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1047名闘争へのJR総連の介入・破壊策動許すな!@
11.1労働者集会に結集を

 JR総連が1047名闘争に介入しようとしてうごめいている。当局や自民党にとり入って民営化に率先協力し、国鉄労働者20万人首切りの手先となった歴史的な裏切りを正当化するために1047名闘争をつぶそうというのだ。われわれは絶対に許さない。
 社会保険庁の解体・民営化ではすでに1千名の不採用解雇が通告されている。道州制導入をめぐり360万人の公務員労働者を一旦解雇し、民営化された事業所等に再雇用するという究極の民営化・労組破壊攻撃が画策されている。こうした現在の情勢が1047名闘争=国鉄分割・民営化問題の決着が未だについていないことを政治の焦点に押し上げ、様々な勢力がこの原点に引き戻されているのだ。

介入・破壊許すな

 JR総連の一機関である国際労働総研から「試論 動力車労働運動の軌跡について──JR総連聞き取り研究会中間報告」なる冊子が発行され、無料でバラ撒かれている。著者は戸塚秀夫氏(東大名誉教授)。
 戸塚氏はここで「鉄建公団を相手に闘っているグループが、直接JR総連に『何とかご協力頂けないか』というふうに頭を下げれば動ける条件がある、ということなのか」と質問し、松崎は、「JR総連だって東が動けばいいことですから総連にもそれは対応させますよ」等と答えている。
 そして実際、いくつかの労組には、様々な形をとってそうしたはたらきかけが行なわれている。
 だが、JR総連が1047名問題の解決に協力するなど、100%あり得ないことだ。それは、23年間にわたる闘いを継続してきた1047名の労働者の誇りや切り開いてきた地平を粉々に打ち砕き、1047名闘争を最悪の形で破壊するものだ。様々な問題をはらみながらも、1047名闘争が今日まで闘い続けてきたことが、日本の労働運動にとってどれほど大きな意味をもっているのか。それをJR総連などを介入させ、つぶすようなことは、絶対に許せない。

裏切りの美化!

 冊子の内容は読むに耐えないものだが、自民党や資本に取り入って、民営化と首切りの手先になった動労本部−JR総連の裏切りを「対抗的な『労働者プラン』の運動思想であった」「新しいユニオニズムの模索であった」どと美化・免罪している。
 最大の特徴は、国鉄分割・民営化攻撃の過程で国鉄労働者を何が襲ったのか、民営化以降今日までJR労働者がどんな現実に置かれているのか、国鉄のみならず日本の労働運動全体がどれほどの後退を強いられ、その結果日本の労働者がどれほど酷い状態に突き落とされてきたのかという肝心な問題はたったの一言もでてこないことだ。現場で起きた生々しい現実、動労本部が手先となった不当労働行為の数々は全く無かったことかのように消し去られて、きれいごとだけが並べられている。

何が起きたのか

 分割・民営化までのわずか6年間の間に20万人の国鉄労働者が職場を追われたこと、7千数百名が不採用=解雇されたこと、200人が自殺に追い込まれたこと、24万の国労が4万人にまで切り崩されたこと、こうした全ては動労本部が民営化の手先になることによって、まさに政府の計画・思惑どおりに進んだことだ。否、事態は現実にはそれ以上に進んだのだ。JR本州三社はいずれも「定員割れ」となるほどに、労働者が職場を去ったのである。誰も予測しないことであった。吹き荒れた攻撃の余りの異常さの前に、多くの労働者が「もうこんな職場には居たくない」と追い込まれた結果であった。それは、政府・資本の組合破壊の攻撃によるものだが、そこまで労働者を追いつめた最大の原因となったのは動労本部の裏切りであった。

「雇用守る」のウソ

 とくに、比較的高齢の者はすべて職場を去らざるを得ない状態がつくられた。JR発足時に50歳以上の労働者は全く皆無という異常な事態が起きたのである。そもそも55歳以上の労働者は新会社に移行させないというのが国鉄分割・民営化の枠組みだったが、実際現場では、当局と動労本部によって、ベテランの労働者がJRで働き続けることなど出来ない雰囲気がつくられた。動労本部の若手活動家が、自らの組合員であるベテランの労働者をつかまえて「後進に道を譲れ!」と迫り、様々な嫌がらせまでやるという陰惨な現実が多くの職場で起きた。「動労は雇用を守った」などというのは真っ赤なウソである。国労の組合員だけでなく、自らの組合員も含め、職場から叩き出したのが現実だ。

「血の入れ替え」

 弾劾しなければいけないことは数々あるが、こうした職場の現実を生み出す最後の切り札となったのが、当局と動労本部の手によって「血の入れ替え」と称して行なわれた攻撃であった。動労組合員を北海道・九州から首都圏の鉄道管理局に大量に異動させ、国労活動家のほとんどを職場から排除し、悪名高い「人材活用センター」などに送り込んでいじめ尽くし、高齢者が職場を辞めざるを得ない現実をつくり出したのだ。松崎が最大のターゲットにしたのは、首都圏の運転士を押さえることだった。「血の入れ替え」によって、東京鉄道管理局管内の国労の運転士はゼロ化するまで配転され尽くされた。200人もの自殺者等の現実はこうした中で生み出されたものだ。

首切りの手先に!

 松崎はこの「血の入れ替え」を「墓を背負ってきた」などと美談のように語っているが、そんなものじゃない! 他労組の組合員や自らの組合員も含む高齢者の首切りと引き替えに「組織を守る」などというやり方は、労働組合運動にとって、もっとも唾棄すべきものだ。
 とくに、新会社への「採用」「不採用」が明らかになった時点で松崎が言っていたこと、やったことは絶対に忘れることができない。松崎は、「残念ながら、東日本の中には二万人ぐらい共産党と社会主義協会派の勢力が入ってしまった」として、次のように言っている。「私はこれに頭にきているわけです。はっきり言いますと。民間的手法だったら、そんなものを入れたらストライキになりますよ。今までだってそうですから。何も反省していないんですから。……入れちゃいけないと、私はもうさんざん当局や各政界に(自民党ということだ!)にもお願いしてきたんですけどね。……ストライキをさせない、これは私の使命感ですね」と露骨に語っている(勝共連合の新聞『世界日報』インタビュー/1987年2月)。

「緊急申し入れ」

 しかも、本州JR三社が発足時点で定員割れとなり、国労や動労千葉の組合員も新会社に移行することが明らかになった時点で、動労本部らは次のような「緊急申し入れ」までやっている。「21万5000人の要員規模を確保するためには、一部では、国鉄改革に敵対している者までも新時業体に移行せざるを得ない状況が生み出されている。これは、第二次労使共同宣言にもとることであり、同時に新事業体の経営基盤を根本から揺り動かしかねない事態でもある。……このような事態に対して、改革協としては、21万5千人の要員枠そのものの是非を含めて、正直者が馬鹿を見ない対処方を要求して、緊急に中央・地方で国鉄当局に申し入れることにする」(改革労協事務連絡/1987年1月)。法で定められた要員をさらに切り込んでも、国労や動労千葉の組合員は首にしろと要求したのだ。今も闘い続けている1047名の労働者は、こうした中で解雇されたのである。

総評解体の先兵

 これが「対抗的な労働者プランの運動思想」だというのか。国鉄分割・民営化の渦中で松崎がやったことは、三塚や秦野(元警視総監)など自民党に取り入り、国鉄当局に忠誠を誓い、国労や動労千葉つぶしの手先になり、果ては勝共連合(統一教会)にまで媚を売って、自らの延命を謀っただけのことだ。そのためには、突然総評を脱退し、総評・社会党解体=右翼労戦統一の先兵となることも辞さなかった。その結果、どんな現実が日本の労働者を襲うようになったのかは多く語る必要もないことだ。国鉄分割・民営化攻撃によって解き放たれた「労働分野の規制緩和」によって、1千万人以上の労働者が非正規職に突き落とされ、貧困が蔓延する今日の現実が生み出されたのだ。


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ここまで転落!

 「JR総連聞き取り研究会」の冊子は、動労本部がやった「貨物安定宣言」=スト放棄宣言や「働こう運動」を美化する。松崎は「闘ったらつぶされる」という危機感をもちながら、当初は、国労などと差をつければその程度のことで何とか乗り切れるのではないか思っていたに違いない。だが、攻撃の激しさはそれを許さなかった。そして結局は、述べてきたように文字通り民営化と首切りの手先になるところまで、急坂をころげ落ちるように転落していったのである。
 当然のことだが、JR移行後も、いつ資本の側から使い捨てられるかに怯え、資本による労働者への攻撃をすべて丸呑みし続けることになった。その象徴的な姿が次のような松崎の言葉に示されている。「いまはまだよい。(失業率は)3%位ですから。これが6%、7〜8%というという数字が出てきたときどうするのか。そんなきれいごと言っていられない。理想を食って生きていくわけにはいかない。だったら軍需生産でもなんでもやって、食っていくようにしなければしょうがないでしょう。私はそう思っている」(水戸での松崎講演/1995年7月)。この思想と「貨物安定宣言」「働こう運動」はひとつながりだ。何が「新しい労働者プランの運動思想」なものか。
(つづく)

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
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