。スイスで革命の指導をしていて、10月に列車でロシアに戻ったとか、後継者にはトロツキーを指名していたとか、最後はスターリンに毒殺されたらしいとか怪しい噂話程度しか知りませんでした。
 しかし兄がナロードニキなのになぜレーニンはマルキストになったのだろう。ナロードニキについては、私はよく知りませんが、ロシアの社会主義運動のことですよね。ナロードニキは科学的社会主義なのですか? どんな人がいるのか知らないし、近所の図書館には普通の歴史書しかなかったです。
 ところで、話は変わりますが、今日の講義では国家の死滅についても説明がありました。人間を疎外する権力というものは、社会主義革命が成功して、真の平等を実現したら忘れ去られていくんですよね。国家がなくなると税金を払わなくてよいからいいなあ、くらいにしか思っていませんが、社会の秩序は自分たちで守らなければならないので、組織ができて、また権力が生まれるのではないだろうかとか、考えます。しかし、労働組合等を通じて社会制度などを維持していくみたいなので、社会主義国家は法人ではなくなるのでしょうか?
 現在の日本は民主主義国家(というより近代国家)であり、法人だから国家権力を持っています。そして、意思決定機関は国会。しかし、国会は独占資本に独占されており、民主主義とは言えない。さっそく機能してないように思います。ニュースとかを観ると消費税率を17%にしろ、とか社会保険料をあげろとか、外国問題とか国家賠償問題とか、あらゆるモメントで国家の意思決定を左右しているように感じます。失業問題とか財政問題とか……。しかも法人税だけは優遇されている。考えていると腹が立ってくるので、このへんでやめます。しかし、憲法を定めたり、三権分立を定めたりしても、形骸化するので仕方がないなと思いました。早く社会主義の時代がきて本質的平等が実現されるといいですね。

☆プロレタリア革命が実際に行われたこのロシア革命がどのように起きたのか、ドキュメンタリードラマを見るかのようにわかり、感動しました。中でも女性労働者達の“直感”というのはとても良かったです。
 人間としての当然の怒りが爆発したときがチャンスだと思いました。労働者が実権を握った後も、資本家を守ろうとする人たちがいる。干渉戦争をしかけてくる国がいる中で、ロシアが歩んできた、選択してきた道は現在の私たちにとってものすごい教訓となっているのではないかと思いました。……当たり前か。
 具体的にこうすればいい、というのがない中進んで、自分たちで作り上げていったというのは本当にすごい。この歴史を生かさないわけにはいかない。うまく言えませんがそんな感じです。

☆工場委員会というものに興味を覚えました。想像力を刺激されたというか、具体的にどんな活動をしていたのか知りたいです。
◆「書かれざる第7章」というのは的確な表現だと思います。『国革』の最後は幻想的になってよくわからないという印象を持っていたのですが、少しモヤが晴れたような気がします。
◆今とり組んでいる交流センターなどの闘いが革命につながっているという話に勇気づけられました。正直なところ、地区の交流センターの運動が停滞しているので、やや消極的な思いでとり組んでいましたが、あらためて仲間に運動への結集を呼びかけようと思います。
◆1917年10月の最後の決戦の前に、工場、職場での闘いが勝負を決していたのだということがわかりました。また、そこが本当に決定的なのですね。
◆「4・4派」や体制内労組指導部、「4・9」和解派などが「臨時政府」におけるメンシェビキやエスエルの姿と重なって見えました。

☆1917年革命で街頭に登場し、闘いぬいたプロレタリアートが各工場に戻り、闘いを開始していったこと、そして決定的なのは、レーニンと4月テーゼがこれら工場における闘いこそが「プロレタリア革命の準備」であり、「帝国主義戦争を内乱に転化する」ことそのものである!と徹底的に位置づけていったことだと思いました。
 戦後世界体制の音を立てての崩壊と、労働者に対する政治支配能力の完全な喪失という状況を本当に見据えることだというのは、田中委員長の冒頭のお話の通りだと思います。国鉄闘争を柱にして、私たちが本当に社会全体をも運営していくようなトータルな力を持つ。ストライキを打ち抜きながら、市長を生み出していくようなもの凄いことをやり遂げる力を、昨年本当に作ってきたんだとあらためて確信を持ちました。
 講義はロシア国内の闘いは非常に詳しくやっていて重要だということと、特に1905年革命なんかは、もう少し国際情勢(例えば日露戦争)との関係で、そもそもどういうものだったかに触れて整理していくこともまったく初めて話を聞く人にとっては必要なことではないかなと思いました。
 しかしとにかく労働組合が重要だということ、今日出たビラの見出しの通り「たたかう労働組合を時代の最前線に」ということだと思います。これまでの発想などはいったん取っ払って、本当に勝ちに行きましょう!

☆2011年が始まった。職場では同期の人のパートナーが年始に自らの命を終わりにしてしまうという悲しいスタートとなった。亡くなった方は鬱病だった。本当に悩んで苦しんで出した結論だったのだろう。自分で命を絶つことについて様々な論議があるが、今、生きている私たちには、死を選ばざるを得なかった人の気持ちは想像でしかわからないし、痛みもつらさもシェアしてあげられない。遺された家族にはかける言葉もなく、ただただ抱きしめることしかできない。
 私自身、パートナーが、職場が変わって、そこの上司にパワハラにあい、鬱病になって仕事を辞めたので、一般的な人よりもうつについての知識はあると思う。でも、病気の当人にはただ寄り添うことしかできないのだ。
 大学生の時、心理学の先生は、「満員電車に平気で乗れる人は精神障害だ」とよく言っていた。“普通の”人なら、そんな窮屈で不快な状態のところに自分から乗り込もうとは思わないからだ。だが、私たちは働いて、生きてゆかなければならないので、我慢して毎日乗っているうちに、それが“普通”になってしまう。変な状態になれてしまうのだ。
 でも、心にも限界があり、ある日突然、人によっては毎日少しずつだんだんと弱って倒れてしまう。人も金も削られて、みんなが心を病んでしまうようになった社会。弱って倒れる人も、荒んで他人を攻撃するようになった人も、みんなこんな社会の犠牲者だ。
 私は“メンタルが弱い”とさんざん言われつつも、しぶとくしたたかに生きつづけている。この感傷的な自分の心、やっかいだが好きだ。人の心の痛みがわからなくなったらおしまいだと思うからだ。
 今の私にできることは、しっかり学んで、将来を長い目で見すえて、世の中を少しでも良い方向に流していくために、何ができるかを探すことだ。批判されても、バカにされても、何もしないでグチや人のあら探しをしているそんな人たちより尊いと思うから、これ以上、迷ったすえに自分の命を絶つ人を出さない、こんな世の中にいつかしてやるぞー!

☆ ロシア革命史を総括することにより、大恐慌情勢下において帝国主義の戦争と大失業攻撃を階級的労働運動を通して革命を実現する教訓として学ぶことの大切さが理解できました。
 解雇撤回闘争が革命の端緒をなした。これは、今時の情勢下では職場において日常的に資本から解雇攻撃が行われているが、撤回闘争の重要性が理解できました。動労千葉の闘いに学び、職場生産点で実践的闘いを積み重ねることが革命につながり、ブルジョア階級を打倒できると確信が持てました。
 ロシア革命史から、労働者こそが社会の主人公であることを自覚し、労働者が真に社会の主人公になるためには、資本家とブルジョア政府を打倒することが必要である。そのため、プロレタリア革命の本質的目的意識性が党という革命的前衛組織を絶対に必要とする。
 ロシア革命史を学んで、階級的労働運動、党の重要性が理解できました。

☆難しかった……。歴史の流れとか背景を知らないんで、あまり話についていけませんでした。05年に革命やって17年にも革命やってって……革命ってそんなに何度もやるものなのか?とか。
 活字ばっかじゃなくもっと写真だとか映像(?)とかあった方が頭に入ってくるかなと思いました。また来年度出直してきます。

労働者学習センター事務局
千葉市中央区要町2−8 DC会館 電話 043-222-7207 FAX 043-224-7197

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