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民営化−規制緩和こそ、尼崎事故の真の原因だ
闘いなくして安全なし2度とこの大惨事をおこさせてはならない その1

尼崎事故は民営化の必然的結果だ!

 福知山線・尼崎での列車脱線・転覆事故は、1962年の三河島事故(死者160人)、翌63年の鶴見事故(死者168人)と並ぶ、日本の鉄道史上最大級の大惨事となった。
 107人もの生命を一瞬にして奪いさった福知山線・尼崎事故について、マスコミなどもようやく様々な問題点を指摘しはじめている。しかし、誰も本当の核心には触れようとしない。
 それどころか、事故当日に宴会をしていた社員がいたなどという、事の本質とは全く関係ないキャンペーンに問題がすり変えられようとしている。
 なぜなのか。それはこの惨事が、民営化−規制緩和という、中曽根内閣以降の国の基本政策自体の必然的な帰結として引き起こされたものだからだ。
 尼崎事故の真の原因は、国鉄分割・民営化という犯罪的政策そのものにある。
 また、自己保身のためにその攻撃に屈し、民営化の手先となった労働組合の腐った幹部たちの責任も厳しく問われなければならない。
 尼崎事故は、労働組合が企業と政府の手先となったときに何が起きるのかを鮮明に示している。

「稼げ!」

「稼げ」!107人の生命を奪った原因は、国鉄分割・民営化という犯罪的政策そのものにある

 別掲の写真を見てほしい。JR西日本大阪支社の「17年度支社長方針」の第一に掲げられた標語は、何と「稼ぐ」である。この掲示が各職場に掲出されているのだ。だが、これはJR西日本 の「特異な経営体質」によるものなの だろうか。そうではない。
 鉄道事業を、営利中心の民営化というやり方で遂行するということそのものに、根本的に矛盾があるのだ。
 この間われわれが幾度となく指摘してきたように、JR東日本でも全く同じことが起きている。
 JR東日本の中期経営計画=ニューフロンティア21では、「事業戦略」の第一が「ステーションルネッサンスの展開」、第二が「ITをはじめとする新技術の導入による新たなビジネスモデルの構築」となり、「鉄道事業」は三番目の位置におとしめられている。言葉使いこそ多少「洗練」されているものの、言っていることは西日本と全く同じだ。
 そしてこの経営計画は「グローバル経済市場の浸透によって、冷徹な優勝劣敗の市場原理に貫かれた真の意味での競争社会が到来している」「交通市場の規制緩和による競争の熾烈化」などという認識で書きはじめられ、「この改革は当然困難や痛みを伴うが、企業が生き残り社員と家族の幸福を実現する唯一の手段がこれである」と締めくくられている。
 具体的に提起されているのは、5年間で1万人の要員削減であり、鉄道輸送にとって根幹をなす技術部門=保線・電力・信通業務や車両検修業務の全面的な外注化であり、利益率の最大化や「株主価値重視経営」等のアジテーションであった。

これこそが、民営化のもたらしたもの

 これこそが民営化がもたらしたものである。国鉄の分割・民営化を強行し、今、郵政をはじめ社会全体を覆い尽くすような大民営化攻撃を強行しようとしている連中は、こうした競争原理こそが素晴らしいものだと言って民営化を行い、今も強行しようとしているのだ。マスコミも同じことを煽ってきたことを忘れてはならない。
 その結果、「安全は輸送業務の最大の使命である」とうたわれた安全綱領は民営化と同時に廃棄され、「わたしたちはリーダーカンパニーをめざします」などという「経営指針」にとって変えられた。
 国鉄の分割・民営化が、鉄道会社のあり方そのものを根本的に変えてしまったのである。

無理なスピードアップが直接的原因

 今回の事故の最大の要因は、「私鉄との競争に勝つため」と称して無理なスピードアップが強行され、過密ダイヤが組まれていたことによるものだが、これも民営化によって、競争原理を解き放った結果に他ならない。
 JR東日本でも、1988年12月、総武緩行線での無理なスピートアップと増発を強行した結果、そのダイ改の5日後に乗客と運転士2名の生命を奪う悲惨な列車衝突事故(東中野事故)が引き起こされた。そのときにJR東日本が言ったのは「1分の時間短縮は1億円の宣伝効果がある」というものであった。
 しかもその無理なスピードアップと増発を強行するために、JR東日本千葉支社は、それまで15秒刻みだった採時を10秒刻みにし、何と、「輸送混乱時に停止信号の外方に停止した場合は、さらに輸送障害を増大させることになるので、最善の注意をはらって当該信号機に近づき、その信号機の閉そく区間内(赤信号を越えて)停止すること」という違法な指導文書までだしたのである。
 今回の尼崎事故の背景と全く同じことが行なわれたのである。

「日勤教育」の背景にあるものは何か

「日勤教育」も過密ダイヤも労使協調派の労組が率先して進めてきた。尼崎事故の責任の半分は闘わない労組にある。運転保安を闘う動労千葉は不当な差別を受けている

 問題視されている異常な「日勤教育」の現実も、民営化の必然的結果である。異常な「日勤教育」は「私鉄に負けるな」「一秒も遅れるな」というまさに熾烈な競争の結果であり、民営化によって労働組合が破壊され、労働者の団結が解体された結果に他ならない。
 東日本でも見せしめ的な乗務停止の乱発や私服での背面監視が横行している事態は、西日本と何ら変わりない。
 スピードアップ、過密ダイヤ、要員の大幅な削減と労働強化、コスト削減等の悪無限的な繰り返しのなかで、結局安全と「安定輸送」なるものを担保する手段は、運転士へのしめ付け以外なくなる。
 そもそも、このような虐待としか言いようのない労働者支配の原型は、労働者の団結を潰し、国鉄労働運動を解体し、ぼう大な首切りを強行するために、国鉄分割・民営化のときにつくられたものだ。それは今も延々と続けられている。「日勤教育」なるものもそのひとつの現れにすぎない。
 また、今回の事故を大惨事に至らしめた「軽量化車両」の投入も、経費節減とスピードアップを目的としたものである。つまり、安全を度外視して営利を優先した結果である。
 そればかりではない。いびつな年令構成と技術継承の断絶、それを背景とした促成栽培的な運転士養成のあり方等々の問題などは、まさに分割・民営化による20万人の首切りと、組合潰し、今も続く異常な労務支配の矛盾が、18年を経て、爆発的に噴きだしている結果に他ならない。

全てを市場原理にに委ねた結果!

 こうした事態にさらに拍車をかけたのが、安全分野にまで及ぶ「規制緩和」であった。
 鉄道部門における規制緩和について、運輸技術審議会答申や、そのもとに設置された技術基準検討会は、次のように述べている。

◎ 素材・仕様・企画を詳細に指定する基準から必要最低限の性能基準へ移行する。
◎ 社会的規制については、行政の政策目的に沿った必要最小限のものとする。
◎ 鉄道事業者の自主性、主体的判断を尊重できるものとする。
◎ 事前規制型の行政から事後チェック型の行政に転換する。
◎ 市場原理にゆだねられるべきものは市場原理にゆだね、国の関与を縮小する。

 この発想は、ひと言でいえば、すべてを市場原理に委ねるということである。こうした発想のもとに、鉄道の運行方法や構造物の建設、保守・検査について詳細な基準を定めていた運輸省令(国土交通省令)は抜本的に改悪された。
 要するに、国土交通省令は具体的な内容のないものにされ、すべてが鉄道事業者の裁量にまかされることになったのである。

市場原理と安全は絶対に相容れない

 これを背景としてJR各社は、電車や線路の検査周期を延伸し、あるいは省略し、これまでは「絶対信号機」と位置づけられてきた信号機まで、指令の指示によって停止現示を越えて列車を動かすことができるように規程改悪が行なわれる等の安全無視の政策が次々と導入された。
 だが、市場原理とは、競争に勝ち、利潤を生むため人件費をはじめとしたコストをいかに抑えるのかということだ。一方「安全の確保」という課題はぼう大な人的・物的投資を必要とするものであり、それ自体は利潤を生み出さない。市場原理と安全は絶対的に相容れない水と油の関係にある。それを市場原理一辺倒の発想に転換してしまったのである。
 国土交通省は、「鉄道事業者の自主性、主体的判断を尊重する」「事前規制型の行政から事後チェック型の行政への転換」などといって、あらゆる規制を撤廃し、一切を企業の勝手な判断に任せてしまったのである。
 その結果が尼崎の惨事である。事後チェックなどというが、奪われた107名の生命はもはや戻らない。

【つづく】

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