home page 日刊動労千葉 前のページに戻る

No.

11.1労働者集会に結集を
1047名闘争へのJR総連の介入・破壊を許すな!B

「日刊」6876号より続く

安全問題での屈服

 合理化の丸呑みだけではない。民営化や規制緩和の結果、爆発的に噴きだすこととなった事故・安全問題でも、東労組は、事故を起こしてしまった自らの組合員をイケニエにし、徹底して会社を擁護し続けてきた。事故の責任をとって、経営陣が退任・交替することになれば、資本と東労組の癒着関係がいっぺんに変わってしまう可能性があるからである。それは資本の側から見ても、最大の「利用価値」であった。資本の親衛隊となって、公害の垂れ流しを労使一体で隠ぺいする御用組合と全く同じ構図だ。

東中野駅事故のこと

 例えば、1988年12月5日、民営化の翌年、総武緩行線・東中野での列車追突事故の時のことは絶対に忘れない。運転士と乗客1名が死亡し、多数の乗客が負傷するという大事故。運転士は津田沼運転区の東労組組合員であった。
 原因は、5日前のダイヤ「改正」で「1分間の運転時間短縮は1億円の宣伝効果がある」(千葉支社の団交での発言)という発想の下に、無理なスピードアップ−運転時間の短縮が行なわれたことにあった。ダイ改前ですら、ラッシュ時間帯は客扱いのため毎日遅れが出ていた。到底無理にダイヤを強制するために、千葉支社は、「輸送混乱時には赤信号をこえて列車を進めろ」というとんでもない違法な指示文書をつくり、運転士に配布したのだ。
 そしてその5日後、東中野事故は起きたのである。当日も列車に遅れがでていた。事態は、まさに指示文書どおりに運転した結果の追突事故であることを示していた。

組合員が死んだのに!

 われわれは直ちに、安全運転闘争に突入、違法な指示文書等を弾劾し、社会的にも明らかにするねばり強い闘いによって、翌年のダイヤ改正で元の運転時分に戻させる成果をかちとった。
 このとき、会社の親衛隊となって登場したのが東労組だった。「(他労組は)ダイヤ改正が事故の原因と述べています。しかし事故原因は究明中であり、ダイヤ改正が直接の原因ではありません」(事故直後に発行された『東鉄労新聞』)「(動労千葉は)『安全運転闘争などと称し『ダイヤ改正前のスピードに戻せ』と要求している。これらの主張では事故の再発を防止することにはならないことははっきりしている」「国労は、『ダイヤ改正』『労務管理』『不当労働行為』などと、理由にならない理由をあげつらいながら、あたかも事故防止を取り組んでいるかのような言動をはいている」(事故5日後に出された「お客さまの信頼を回復する決議」)「東鉄労およびJR東日本の対応が社会的に注目されています。また、天皇陛下のご病状についてはマスコミ等で報道されています。東鉄労組合員として、あるいはJR社員として、飲酒などのにぎやかな行為それ自体が問題にされかねない状況であります。酒席等の場に参加するときは、充分な責任ある行動をとるよう指導して下さい」(事故当日に出された東労組千葉地本の指示文書)。自らの組合員が生命を奪われ、職場は怒りで震えている状況の中で、東労組がやったことはこれであった。

大月駅事故のこと

 この23年間、東労組の事故に対する対応はすべて同じであった。もうひとつだけ例をあげる。1997年10月に起きた大月駅事故のときのことだ。これは、中央線・大月駅を時速100qで通過中の特急列車に入換車両が衝突し7両が脱線。「死者が出なかったのは奇跡に近い」と言われた事故だ。
 マスコミですら、見習いのときに経験してから2年6ヵ月もやったことのなかった危険な入換作業を、訓練もなしにやらせたことに対し、「JRの指導体制に背筋が凍る思いだ」と指摘していたが、東労組は、「本人のミスだ」と繰り返し機関紙等で書き立てて会社を擁護した。
 東労組組合員だった当該の運転士は、起訴され、裁判にかけられたが、東労組は弁護士すらつけようとしなかった。誰からの支援も受けることができないまま、首を切られていったのだ。

松崎は何をやったか!

 その時、松崎は何をやっていたのか。事故から1ヵ月後、事故を起こした当該の運転士が連日警察の取り調べを受けている状況の中で開かれた第10回政策フォーラムでの講演で、事故・安全問題について「責任追及から原因究明へという方向を明確に示し得たJR東日本の経営陣は立派だ。世界に冠たる資質をもっている。松田社長は大社長になった。経営哲学あるいは企業文化の極めて高いレベルの所産だ。責任追及から原因究明へという世界に冠たるテーマ、カテゴリーを明確にし得たJR東日本の労使の高いレベルをこれからも誇りにしていきたい」と、異様なまでの会社賛美をぶちあげた。
 戸塚氏の冊子は「労使協調ではなく労使協力」「労使はイコールではなくニアリーイコール」という、資本との癒着関係を誤魔化すために松崎が使うペテンを高く評価するが、これが職場で起きている現実だ。これが「ニアリーイコール論」なるもの正体だ。

二重の基準!

 JR総連は、JR西日本で起きた尼崎事故については、「日勤教育」が問題だと批判するが、その直後にJR東日本で起きた羽越線事故(5名の乗客が生命を奪われた)については完全に口をつぐんでいる。「乏しきをわかちあって地球的危機を救う」などと歯の浮いたようなことは言うが、信濃川での不正取水問題が大きな社会問題として発覚しても、JR東日本を追及する姿勢は微塵もない。なぜこんなおかしなダブルスタンダードが起きるのか。
 理由は簡単だ。西日本では、会社の労務政策の転換によって、JR総連は一夜にして組織が崩壊し、ごく少数派に転落する一方、今でも続いている東日本での資本との癒着関係だけは維持したいということだ。
 政府と革マル派、今で言えばJRという日本を代表する巨大資本と革マル派が結託した民営化を推進したというのは、莫大な国鉄利権・資産の奪い合いと並んで、国鉄分割・民営化の最もダーティーな部分であった。JR総連は、民営化に全面協力したにも係わらず、JR西日本や東海などは、民営化の数年後にはそれを清算する労務政策の転換を行い、JR西労組や東海労組は「走狗煮らる」関係になったのである。JR四国労組などは完全にゼロになった。少数派になったことが悪いと言うのではない。問題は会社が労務政策を転換したら、一夜にして組織が消えて無くなったということだ。ここに示されているのはJR総連という巨大な組織は会社の労務政策で成り立っているだけだということだ。そこには団結など全く存在しない。
 それは東日本も全く同じだ。組織を維持するためには、ひたすら会社に屈服することで、組合員をつなぎ止めておくしかない。実際、東労組の2割近くは、駅長や区長などの現場長、助役、本社や支社等非現業部門の管理者層である。現場長が組合員となって現場の労働者を支配するという異常な関係の中で東労組は成り立っているだけのことだ。だから、新規採用者は選択の余地のない形で100%東労組に加入させられる。

職場の現実は!

 当然にも、職場は息がつまるような状態となった。露骨な昇進差別や不当配転、脱退強要等の不当労働行為が日常茶飯事だというだけではない。仲間内でも、会社の批判や東労組の批判を口にしようものなら、それはすぐ会社に筒抜けになるような職場が生み出され、他労組の組合員と私的なつきあいをすれば、東労組の機関紙で名指しで「組織破壊者」と非難され、酷いときには退職にまで追いつめられた。
 東労組が「国策捜査」などという浦和電車区事件は、その典型的な例であった。実際この事件で「組織破壊者」とされた組合員は職場を辞めていかざるを得なかった。それも、会社は職場の会社施設(講習室)を東労組に貸し与え、そこで連日取り囲んで追及するということが行なわれた。それを会社は見て見ぬふりをして容認したのである。これが現実だ。

新しい運動思想?

 だが、JR東日本でも浦和電車区事件の逮捕以降、いつ東労組を「用済み」として使い捨てるのかという動きが始まっている。松崎は危機感にかられ、いかに延命するのか、資本との関係でもこれまで以上の癒着と対抗を使い分けて必死になっている。
 そうした関係を自覚してか、無自覚でか、そこに登場したのが、戸塚氏や樋口氏なのだ。
 戸塚氏らは、「新しい運動思想」などと松崎を持ち上げるが、そこには、新しいものなど何もない。昔ながらの「企業あっての労働者」の思想だ。
 だが、動労千葉は全く違う道を進んできた。それは何も特別なことではない。どんな困難なときも、「団結の強化・拡大」を総括軸とし、その中に展望を見いだしていく道である。
 国鉄分割・民営化攻撃の渦中で、国労執行部は全くの無為無策であった。動労本部は民営化の手先になって、労働者の犠牲の上に生き延びる道を選んだ。大労組の屈服の中で、攻撃の集中砲火を受けながら、小さな動労千葉が闘いの道を選択するのは確かに困難なことであった。
 だがわれわれは、組合員の団結と労働者としての誇りを守ることだけに全ての力を注ぎ、そのためにストライキを構え、一人ひとりの組合員のもつ怒りや底力を引き出して闘いぬいた。
 40名の不当解雇、百数十名の不当配転、数千万円の損害賠償請求、数万qの担当業務を東京に移管してしまうという仕事そのものの取り上げ攻撃(それ自身、当局と動労本部の結託によって行なわれたものだ)等、あらゆる攻撃が加えられたが、組合員はそれに屈しなかった。そして今も40名の被解雇者を守り、団結を守って闘いぬいている。そして闘いは全国−全世界に広がっている。
 現実の困難に屈するのでもなく、かといって現実から遊離して空論に陥るのでもなく、現場の困難と立ち向かって団結を守りぬくことは必ずできることだ。だからこそ、労働運動、労働者の闘いはすばらしい可能性をもつのではないか。

誇りを胸に進む

 戸塚氏に言わせれば、動労千葉も「バカもの」の部類に入るのだろう。しかしわれわれは何と言われようが、労働者は誇り高い存在だということを譲ることはできない。たかが労働者、されど労働者。これからも、どんな困難なときも、現場の組合員と苦労をともにし、一体となって、一人ひとりの労働者が社会を変革する力をもっているのだということを信じ、労働者の団結した力を信じて闘い続ける決意である。
 われわれは、1047名闘争へのJR総連の介入・破壊を絶対に許さない。11月労働者集会に全力で結集を!

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
ページの先頭に
前のページに戻る