密集するスト圧殺を突破し四八時間ストへ

スト破壊に戦術拡大で反撃

 動労千葉は、一〜三月過程で、新たな解雇攻撃が切迫する清算事業団問題と、九〇・三ダイ改を焦点として決定的な重大局面をむかえ、組織の総力をあげた闘いぬきに、その後の展望もありえないと判断し、十二・五からまだ一ヶ月も経ていない厳しい条件の中にあったが決断した。全支部は、年明けと同時に二波のストにむかって突進していた。
 一・一八ストは、スト中止に動こうとした国労中央の屈服的対応、東京と千葉をスト対象から外し、組合員をスト破りにかりたててしまうというトンデモない誤りを激しくつき動かし、再び敢然と闘いぬかれた。
 闘いの正義性と勝利性はこのストライキの渦中で又も八名の仲間が、悩みに悩みぬいて、ドタン場で決断し、動労千葉に加入したことによって、より鮮明となった。犠牲を恐れず、自らの力を信じて闘う者こそが、労働者の心をとらえることを今次闘争は再び証明したのだ。
 動労千葉の闘いは、確実に国鉄労働者の心を揺り動かし、二〜三月へと真一文字に進んでいったのである。誰しもが、清算事業団の仲間の“苦痛"を思えば「何んのこれしき」という思いをバネにしてである。国労中央による二月スト中止、三月終結、清算事業団の切り捨てという屈服的態度を見てとった敵は、これとばかりに反動を強めてきた。
 三月一九日決戦ストを三日後にひかえた三月十六日、社会党田辺委員長による@広域募集をもう一度行なうAJR採用即自主的退職B退職金の上積み、という断じて許せない三項目案なるものが出される。
 国労中央も、二月スト頓挫にも見られるように依然として、派閥のせまい利益をおい求め汲汲とし、このドタン場においてさえ“決意”“決断"は見えてこない。だが、現場は燃えに燃えている。こうした動向を見てとり、JR当局、JR総連革マルは一点「動労千葉のストライキを潰せ」と全面的なスト圧殺にのり出した。

 津田沼では、電車区を金網のフェンスで囲み、監視ビデオカメラ、サーチライトと刑務所同然の弾圧体制を敷き、他の運転区もそれに準じて、露骨なスト圧殺にのり出している。
 本部は、この異常きわまり一ない違法・.不法な対応に何度も申し入れ、抗議をくりかえした。だが、干葉支社は、われわれの当然の要求を足蹴にして、スト前日の十八日の朝から庁舎前にピケを張り、本部、支部役員の職場への立入りすら阻止。津田沼支部においては、なんと組合事務所を鎖するため、囲い込みの「塀」の工事まではじめたのだ。このあまりの異常なやり方を中止させるために、布施副委員長と山口交渉部長が支社にとんでいった。

10時35分・布施副委員長、支社到着。
10時40分・山口交渉部長、支社到着。
直ちに交渉に入る。
 「津田沼、千葉転における封鎖と組合員の排除をやめろ」「津田沼組合事務所のフェンス工事作業の中止について電話で申し入れた点を善処しなければ、十二時以降、各支部でストに入らざるを得ない。

当局・検討する時間をかしてほしい。

組合・千葉転の運転士の指名ストを考えている。十一時十五分までに結論を出されたい。

11時10分

当局・相談したが、課長レベルでは、判断できない。

組合・課長で判断出来ないなら部長を出せ、無責任だ。

当局・部長の所在は、つかめない。

組合・支社長は?

当局・今はつかめない。

組合・そんな無責任な話はあるか。千葉転、大野運転士の指名ストを通告する。十二時以降全乗務員の突入については、十一時三五分がリミットであると通告。

11時40分

当局・要求については、受け入れない。

組合・十二時以降全支部でストに突入するとなるが、それでよいか。

当局・やむをえません。

11時55分、組合側引き上げる。

 

全乗務員一丸となってスト突入

 当局の目に余る横暴と不法・不当についに堪忍袋の緒は切れた。正当なストライキを防衛し、清算事業団闘争の成否をかけて、十八日正午からの戦術拡大のストライキは決行された。全乗務員は、100%、完全に組合指令に従って本区で、出先で、決然と起ちあがる。当局、JR総連どもによるスト破壊は物の見事粉砕された。当局は、かな切り声を上げて「動労千葉の違法スト」と、己れの責任のがれにヤッキとなっている。
 ある駅の助役は、「動労千葉を本気で怒らせてしまった。それにしても短時間で、こんなにマヒしてしまうとは」と組合員の怒りの激しさと、動労千葉の【結束】のすごさに驚愕していた。

 三・一八ストは、混沌としていた状況を一挙に吹きとばし、勝利への展望を切り開くことに成功した。
国労中央右派グループのスト中止策動を粉砕し、七二時間(動労千葉八四時間)ストライキを牽引する決定的な源動力となったのである。
 たび重なる国労中央の動揺を克服し、ついて貫徹された七二時間のストライキ決起こそが、その最中に強行された一四〇六名への解告予告という戦後かつてない暴挙を一身に受けながら、不屈にたたかいつづける清算事業団労働者を励まし、すべての国鉄労働者に勝利の確信と勇気を回復させ、闘いの永続的発展、勝利への展望を切り開き、四月一日をむかえたのである。
 一九九〇年四月一日、千名をこえる清算事業団の仲間たちは、争議団闘争団を形成した。九〇年代激動を切り開く新しい闘が、ここに始まった。

おわり


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