千葉地本は、全国大会後も労農連帯の旗を守り、9月17日、三里塚現地闘争に400名で参加した。これに対して動労本部革マルは、11月動労本部定中で千葉地本三役の査問委員会設置を強行し、翌年79年3月、千葉地本執行部全員の執行権、組合権停止、関川委員長ら4人の執行部を除名した。 こうした千葉地本破壊策動に対して、3月30日臨時大会で満場一位で動労本部からの分離独立を決定し、新生動労千葉の結成大会に移行した。